white minds

第二十五章 黒き刃‐6

 魔族が動き出したのを感知した神技隊は戦闘準備に入り、簡易基地のあるナイダ山へと駆けつけた。スピード上、先に到着するのがレーナとユズという点は仕方ないが、彼らも懸命に空を駆ける。
「レーナ! ユズさん!」
 彼らがそこへ到着した時、既に二人は魔族たちとのにらみ合いを始めていた。簡易基地の前に立ちはだかっているのは黒い髪をたなびかせたブラストで、いつも通り妖艶な笑みを浮かべている。
「遅いねー、君たち。もう少しでこの二人がぼくにやられちゃうところだったよ?」
「ちょっと何勝手なこと言ってるのよ。私たちがやられる? 勘違いも甚だしいわね」
 ブラストが余裕綽々の態度で神技隊らを見やると、ユズは憮然とした顔で彼の横顔をにらみつけた。どうやらまだ戦闘は始まっていなかったようだと安堵しながら、滝は周囲の様子を確認する。
 雪がまばらに残った大地には、魔族が数十人程いるだけだった。ブラストのやや後方には白い髪をたなびかせたオルフェが控えているが、アスファルトたちの姿はどこにも見あたらない。
 だが動いてはいるはずだ。ということは来るタイミングを見計らっているのだろうか。何にしてもまずこのブラストたちをどうにかしなきゃならないと、彼はそう認識する。
 五腹心に対抗できるのは、今のところはユズかレーナたちぐらいだろう。しかも梅花たちの話によればオルフェもかなりの力を持っているらしい。彼は奥歯をぎりりとかみ、自分たちがいかに不利かを実感した。
「へえ、そう。僕の勘違い? じゃあそれを証明してもらおうかなあ」
 そうつぶやくと同時にブラストが動き出した。軽く跳躍すると左手に大きな弓を生み出し、真っ直ぐユズに向かって低空を駆けてくる。
「私がどうして、神の中で恐れられていたか、わかる?」
 ブラストの弓の柄を白い不定の短剣で受け止め、ユズが小さく声をもらして笑った。彼女を取り巻く気が一気に膨れあがり、それが滝たちにも痛い程に感じられる。
「それはね、私が無茶する女だからよ。無理を通す女だからよ」
 ユズの左手の平に、光球が生まれた。その輝きが強くなり、一気に破裂する。
「それをあなたにも教えてあげるわね」
 強烈な爆風が生まれ、周囲の雪を、土を、草を巻き上げた。
 レンカと梅花がとっさに張った結界でそれを逃れた滝たちは、状況を把握しようと、刺すような痛みを堪えて目をうっすらと開ける。
 白い光の中に、少しずつ人らしき輪郭が浮き上がってきた。
「噂通りの……とんでもない神だね、君は」
「あらそう? あなたにそんな風に言ってもらえるなんて光栄だわ。ねえ、レーナ?」
 まだ目を灼くような白い光が残る中で、ブラストとユズ、レーナは対峙していた。埃をほろうような仕草をするブラストの服の裾は、やや焦げている。ユズはというと汗のにじんだ額をぬぐいながら、隣で涼しい顔をしたレーナに視線をやっていた。この三人には大した外傷はないようである。
 しかし、その他のほとんどの魔族は爆発の餌食となっていた。滝たちも結界がなければ同じ運命を辿っていただろう。
「オルフェが無事ならあとはどうでもいいんだけどさ。君、もう少しで仲間死ぬところだったよ? それとも人間はどうでもいいっていう本音が出たのかな?」
 ブラストは皮肉っぽく口の端を上げると、ねめるようにユズと神技隊とを見比べた。その様子にユズはくすりと苦笑を漏らし、憐れむような目で彼を見据える。
「冗談! お姉さまたちだから、大丈夫だろうって思ったのよ。レーナはもちろん、私のやることぐらい見抜いてくれるしね」
 自信たっぷりに放たれた言葉に、ブラストはあからさまに不機嫌な表情を浮かべた。けれどもすぐに気を取り直したのか、その口元に徐々にいたずらな笑みが漂い始める。
「君が無茶なのはよーくわかったよ。忠告ありがとう、これからは気をつけるよ。まだまだ、こちらには手駒があるからね」
 彼がそう言い終えるか終えないかというタイミングで、簡易基地の扉が音もなくゆっくりと開いた。そこから次々と、名前も知れぬ魔族が飛び出してくる。
「滝にい!」
「ああ、オレたちも戦闘開始だな」
 駆け出す青葉に答える滝。それぞれがそれぞれに動き始め、止まりかけていた時は再び流れ始めた。
 爆音が、轟いた。



 戦闘がどれだけ続いたのかリンには定かではなかった。相棒なしとなった彼女は本来なら後方支援なのだろうが、それを許さないのが現状である。青葉と梅花の後方で戦っていたはずなのに、気づけば彼女は一人で魔族を蹴散らしていた。視線を巡らせれば、遥か前方、巨大な岩の陰辺りで動き回る青葉の姿が見つかる。
 下級ばかりだから問題はないけど……体力面が問題よね。
 風で小柄な魔族を一人巻き上げながら、彼女は内心そうつぶやいた。フォローがないのだから、足下をすくわれればそれがそのまま死へと繋がる。
「でも、これくらい一人でだって」
 空へと掲げた手のひらが青白く光り、そこから大気を圧縮、拡散させたような透明な爆発が辺りへと放たれた。迫っていた魔族の大半がそれに巻き込まれ、声を上げることなく光の粒子となって消えていく。
「いつから私……精神系使えるようになったんだっけ?」
 自らの手に少し視線を落として、彼女は軽く眉をひそめながら吐息をこぼした。使えそうだとレーナに言われたのは確か秋頃のことだったが、だからといってそれから血のにじむような努力をしたわけでもない。ただいつの間にか、操る風の色が変わっていた。空気ではなく、本来は存在しないはずの『精神の風』となっていた。
「まあいいか」
 考えてもわからないこともある。彼女は低く跳躍すると頭上をゆく光弾をやり過ごし、神経をとがらせた。
 と、その時――――
「え!?」
 突如覚えのある気が三つ、簡易基地の側に出現した。それは丁度彼女の斜め後ろ、肉眼で顔が判別できる程の距離のところだった。光の矢を小さな結界で弾きながら彼女は慌てて反転し、その方を見据える。
 灰色の無機質な基地の前には、白衣をなびかせたアスファルトが悠然と立っていた。谷を吹き抜ける風に巻かれた深緑の髪は流れるように揺らめき、その緑色の双眸は戦況を見定めるかのように辺りをさまよっている。
 その彼の横には鮮やかな山吹色の髪をした、幼げな青年が控えていた。何かをうかがうような疑念に満ちた表情で、周囲に目を光らせている。
 そして、
「嘘……でしょう?」
 その二人の後ろには、見慣れたはずの青年の姿があった。やや緑がかった茶色い髪は柔らかそうに風になびき、光を含んだ茶色い瞳は戸惑いの気配を帯びている。ただ羽織った黒い上着とその気怠げな表情だけが、記憶の彼にはない別の印象を与えていた。
 鋭く、硬質で、危うげな印象を。
「……シン?」
 呼びかけても聞こえる距離ではないが、彼女はその名を口にしていた。横から放たれた光の矢がその頬をかすめていく。
「シン!」
 今度は彼女は大声を上げた。無意識に張った結界によって後方からの炎球がはじき返され、火花を散らしながら空気へと帰っていく。
 声に気づいたのか、アスファルトがどこか物憂げな顔で彼女の方を振り向いた。それにつられて、残りの二人もすぐに彼女の方へ眼差しを向けてくる。
 目を合わせてはいけないと、自分であって自分ではない誰かの告げる声がした。だがその忠告に彼女は反してしまった。
 ついこの間まで傍らにいた青年と、視線が触れ合う。
「シン?」
 だが彼は、シンは、訝しげな顔で眉根を寄せただけですぐに目をそらしてしまった。それは見知らぬ者と目を合わせた時の仕草と、何ら変わりなかった。
 予感が、警告が、彼女の中を駆け抜けていく。
「リン先輩!」
 立ちつくしている彼女の背後から、梅花の叫ぶ声がした。おそらくこちらの変化に気づいたのだろうが、戦闘中であることを考えればさすがとしか言いようがない。リンは泣きたい気持ちで振り返った。
「梅花……」
「リン先輩、そのままでいてください!」
 声を発すると同時に梅花は右手を前方に掲げ、そこから白い光の柱を放った。それはリンのすぐ左を通り抜け、大柄な魔族を一人葬り去る。
「大丈夫ですか!?」
 リンのもとまで駆けよってきた梅花は、基地のすぐ側にいる三人の姿に気づき目をやった。そして小さく息を呑んだ。
 彼女は、瞬時に全てを理解したようである。かばうようにリンの前に立ち、迫り来る敵に目を光らせた。
「梅花!」
 その後方からはさらに青葉の声もした。走り寄ってくる足音を聞きながら、リンはただ自らを落ち着かせようと息を整える。動揺は精神の不安定をもたらし、それは技の発現に影響する。
 このままでは単なる足手まといだ。
「あ、来たんだね」
 そこへ、圧倒的な存在感と禍々しい気を放ちながら、ブラストが空から降り立った。彼はアスファルトの斜め前に着地すると、一見無邪気な笑みを浮かべながら、リンたちの方を一瞥する。
「そんなところに突っ立ってないで手伝ってよねー、僕だって少しは休みたいんだから。ほら、あそこに転生神たちがいるから、今のうちに倒しちゃってくれない?」
 ブラストはけたけたと笑いながら、完全に事態を面白がっているようだった。アスファルトは、その転生神の顔を一瞥して、困り果てたように微苦笑を浮かべている。
 アスファルトに輝慎弾、ブラスト、そしてシン。
 感情抜きにしても強大すぎて目眩のしそうな相手だ。リンは震えそうになる拳を硬く握り、傍までやってきた青葉にちらりと視線を移す。
 彼もすぐに状況に気づいたのだろう、どこか泣きそうな顔で唇を噛みしめ、簡易基地の方をにらみつけていた。
 全てが最悪の道を突き進んでいる。
 そんな気さえするこの皮肉な事態は、各々の心を深くえぐっている。
 そこへリンたちにも応援はやってきた。
 三人の前に降り立ったのは、鋭い気配をたたえたユズである。だがその左腕は鮮血に染まっており、顔色は青かった。傷はどうやら既に塞いであるようだが、出血量がかんばしくないのだろう。彼女はブラストをにらみつけながら、悔しげに強く唇をかんだ。
「ねえ、ほらアスファルト。転生神を倒しちゃってくれない? あ、君が嫌だって言うなら君の部下たちにやってもらうだけなんだけどね」
 ブラストはそんな視線など意にも介せず、アスファルト、そして輝慎弾とシンに微笑みかけた。有無を言わせぬその瞳の輝きに、輝慎弾は大地を蹴る。
「シン、君もだよ」
「……」
 追い立てるようなブラストの声音。シンはアスファルトを一瞥してから、音もなく跳躍した。面倒だという感情だけを宿した双眸は、何を考えているのか読みとらせない。
「来たわよ」
 ユズの一言に、リンは顔を強ばらせた。すぐさま迫ってきた輝慎弾には梅花が対応し、白い不定の短剣でもってその勢いを殺す。そして――――
「シンっ!」
 続いて迫ってきたシンに、リンは悲痛な叫びを浴びせた。だが彼は少し眉をひそめただけで、無言のまま炎の剣を繰り出してくる。自分に向かってくる赤黒い刃を、リンは夢でも見ているような気分で眺めた。時がひどくゆっくり流れるように感じられ、別世界のことのように思われる。
「シンにい!」
 青葉が声を上げながらリンの前に飛び出した。シンの不定の剣と青葉の剣がぶつかり合い、耳障りな音が生まれる。
「何だよ、どういうことだよ、シンにい!」
 必死の呼びかけが、胸に痛い。この二人の戦いを見たのは初めてではなかったが、今までとは決定的に違う何かを感じて、リンは震える拳を押さえつけた。シンから放たれる気は慣れ親しんだものに近いが異質でもあり、そして何より相手を突き刺す鋭さを持っている。
「……っ!」
 彼女の後方で、声にならない梅花の悲鳴が発せられた。その気配に気づき、リンはとっさに腕を伸ばす。その手から生み出された結界が梅花を覆い、その間近まで迫っていた輝慎弾の光球をはじき返した。驚きに見開かれた輝慎弾の瞳が、リンに向けられる。
「よくわからないけど、でも、これ以上、誰も失いたくはないのっ」
 リンはがむしゃらにそう叫ぶと思い切り土を蹴り上げ飛び上がり、渾身の力で輝慎弾に体当たりした。まさかそうくるとは思っていなかったのだろう、あっさり直撃された輝慎弾は彼女もろとも大地を転がる。
「輝慎!」
「ぐぁっ」
 シンの声と青葉のうめき声が同時に辺りに響いた。
「リン先輩――!」
 続けて放たれる梅花の警告の叫び。
 シンダライケナイ、コロサセテハイケナイ。
 自分であって自分ではない誰かの声に、リンは首を横に振りながら、それでもとっさに左へ体を傾けた。
 刹那、鋭い何かが自分に突き刺さる感覚に、彼女は息をこぼす。
「シン?」
 振り返った先にあるのは、見慣れていたはずの顔。彼の手にあった不定の剣が、彼女の右肩を貫いていた。
「シンは、この子を、助けっ、たい、の?」
「な、お、お前は誰だっ」
 体から力が抜けていく中で、彼女は必死にそう問いかけた。泣きたくて、それでも泣いてはいけない気がしてその衝動を堪えながら、彼女は唇を震わせていた。何故か驚いた顔の彼は、おののいたように声を上げながら目を瞬かせている。
「そう、なの?」
 溢れ出した赤い生命の液体が、指の先からこぼれ落ちていく。尋ねながら視界がぐらつくのを彼女はぼんやりと意識した。
 死んだら、いけないのよね……?
 自問する声は胸の中にだけ響き、答える者はいない。
「リン先輩っ!」
「くそっ……」
 梅花が駆けよってくると同時にシンはその場を飛び退いた。彼が額を手で押さえる姿を、リンは傾いていく視界の中でうっすらと感じ取る。
 だがすぐにそれも霞んでいき、彼女の意識は暗闇に落ちた。

◆前のページ◆   目次   ◆次のページ◆

このページにしおりを挟む