white minds

第二十四章 切れない鎖‐5

 レーナが捕らえられ、ユズがやってきたその次の日。朝日が昇ると同時に彼らは基地の前に集った。
 目的は一つ、レーナを助け出すため。
 乗り込む者として選ばれたのは八名だった。ユズとアースは言うまでもないが、他には滝とレンカ、シンとリン、青葉と梅花の六名だけである。ユズが言うには乗り込むのはアスファルトの研究所であって魔族界ではないそうだが、しかしそれでももちろん人数が多いに越したことはない。だが逆に、それだけのことを成し遂げられる度胸の持ち主も多くはなかった。また地球の守りをおろそかにするわけにもいかず、結局このような人員配置となったのだ。
「これから乗り込むわよ」
 八人の中心に堂々と構えたユズは、不敵に笑って皆の顔を見回した。ゆるやかな風に揺れる茶色い髪は、軽やかに肩の上ではねている。
「その……乗り込むって具体的にどうするかは聞いてないんですが。ここからどうやって行くんですか?」
 至極もっともなことを滝は尋ねた。相手は途中で消えてしまったのだから定かではないが、地球にいないことは間違いない。もちろん彼らは宇宙へなど行けやしない。
「そうよね……やっぱりあなたたちは宇宙飛べたりしないのよね?」
「飛べません、というか地球脱出できないと思います。結界もありますし」
「じゃあやっぱり私が移動させるしかないかー」
 勢いよく首を横に振る滝に、ユズは苦笑を浮かべながらつぶやいた。その摩訶不思議な響きに七人は首を傾げる。
 移動させる、とは……?
 その疑問を目に宿してレンカはユズに視線を向けた。するとユズはすぐに気づいて、彼らと同じように不思議そうに小首を傾げる。
「あれ? お姉さまたちは見たことありません? ほら、瞬間移動みたいにぱっと消えたりするのを」
 ユズはそう言いながら細長い人差し指をリズミカルに振る。思い当たる出来事はあった。レーナが突然現れたり、退却する魔族の姿が突然消えたり。その光景を頭に描きながらレンカは小さくうなずく。
「見たことは……あるけど。でも他人を移動させることなんてできるの?」
「そんなに経験はないけどできますよー。さすがにこれだけの人数ってのは心配ですけど、でも大丈夫です。だってお姉さまたちですし」
 レンカに対してだけ、ユズの口調は丁寧だった。当人曰く顔が同じなのに喋り方を変えろというのは無理なのだそうだ。端から見ればどこか訝しげな状態ではあるが。
「理由がちょっと心配だけど、でもそれしか方法がないなら仕方ないわよね。みんなも、いいわよね?」
 六人を順繰りにレンカは確認した。皆は静かな闘志を燃やしたまま目だけでうなずく。また緩やかに風が吹き、巻き上げられた粉雪が頬に触れた。だがその冷たさも今は心地よい。あらゆる感覚が冴え渡っていくように、意識が研ぎ澄まされていく。
「じゃあ行くわよ。みんな、体の周りを覆うように結界張ってね。降り立つのはとある小さな星の、その上だから。残念ながらそこには空気はないからね。あ、大丈夫、研究所にはあるから」
 伸び上がるような、凛としたユズの声が雪面を撫でていった。決意を胸にうなずいた彼らの体が、うっすらと白く輝く。
 そして、消えた。



 予感が、気配が、突然現れた。
 イーストを追い出したばかりのアスファルトに、それはひどく重く感じられた。体の芯がぎりぎりと痛み、きしんでいるようだ。彼は使い慣れた机を指で叩く。
「ここまで辿り着くのに……数秒だな」
 もれた言葉はかすれていた。侵入を拒む術などないとわかっていたから、彼はただ黙ってそこに立ちつくす。
 再会は、唐突に。
 勢いよく明けられた背の高い扉。そこに立っていたのは見慣れた、だが久しい女だった。年の頃は二十代前半の、凛とした強さを持つ美しい女。その顔が今は怒りに満ちている。
「アスファルト」
「久しぶりだな、ユズ」
 研究室を一陣の風が吹き荒れた。冷たく凍りつくようなに張りつめた、それでいて甘さを含んだその風は胸の痛みを呼び起こす。
 心の、風。
「レーナを返してもらうわよ」
「お前のものじゃないだろう?」
 彼の言葉に、ユズの口の端がゆっくりと上がった。それと同時にアスファルトの眉がぴくりと跳ね上がる。それは繰り返された構図。
「あの子は、私の娘よ」
「ならば私の娘でもある」
「あの子には今帰る場所があるの。あの子が帰る場所はここじゃないの」
 流れるのは悲しみの旋律。繰り返された問答の行き着く先はどこにもない。ぶつかり合った視線は、それなのに互いの真実を伝えはしない。
 アスファルトは微笑した。いつにないその表情は美麗ですらあった。ユズは強く唇を結び、後方を一瞥する。
「早く行って、その奥に部屋があるから。そこに、レーナがいるわ」
 彼女の後ろには七人が控えていた。うなずいたアースがその横を擦り抜けていく。
「あなたの相手は、この私よ。邪魔はさせないから」
「ユズ」
 アースの行く手を阻もうとするアスファルトの腕を、ユズが捕らえた。それが、合図となった。二人は同時に動き出し、戦闘が始まる。
 だがそれは不思議な戦いであった。周囲を破壊しないよう、相手を殺さぬよう、しかし自由にさせまいとするその動きは、踊るようになめらかだが鋭さがない。
 その脇を、滝たちが駆け抜けていく。滝は二人の動きを警戒しながらアースたちを急がせた。よくわからない機器の間をくぐり抜けて、アースたちは研究室の奥を目指す。
「くそっ、鍵がかかっているのか」
 壁の間にかすかな隙間を発見し、アースはそれを押した。だがびくともしない。彼は少し後ろへ下がると、思いっきりそこを蹴り上げる。
 耳障りなきしみとともに、壁の一部が奥へと倒れた。中から小さく息をもらす音が聞こえる。
「侵入者!?」
 扉だったもののすぐ側には、山吹色の髪の青年――輝慎弾が立っていた。幾つもの明かりに照らされた部屋は思っていたよりも暖かく、ほんのりと漂う花らしき香りも心地よい。アースは眉根を寄せつつ、立ちふさがる輝慎弾に目を向けた。
「ここはオレたちが引き受けるから、アースはレーナを」
 シンがアースの隣に立ち、剣を構えた。その斜め後ろには同じく剣を携えた青葉もいる。
「すまぬ」
 アースが飛び出すのと、シンが動き出すのは同時だった。中へ駆け込み身を低くして輝慎弾の蹴りをかわしたアースは、奥へと飛び込む。それを阻もうとする輝慎弾には、シンが斬りかかった。狭い場所では接近戦の得意な者の方が有利だ。
「レーナっ!」
 隠し部屋の奥、毛布の敷かれた台の上にレーナは横たわっていた。アースは彼女の側に走り寄ると、ゆっくりとその体を抱き起こす。揺れた髪が音を立てた。
「お前っ、こんなところで寝る奴があるか!」
 横向きに抱きかかえると、彼は彼女の耳元で怒りの声を上げる。安堵と、やるせなさと、どうしようもない何かがこみ上げて彼は顔をしかめた。彼女は、うっすらと瞼を開く。
「アース? よかった、思ったよりも早く会えた。うん、どうせだから体力回復しておこうかと思って」
「だからって寝るな! ……心配して損した気がするだろう」
「ありがとう……そしてすまない」
 彼女は寂しげに微笑むと彼の首に腕を回した。そんな顔をされれば、彼はもう責めることができない。少し口角を上げて、彼女を抱きかかえたまま彼は後ろを振り返った。
「レーナ奪取に成功しました!」
 その彼と目があったのは梅花だった。心底嬉しそうに微笑んで彼女は滝に報告する。ユズたちの様子をうかがっていた滝は、彼女の言葉に安堵の息をもらし皆の顔を見回した。
「ユズさん、任務完了です」
「了解、撤収」
 滝とユズの声が研究室に響き渡る。そうはさせまいとするアスファルトの前にはユズが、輝慎弾の前には青葉と梅花が立ちはだかった。目的を達成したのならば即退却が原則だ。他の魔族に気づかれる可能性も否定できないのだから。
「アース、さっさと行けよ」
「お前に言われなくても行く」
 青葉の横を、レーナを抱えたままアースが走り抜けていく。二人の護衛としてはシンとリンが側についていた。アースの前をリンが、後ろをシンが守る。
 警戒するシンの目と、レーナの行方を口惜しそうに眺めるアスファルトの目が一瞬あった。刹那、よくわからない違和感を覚えてアスファルトの顔が怪訝そうに歪む。
「外で待っててね、アース」
 だがその違和感はすぐにユズの言葉でうち消された。研究室を去ろうとするアースたち四人に、彼女は背中越しに声をかける。複数の足音が遠ざかっていった。それでも彼女の視線はただ一点、アスファルトに注がれている。
 アスファルトは奥歯を噛みしめた。脳裏をよぎる光景は、いつのものだっただろうか。この吐き気は、何を意味しているのだろうか。
 彼は答えを求めて目を細める。
 対峙する二人の横を、今度は滝とレンカが擦り抜けていった。もうアースたちは既に基地の外だろう。一つの『終わり』が近づいている。
「青葉、梅花、こっち来て。一気に抜け出すから」
 叫ぶユズの声は凛々しくもあり悲しくもあった。そして不思議なくらいに澄んだものでもあった。輝慎弾との距離を一定に保ちながら、青葉と梅花はじりじりとユズに近づいていく。
「またね、アスファルト」
 彼女の言葉を最後に、三人の姿はかき消えた。慌てる輝慎弾の隣で、アスファルトは盛大なため息をつく。
「お、追いかけなくてもいいんですかっ、アスファルト様!?」
「無駄だ、あいつの移動距離、速度は尋常じゃない。もうこの星にはいないだろう」
 わかっていたのだ。彼女がここに来れば失うということくらいは。ただその時期がいつであるか、それまでに何か変化するのか、それがわからなかっただけで。
「アスファルト様……?」
「しかしこれからが大変だぞ。五腹心が何を言い出すのか、わかったものじゃない」
 どうしてこうも、うまくいかないことばかりなのだろう。
 彼の顔に浮かんだのは自虐的な微笑みだった。灰色の研究室に、静寂が戻った。



 基地へ戻った九人を待ち受けていたのは、祝福だった。
「待ちわびましたよ、滝先輩」
 白い巨大な建物の前で、よつきが歓喜の声を上げる。彼の他にもかなりの数の神技隊が外に出ていた。そのことに苦笑しながら滝はアースを一瞥する。
「悪いな。だがまあ、作戦成功ってところだ」
 滝の言葉で、皆の視線はレーナに集中した。アースに抱きかかえられたままの彼女は、言葉を探しながら柔らかく微笑む。
「えーと、その、お騒がせして悪かったな?」
「世界が破滅に向かうんじゃないかと本気で心配したって」
「……それは複雑な言葉だが、一応礼を言っておこう」
 珍しく生真面目な顔をするダンの返答に、レーナは眉をひそめつつまた笑った。笑顔が彼女の代名詞なのか、彼女が笑顔の代名詞なのか最近はわからなくなってきている。
「でもこれで終わったわけじゃあないわよ。これからが、本番なんだから」
 今まで黙していたユズが、不気味な程静かな声を発した。揺れる茶色い髪の陰でその表情はうかがえない。予言のような声だけが風に乗って運ばれるだけだ。
「ユズさん?」
「そうでしょう? レーナ」
 滝の問いを無視してユズはレーナに目を向ける。再会してから顔をきちんと合わせたのはこれが初めてだ。互いの奥底を見透かそうとする視線が、混じり合いぶつかり合いはじけあう。風がひゅうと音を立てた。
「そう、これからが本番。始まりが終わっただけだ」
 流れるような調べが風にとける。静まりかえる仲間たちの中でレーナとユズは何かを伝え、何かを隠していた。
 終わったのは序曲。これからが全て。そしてその先にある終曲を……二人は見ていた。
「レーナ、話はあとでじっくり聞くからね? 貸してくれるわよねー? アース」
 ユズはつっと目線をアースに向ける。彼女の有無を言わせぬ笑顔に彼は凍り付いた。だが彼女を抱く手に力を込めて、彼は重い息を吐き出す。
「……できればしばらくは離したくない」
「あら仲のよいことで。貸してくれるわよねー?」
「……」
 助けを求めたくて視線をさまよわせたアースだったが、皆はただ曖昧に微笑んでいるだけだった。強い者には、怖い者には逆らわない。この数ヶ月で学んだことである。
「われはユズも休んだ方がいいと思うぞ? 大人数を移動なんて大仕事したんだから。まさかここまで危険なことするとはわれも思わなかったよ」
 助け船を出したのは当のレーナだった。苦笑気味な彼女に、滝たちは眼差しを移す。無茶が基本のレーナが『危険』という言葉を発するのは、身の毛もよだつものがあった。何かとてもとても嫌な予感がしてくるのだ。
「えーと、レーナ。試しに聞いてみるんだが、あの瞬間移動みたいな奴ってどういう理屈で働いてるんだ?」
 魔族や神、レーナぐらいしか使っているのを見たことがない、というのが引っかかった。おののきながら尋ねる滝に、彼女は小首を傾げる。
「知らなかったのか? あれは体の情報を全て『核』にしまい込んで、その『核』を行きたい場所に移動させて、そこで体を再構成するんだ。『核』は楽々時空飛び越えられるからな」
 核という単語に梅花が反応する。一つの予想が頭をよぎり、彼女は口を開いた。
「つまり核の状態では生きられない人間は、下手すると死んでたかもしれないってことよね?」
「ああ、そうだ」
 間が生まれた。ピシッという、何か聞こえてはいけない音が響いた気がした。その後我に返った皆は思い思いの行動を取る。頭を抱える者、遠くを見やる者、無事を喜ぶも者と千差万別だった。その中で怒りを露わにした青葉が勢いよくユズに詰め寄る。
「どの辺が大丈夫だったんすかー!?」
 肩を掴んで揺さぶる青葉に彼女はへらへらとした笑みを向けた。だが前後左右に揺れる髪がその表情を覆い隠している。
「言ったでしょ? お姉さまたちだから大丈夫だって。ほら、神みたいなものだし」
「いや、かなーり危険だったでしょう。ほら、シンにいやリン先輩は人間だし!」
 青葉はびしっとシンとリンを指さした。それまで半眼でどこかを眺めていた二人は、その気配に気づき青葉たちの方を振り返る。ユズは不思議そうに頭を傾けた。
「人間なの? 十分神っぽい気配漂ってるけど」
「……そこに疑問を持たれるとオレたち一体どうすれば」
 ユズの発した台詞にシンとリンは思わず顔を見合わせる。だがなおもユズは怪訝そうにし、頭をひねっていた。冷たい風が緩やかに彼らの間を抜けていく。
「だって私、あなたとどこかで会ったことがある気がするもの」
 ユズはシンを見つめた。ただじっと、何かを懐かしむように。
 それは、また一つの歯車。

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