white minds

第二十三章 兆し‐5

 くすんだ灰色の空の下、大きな岩の陰に三人の男女はたたずんでいた。かすめていく風はなま暖かく、とても緩やかだ。しかしどこかしら気分を損ねるものだった。言うならば、しつこく感覚を犯していくような妙な甘ったるさがそこには含まれていた。そのためか、彼らの表情も気怠い。
「来たわ」
 三人のうちの一人、褐色の肌にワインレッドの髪の女が、つぶやくようにささやいた。彼女――レシガの視線の先にはまだ何もない。だがそれから数秒とたたないうちに、突如地平の彼方に一人の男が現れた。
 空に溶け込むような濃い灰色の髪、茶系で統一された服。それはこの場所をまるで象徴するかのようだった。しかしここにはないものを彼は持っている。圧倒的な存在感を。
「おはよう、プレイン」
 まだ声など届かない距離で、彼女は口を開いた。その金色の瞳は力強く輝き、やってくる男を捉える。ワインレッドの髪がさらりと揺れた。
「私が四人目か」
 音もなく近づいてくると、プレインは何の感情も浮かべていない瞳でそうつぶやいた。しかしそれに慣れきってしまった三人は、各々いつもの表情を浮かべる。
「そうだな。後はラグナだけだ。あいつが一番手ひどくやられていたからな」
 麗しく爽やかに微笑しながらイーストは髪をかきあげた。その動作につられてか、レシガも気怠そうにその長い髪を後ろにやる。しかし彼女は何も言わなかった。ただ面倒そうな、疲れ切った視線を投げかけるだけだった。
 そんな中、彼女に寄り添うようにしてブラストがにんまりと笑う。
「そうそう、ラグナひどかったもんねー。でもあいつ馬鹿みたいに体力あるからすぐに復活するさ。そう思うだろ? レシガ」
 砕けた口調で明るく尋ねながら、ブラストはレシガの髪を一房手にとってその顔をのぞき込んだ。嫌そうに眉根を寄せた彼女はその手を振り払い、嘆息する。
「そうね。ラグナもまあそれほどかからずに戻ってくると思うわ」
 それでも彼女はそう述べて細く息を吐き出した。ブラストは満足そうに笑いながらその場で両手を大きく広げる。
「じゃあ作戦たてよ! 転生神抹殺作戦! 今度こそ、息の根を止めようよ」
「転生神?」
 忌まわしい言葉に、さすがのプレインの眉もぴくりと跳ね上がった。その目に宿るのは禍々しい程の殺気で、普通の人間なら凍り付くようなものだった。だが三人は全く動じない。
「ええ、そう。また転生してたらしいわ。ただまだ力を取り戻しきってはいないみたい」
「その辺は未知数ではあるけどね」
 拳を握って回り出すブラストを無視して、レシガとイーストはそう告げた。それだけで事態を察知したプレインはまたもとの無表情に戻り、動き回るブラストに向けて静止するよう手で合図する。ブラストは渋々と三人の方へ戻ってきた。
「ならば試せばいいだろう。適当に部下でも送り込め」
 そう言ってから何かを思いだし、プレインは失笑を浮かべた。その理由がわからずレシガとイーストは目を合わせる。
「そうだったな、お前たちは部下思いの慎重派だった。ならば私の部下を行かせよう。私が優先するのは部下よりも時間だ」
 言い捨てるようにそう告げると、プレインは踵を返した。翻った衣服の裾がかすかな音を立てる。
「ちょっとプレインってばー。またそうやって勝手に一人でやろうとする。君の部下ってまだちゃんと揃ってないでしょう? 僕の貸すからそれ使いなよ。オルフェに指揮執らせたらいいんじゃないかな、シレンとアユリの顔も知ってるし」
 そんな彼を引き止めて、ブラストはさもおかしそうに笑った。仕方ないなと言わんばかりの態度にプレインは目を細める。だが争う気はないのか、彼は嘆息しうなずくだけだった。ブラストはいたずらな瞳のままその場でくるりと回り、人差し指を天に向かって突き出す。
「それじゃあ決まり! あとは僕が適当にオルフェに言っておくね。その報告待ってから、作戦を立てよう。その間に部下集めなり何なりやってさ」
 わざとらしい程の明るい声をブラストは上げた。その横顔を一瞥してプレインは去っていく。茶色い大地の中に、彼の姿はすぐにかき消えていった。音もなく。
「勝たなければいけないのは事実。でも勝利した後に残されたのが自分だけなら、それでは意味がないのよ」
 レシガの切なるささやきは、なま暖かい風に運ばれていった。



 緊急を告げる警告が久しぶりに鳴り響いたのは、二月に入り少ししてからのことだった。晴れ渡った空をぼんやりと眺めていた滝は、はっとして大きな椅子から腰を浮かせる。司令室のモニターに映し出されたのは空のみ。他には何も映っていなかった。そのことに疑問を持ちつつ彼は傍らのレンカと顔を見合わせる。
「魔族だ。かなり大勢が上空にいる。すぐに準備しろっ」
 するといつものように勢いよくレーナが部屋に飛び込んできた。彼女は待機中の面子を確認すると、滝にちらりと視線を送る。彼はうなずき、立ち上がった。
「それじゃあダンとすい、サイゾウとローライン、アキセとサホは先に向かってくれ」
 彼の呼びかけに、名を挙げられた六人は一斉に走り出そうとする。が、それを制止するように手を伸ばしてレーナが声を上げた。
「奴らはかなりの上空にいる。おそらくこちらの出方をうかがってるのだろうが、どこに降りてくるかわからないから注意しろ」
 彼女の忠告に振り返る六人。彼らは目でうなずくと再び駆け出し司令室を飛び出していった。廊下に響く足音を聞きながら、滝はレーナを見る。
「何が狙いなのか、予想はついてるのか?」
 彼の問いに、彼女は目を細めてゆっくりと首を横に振った。力無く、というよりは、確証などないとでも言っているかのようなその様子に、彼は眉をひそめる。
「五腹心は来ていないし、動き出してもいない。だからおそらく転生神つぶしではないだろうと思うのだが、しかし言い切ることはできない。今のところはこちらの実力を計りに来てるのではと予想してるがな」
 レーナはモニターの方を一瞥した。まだそこには空しか映っておらず、それだけならば平穏そのものだった。滝は小さく息をもらしながらレンカと目を合わせる。
「あちらの気持ちになってみればいい。まだ完全な復活は遂げてない強敵がいたら気になるだろう? じゃあどれだけの力を取り戻してるのかって」
 苦笑するようにそう述べてレーナははちまきを締め直した。最初は違和感しか発していなかったそれも、今では当たり前の小物となって彼らには映る。彼女の口の端がゆっくりと上がった。
「ではわれも行く。他の奴らに指示を出したらお前らはできるだけ後方で戦えよ? 転生神が奴らの狙いだ。認識されれば攻撃が集中する可能性がある。まあ、そんなことはわれがさせないがな」
 この状況には似つかわしくない不敵な笑みを、彼女は浮かべていた。その理由がわからない二人にはかまわず、彼女はすぐに駆け出す。否、瞬時に姿を消した。目に焼き付いた残像だけが、彼女はつい先ほどまでそこにいたことを物語っている。
「滝、早く放送で呼びかけましょう? 私たちは私たちの役目を果たさなきゃね」
 微苦笑しながらレンカはそう言い、コンソールの方へ向かっていった。モニターに映る空には、依然として変化はなかった。

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