white minds

第二十二章 離脱‐3

 午前も半ばを過ぎた頃、宮殿からの使者が基地を訪れた。人間では事態を把握しきれないと判断したのだろう、見かけたこともなかったが神の一人であった。紺色の髪を束ねたその男性は、出入り口付近で叫ぶ。
「神技隊、アルティード殿からの伝言だ!」
 その慌ただしい声を、ホシワが聞きつけた。見慣れない姿にとまどいを覚えつつも、アルティードという名前に彼は反応する。
「伝言……ですか?」
 ホシワは恐る恐るその男に問いかけた。男はうなずきながら白い手紙を渡す。手触りのいい柔らかい紙でできたそれに、ホシワは目を落とした。確かに神技隊宛となっているし、差出人はアルティードだ。
「今人間たちは非常に混乱している。宮殿内はまだましな方で、バインやイダーなどは悲惨なことになっているらしい。これから長を集めて会議する予定だが、収めるには時間がかかるだろう」
 男の声は低くくぐもっていた。よく見ればその顔色もよくない。濁った瞳には力はなく、唇の色も薄かった。
 ホシワは顔をゆがめる。
「わかりました。しばらくは、できる限りこっちで対応します」
 男はすぐに去っていった。雪面の彼方に消えていくその背は、やけに小さく弱々しい。
 急いでホシワは司令室へと向かった。ここはやはり滝たちに渡すべきだろうと判断したからだ。人のいない廊下に彼の足音が響き、一定のリズムを奏でる。
 司令室にいたのは本来とは別の面子だった。滝とレンカ、ダン、アキセ、サホだけがシフト通りのメンバーで、他はシフト外の者ばかりだ。
 ホシワは滝に手紙を差し出す。
「滝、神側からの伝言だ」
 滝はそれを受け取り封を切った。びっしりと書かれた文字がアルティードの直筆なのかは定かではなかったが、とりあえず彼は文面に目を走らせる。
 皆は滝を見守った。張りつめた沈黙の中、細く息を吐いて彼は顔を上げる。
「一般人の混乱には、例の噂の件、あれがどうやら関係しているらしい」
 噂と聞いてすぐに反応したのはリンだった。脇の席に座っていた彼女は立ち上がり、滝のもとへと駆け寄る。
「それってあの、宮殿側のせいで魔族が攻めてきてるって噂ですよね?」
 滝はうなずいた。彼女の言葉で思い出したらしい皆は、ああ、とでも言わんばかりの顔で相槌を打っている。滝は自らの額に手を当てる。
「どうやらあちこちに、故意にその噂を触れ回っている奴らがいるらしい。何者なのかはわからないが、そのせいで混乱が増幅してることは間違いないそうだ。そのせいで、不安の、怒りの矛先が宮殿に向かっているのは」
 彼の言葉に、皆は顔を見合わせるしかなかった。ブラストの襲来、それだけで十分すぎる程手一杯なのに、それだけでなく一般人の混乱を静めようというのは荷が重すぎる。今神側は恐るべき忙しさなのだろう。
「……それって、やっぱり魔族が何らかの形で関係してるんでしょうか?」
「わからないわ。その吹聴してる人たちを捕まえてみないことにはね」
 リンの疑問の声に、レンカが苦笑して首を横に振った。皆の口から、一斉にため息がもれる。
「敵意が宮殿に向けられているせいで、その捕まえる作業ってのもあまり進んでないらしい。さっさと何とかしないと、また暴動でも起きかねないしな」
 曇った表情の皆に向かって、滝がそう口にした時だった。司令室の扉が開き、レーナが顔を覗かせる。滝たちの姿を確認すると、彼女は小さく息を吐いた。そして廊下の方に視線を走らせる。
 どうかしたのか?
 そう滝が問いかけるより早く、レーナに続いて青葉と梅花が部屋に入ってきた。梅花の顔色はいつにもまして白い。外を埋め尽くす雪のように青白かった。そんな彼女を支えるようにして、青葉がぎゅっとその腕を抱いている。
「ここなら……まあ集まれないこともないか。皆疲れているところ悪いが、重要な相談があるんだ。いいか?」
 話、ではなく相談。そのことに違和感を覚えつつも滝はうなずいた。聞いた当人であるレーナは寂しげに微笑しながら、また首を後ろへと回す。滝たちからそれまでは死角になって見えていなかったのだが、そこからネオンとイレイが駆けていった。よく見れば青葉の斜め後ろ、その陰に隠れるようにアースが立っている。
「珍しいメンバーで来たのね」
 滝の気持ちを代弁するかのように、レンカがそう言いながら長い髪を軽くかきあげた。ゆったりとした、しかし小気味よい足音を立ててレーナは彼女に近づく。そして若干表情を曇らせてささやいた。
「オリジナルが、倒れたんだ。まあその成り行きってところだ。おそらく無理して能力を行使したためだと思うがな」
 滝とレンカは顔を見合わせた。近くにいたリンも聞いていたのだろう、いつもは晴れやかな顔を今はややしかめている。
 青葉からちらりと話は聞いていた。薄紫色の光に包まれた、謎の剣のことを。それがアユリの能力なのかはわからなかったが、しかし通常の技ではないことは明らかだった。体に負担をかけるものであろうということは……。
 程なくすると、司令室にぞろぞろと人が集まりはじめた。皆が皆疲れ切った様子で怪訝な瞳をたたえていた。ネオンたちが呼びに行ったのだろう。出血量、精神量の関係で眠っている者や起き上がれない者も多いはずだから、わざわざ声をかけにいったというところか。滝はその配慮に苦笑する。
「疲れてるのはみんななのにな」
 彼は口の中でそのつぶやきを転がした。
 来られる者が揃うと、レーナは閉ざしていた重い口をゆっくりと開いた。痛い程の視線を感じながら彼女は言葉を紡ぎ出す。
「急に呼び出したりして、悪かったな。できるだけ多くの人に聞いて欲しかったんだ。これは重要な決断になるだろうから」
 彼女は皆の顔を見回した。揺れる黒髪がさらりと音を立て、静まりかえった司令室の中に浸透していく。誰も声を発する者はいなかった。彼女の次の言葉を、ただただ待っているだけだった。
「まず端的に聞こう、お前たちは、独立する気があるか?」
 独立。
 その意味を図りかねてざわめきが生まれた。その中で代表するように滝が疑問の視線を彼女に投げかける。
「神側から独立する、ということだ。彼らの指図を受けず、自分たちの意思で行動すると」
 さらにざわめきは増した。何故そんなことを言うのか、何のための問いかけなのか、理解できない神技隊らは困惑した表情を浮かべるのみ。レーナはその長い前髪をかき上げる。
「いきなりでわるかったな、だが焦らすのも気が引けてな。転生神の話はしたばかりだろう? 彼らが確かにここにいて、そして他にもいるかもしれないと。それが、問題なんだ。それが神側にばれるのが問題なんだ」
「どうして?」
 尋ねたのはレンカだった。鋭い眼差しで問う彼女に、レーナは苦笑しながら額の手を離す。内と外からの圧迫に耐えながら彼女は息を吐き出した。
「転生神は、神にとってはまさしく希望だ。たとえ能力がいまだ覚醒していなくても、彼らはそれを隔離、保護するだろう。彼らは今まで転生神の到来のために耐えてきたんだ。別の言い方をすれば、転生神さえいれば何とかなると思っている。つまり、彼らは転生神以外の人間を切り捨てる可能性がある。つまり残りの神技隊を、捨てごまとする可能性が」
 彼女の口をついて出たのは、恐ろしい程冷たく醒めた話だった。その場の空気が一瞬で凍り付き、皆の表情が硬くなる。時がまるで止まったかのような静寂の中、リンが疑問の声を上げた。
「でも……私にはアルティードさんがそんなことするようには思えないんだけど」
 その言葉にレーナは相槌を打った。だがその表情は以前として曇ったまま。
「ああ、それでも彼の意思だけで全てを決められるわけじゃない。別勢力もあるしな。何にしろ転生神が隔離されるのは確実で、力を取り戻すまでは保護されるだろう。死なれてはまずいからな。つまり、戦闘からはしばらく遠ざけられることになる。言いかえればしばらくの間は残りの者で何とかしろというわけだ。それがどれだけ無謀なことかは、今回の戦闘から予想できるだろ?」
 誰も反論できる者はいなかった。
 神側からすれば転生神を失うことは絶対に許されない。ならばそういう方向に動く可能性は高い。それがどれだけ残酷な結果を生み出そうとも……。
「だがわれはそれを望まない。われが守りたいのはお前たち全員であって、現時点でわかっている転生神だけじゃない。だから尋ねた、独立するか、と。今を逃せば道はないぞ? オリジナルたちと引き離されてからじゃ遅い。気づかれる前でなければ」
 レーナはそう言うと皆の反応を待った。誰もが不安そうに顔を見合わせる中、リンがすっと手を挙げる。
「独立した場合はどうなるの? 私たちの立場とか、神側との関係とか」
「あちらの言葉に従う必要はなくなる。だからお前たちがどうしようと勝手だ。基地に残らなくても、な。われとしては神との契約を破ってることにはならないから問題はない。あくまでわれは神技隊の味方だから。あとは魔族側からの攻撃に対処し、封印の鍵を守ればどうこう言われる筋合いはない。まあさすがに神側からの援助などは受けられなくなるだろうがな。物資とか、金銭面とか。理由ならわれがでっち上げるから問題はない」
 そこでレーナはにこりと笑った。この場にそぐわない程の優しく明るい笑顔はその場の温度をやんわりと上げる。彼女は大きくのびをして、頭の上で軽く腕を組んだ。
「というわけだ。このままで行くもよし、独立するもよし。独立するならその後の身の振り方も自由だ。われにはどうこう言う権利はない。だができるだけ……今日中に結論を出して欲しい。出したらわれに伝えてくれよな?」
 レーナは手をひらひらさせると目でアースたちに合図し、司令室を出ていった。プシュゥという気の抜けた音がし扉が閉まるのを横目に、滝は嘆息する。
「じゃあ夕食までに、各自考えるとしよう。それから意見をまとめることとして。いいな?」
 彼の言葉に、首を横に振る者はいなかった。

◆前のページ◆   目次   ◆次のページ◆

このページにしおりを挟む