white minds

第二十三章 兆し‐1

 うっすらとした明かりに照らされた廊下は、人気もなく静かだった。夜の海を思わせるようなその静寂は、心の奥のどこかをひっそりとざわめかせる。
 その中を、一人の男が歩いていた。歩調にあわせて揺れる髪は抜けるような銀色で、物憂げに細められた瞳は穏やかな瑠璃色だ。何かを考えているのか時折立ち止まる彼に、後ろから声がかかる。
「アルティード殿!」
 声の主はラウジングだった。深緑の髪を揺らしながら走ってくる彼に、アルティードは視線を投げかける。すぐ側まで寄ってくると、ラウジングは息を整えながら口を開いた。
「アルティード殿、聞きましたか? 先ほどの、五腹心の話」
「ああ。今そのことについて考えていたところだ。神技隊の方と、連絡は取れたのか?」
「いえ……何故か繋がらず」
 ラウジングは力無く首を横に振った。そんな彼を励ますように肩に手を置くと、アルティードは微笑を浮かべる。誰か使いを出せば早い話なのだが、しかし今は圧倒的な人手不足だ。ほとんどの者があらゆる町に繰り出し、怪しい噂を広めた者たちを捜索している。だが首尾よくはいっていないようであった。宮殿に向けられた不審の目がそれを阻んでいるために。
「まあ、何もなかったからいいのだがな。それにしてもまさか五腹心が三人も来て、何もせずに帰っていくとは……」
 謎としか言いようのない事態に、さすがのアルティードも困り果てて嘆息するしかなかった。わざわざナイダの山に向かったわけも、さっぱりわからない。
「まるで……我々に見つかるのを避けていたみたいだな」
 言ってしまってからそれがとてつもなく嫌な響きを持っていることに気づき、アルティードは眉根を寄せた。地球に来て、それが叶うわけもないことはあちらとてわかっているだろう。それに神技隊らには何の利点もない。だが、何故かしっくりとくるのだ。
「アルティード殿……?」
 ラウジングが不安そうな声を上げる。それ以上言葉を紡ぐのを手で制し、アルティードは小さくうなった。何かが、どこかで何かが進行している。そんな予感がする。
「やはりそのうち、直々出向く必要があるな」
「直々って……アルティード殿がですか!?」
 信じがたい発言にラウジングは呆気にとられ、大声を出した。だがアルティードは何も答えない。その無言は、肯定のように受け取れた。
「アルティード殿……?」
「こちらの本拠地では彼女は何も話してはくれないだろう。ならば、乗り込むのが手っ取り早い」
 決意したアルティードの瞳には揺らぎはなかった。それはラウジングには到底意見できるものではない。だからただ彼は心配そうに、その横顔を見つめることしかできなかった。



 目を覚ますとぼんやりとした視界に見慣れない天井が映っていた。ほんのりとした明かりが灯った部屋は適度な気温に保たれており、音もなく静かだ。その中で梅花は自分が一体どこで何をしていたのか思い出そうとする。
「梅花?」
 ゆっくり体を起こすと、すぐ側に青葉がいることに彼女は気がついた。ベッドの横に座り込んだ彼は、心配そうに彼女の手を握っている。大丈夫、と答える変わりに彼女はうっすらと微笑み、辺りに視線をさまよわせた。もう一つの気配を追っていくと、部屋の隅でアースが剣を眺めながら考え事をしている姿を見つけだす。
 そこでようやく彼女は、ここがレーナの部屋であることを思い出した。五腹心との挨拶から帰ってくると、即行で寝かしつけられたのだ。
『ここはわれの気で溢れているから、たぶん休みやすいだろう』
 満面の笑みとともによくわからない言葉をかけられて寝かせられたら、反抗する術はない。実際すぐに眠りに落ちたのだから、でっち上げというわけでもなさそうだが。
「ずっと……側にいたの?」
 梅花は視線を目の前の青葉に戻し、小首を傾げた。握られた手の温かさが今は心地よい。
「もちろん。置いていくわけないだろ?」
 青葉は微苦笑を浮かべながら言い聞かせるようにそう告げた。そして、はにかんだような、困ったような顔で、答えあぐねる彼女の手をゆっくりとさする。
「うざい」
 しかしそこへ、部屋の隅からどす黒いオーラのこもった、とげとげしい言葉が投げかけられた。困惑する梅花をかばうように振り返り、青葉はあからさまに苛立った様子でアースをにらみつける。
「梅花が起きたら黙るって約束だろ」
「お前が無駄口を叩かなければ、のはずだ」
「今のどこが無駄口なんだよ!」
「全て」
 アースと青葉の間には、見えない火花でも散っているかのようだった。お互い発火寸前といった状態である。自分が寝ている間もこうだったのだろうと予想し、梅花はどうしようもない気分になった。何故この二人を置いていったのかとレーナに問いたくなる。
「そりゃひがみだっての! 梅花が困ってるだろ!?」
 青葉はアースをにらみつつ梅花の体を引き寄せ、抱きしめた。突然の行動にわけがわからず、彼女は彼の様子をうかがおうとする。しかしその角度では彼の顔は見えなかった。
「確かに困っているな、お前のせいで」
 アースのすわった目が青葉を射抜く。空気がどんどん張りつめていき、まるで針のむしろの上にでもいるように梅花は感じた。
「ふん、まあいい。ここにいろというのは梅花が寝ている間だけの話だ。われはここを出る」
「ああ、後でレーナにでも慰めてもらえば?」
 入り口で立ち止まり振り向いたアースの目と、青葉の目がぶつかり合う。だがアースはそれ以上何も言わずそのまま去っていった。廊下に響く足音が遠ざかっていき、ばたんという音とともに扉が閉まる。
「あ、青葉……苦しい」
 くぐもった声で梅花はそう訴えた。そこでようやく、相当の力で抱きしめていることに気づき、青葉は腕をゆるめる。そして彼女の頭を優しくなでた。
「悪い、梅花。その……大丈夫か?」
「……うん」
 どうしたらこの腕を解いてくれるのか思案しながら、彼女は小さくうなずく。彼はふっと頬の力を抜くと、ゆっくりと彼女に額に唇を落とした。ごくごく自然な動作で。
「……え?」
 梅花が声を上げたのは、たっぷり十秒以上の間をおいてからだった。その顔はまだ何が起きたのかを理解していない様子だ。青葉は口の中で言葉を転がしながら、彼女の瞳に光が戻ってくるのを待つ。だが彼女が状況を把握した時、その目には明らかな拒否の色があった。
「えっとその、よかったーって気分と可愛いなーって気持ちとで、なんつーか勢いという奴で。うん、でも口じゃないからいいかなって思ったんだけど。でもお前にとってはやっぱ遠い出来事だったんだよな。悪かった。って何でそんなに離れるんだよ! 何でベッドの端に逃げるわけ!?」
 あたふたと言い訳する青葉の腕を擦り抜けて、梅花はベッドの端に寄った。頬を染めて泣きそうな顔をしながら、それでもどこか醒めた目でにらみつけてくる彼女に、彼は悲嘆の声を上げる。
「そういう青葉……嫌い」
 細く吐き出された息に混じり、ぼそりとつぶやかれた言葉に、彼は完全に撃沈した。

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