white minds

第二十六章 決断‐2

 額に汗を浮かべて眠りにつく息子を、アスファルトは見守っていた。慌ててこしらえたベッドに寝かされたその体は、ひどくぐったりとしている。ちらりと左の小さなモニターに目をやると、緑色の波形が不規則に描かれていた。アスファルトは唇を結んだまま眉根を寄せる。
「アスファルト様……シンは大丈夫なんですか?」
 後方で壁に背をあずけていた輝慎弾が、そんな彼へ遠慮がちに声をかけてきた。アスファルトは小さくうなずき、長い前髪をかき上げる。
「大丈夫だと信じるしかないだろう。まったく、あの馬鹿ブラストが信じがたい馬鹿をしてくれたおかげで、こっちはとんでもない迷惑だ。大体、少し考えればわかることだろう。生きてる奴に自分の情報埋め込んだらおかしくなることぐらい」
 彼はそう毒づきながら、左手前にある簡素な金属器機に手をかけた。それは数日前即席で作ったものだが、見た目はただの小さな箱にスイッチと画面がついているだけである。だがその機器は精神の状態を波形で表すことができた。遥か昔にも作ったのを記憶でコピーしたもので、本物の方はユズが勝手に持ち出して今は行方不明である。
 彼は、一つ大きなため息をつく。
「意識を保っているのがおかしいくらいだ。本当、奇跡だ」
 そうつぶやきながら息子を見下ろす瞳は、深い色をしていた。森を宿したそれは光を浴びて様を変えるように、複雑な色を呈している。
 死から逃れたが故に失ったのは、記憶。自分の遥か過去を鑑みれば、それがいかに辛いことか彼はよく知っていた。自分がいかなる存在なのか、何故ここにいるのかわからなければ、胸に巣くった不安はどんどん膨らんでいく。
「アスファルト様……?」
 気遣わしげな輝慎弾の声に、アスファルトはまたゆっくりとうなずいた。心配はかけたくないが、生まれくる感情を押し殺すのは容易ではない。彼は自らを嘲笑いたい気持ちを抑えて、深く息をした。
「この安定剤が効くのはいつまでだろうな……」
「そんな! アスファルト様の薬なら大丈夫ですよ! それよりも、どうして急に調子が悪くなったんでしょう? それまでは全然問題なかったのに」
 輝慎弾は慌てて声を上げ、アスファルトの傍によりその顔を見上げた。その動揺ぶりに苦笑しながらも、アスファルトは口を開く。
「おそらく、記憶を引っ張り出す何かに触れたのだろう。そのせいで混乱が生じたと考えるのが妥当だろうな」
 頭痛持ちとは難儀だなと冗談を交えながら、彼は一度瞼を閉じた。このままではまずいという予感が体の中をうごめいている。
 イーストから告げられた命を、彼は輝慎弾には告げていなかった。ただ胸の内に秘め、どうするべきか悩んでいた。
 否、もう道は決めていた。
 ただそれをどう切り出すか、どう切り出せば動揺を抑えられるかと悩んでいた。
 もっと早く決断していればと今さらながら思うが、それはどうしようもないことだ。
「輝慎」
 アスファルトが振り向く。その深い緑色の瞳は静けさを宿しながら、彼は家族同然の青年を見据えていた。輝慎弾は息を呑み、放たれる言葉を待つ。
「次の戦いは、おそらく最後のものとなるだろう。お前は五腹心たちの隙をうかがって、シンを連れて逃げてくれ」
「――――え?」
 信じがたい通告に、輝慎弾の思考は止まった。呆然とする彼を見守りながら、アスファルトはほんの少しだけ微笑んでいる。
 どうして?
 そう目だけで問いかける輝慎弾に、アスファルトは小さくうなずいた。そして困ったように微苦笑し、おもむろに口を開く。
「次の戦い、私はあの宮殿を落とさなければならない。成功させなければ奴らに喰らわれるらしい」
「そんな!?」
「馬鹿げた話だな。どっちにしろ死んでくれということだ。遠回しになど言わずはっきり告げればいいものを。だがまあ私も簡単に死んでやるつもりはない」
 動揺に瞳を揺らす輝慎弾の肩を、アスファルトは軽く叩いた。そして、落ち着けと言わんばかりの仕草で頭をなでると、歌うようになめらかな声でゆっくりとささやく。
「お前たちをかばってやる余力まではないんだ。奴らに喰らわれないよう努力するだけで、な。だからお前はシンを連れてレーナの所へ逃げろ。あいつならかくまってくれる」
「あ、アスファルト様は、魔族を裏切れというのですか!?」
 それは心を凍らせるような、強い衝撃だった。輝慎弾は唇を震わせながら、何度も何度も首を横に振る。
「できません、いくらなんでもそれは無理ですっ!」
「輝慎……私がいなくなればお前たちを守る者がいなくなるんだ。最悪、お前も誰かに喰らわれる可能性がある。シンはこのまま放っておかれればそれだけで致命的だしな」
「そんなっ」
 嫌だと、信じたくないと、そんなの嘘だと叫びながら輝慎弾はうつむいた。小刻みに揺れる肩を撫でて、アスファルトはなおも言葉を続ける。
「もっと早く決断すればよかったのだ。こんな瀬戸際まで追い込まれる前に。私も、あいつも、結局は魔族というものを、神というものを捨てきれなかったのだろうな。だからこそこんな馬鹿げたことになった」
 いいか輝慎、とアスファルトは優しくささやいた。
「お前が失いたくないものは何だ? 守りたいものは何だ? 魔族としての誇りか? 居場所か? 愛する者か?」
 輝慎弾ははっとし、固唾を飲み込んだ。そしておそるおそる顔を上げ、すぐ傍にあるアスファルトの瞳を真っ直ぐ見つめる。
「私が守りたいのは愛するもの、家族だ。だからそのための道を選ぶ。このままではお前もシンも危険の中に取り残してしまうだろう。私はそれを望まない」
「アスファルト様……」
 思いを告げるアスファルトの瞳は、今まで見たこともない程に優しい色を帯びていた。そこには決意を固めた者にのみ宿る強さと、温かさがある。
「だからお願いだ、シンを連れて逃げろ。いいな?」
「でっ、でもそれじゃあアスファルト様は!」
「私のことは気にするな。奴らのために死んでやるつもりはない」
 そう言い切るとアスファルトはまた眠るシンに視線を戻した。呼吸は苦しそうだが、顔色は幾分かよくなっている。
 決めたからにはやらなければならないことがある。あらゆる可能性を考え、準備をしなければ。
 彼は肩の力を抜くとおもむろに歩き出し、慌てる輝慎弾を一瞥した。
「輝慎、作戦会議だ」
 そう言い放つ彼の口元には、不敵な笑みが浮かんでいた。



 魔族の襲来から二週間程がたった。
 各々の怪我も癒え、少しずつだが基地も通常の状態へと戻りつつある。無論各人の心境が落ち着いたかどうかは定かではないが、それでも表向きには平穏な様子であった。
 だが、終曲は突然流れ始める。
「動き出したか……」
 いつもと変わらず静けさに包まれていた司令室で、レーナがぽつりとつぶやいた。その声を拾った滝は、緊張に顔をゆがめながら彼女の方を振り向く。
「レーナ、動き出したって、魔族か?」
「ああそうだ。残念なことにこれは相当の大軍だな」
 言葉の内容とは裏腹に、告げる彼女の横顔は不思議なくらい冷静だった。二人の会話が聞こえていたのだろう、待機していた面々の顔もやや強ばっている。
「ラグナとプレインが動き出した。もちろんアスファルトたちもだ。これはまた、ひどいことになるなあ」
 他人事のようにぼやく彼女はモニター前のコンソールに近づくと、パネルをいくつか叩いて画像を切り替える。そこには地球――青い点――に迫る赤い点が無数にあった。それは、魔族の数がいかに多いかを端的に表している。
「警報もじきに鳴る。お前らちゃんと準備しておけよ? あと……そうだな、二十分ぐらいはあるだろうが」
「そうか、あの簡易基地は壊れたんだったよな」
 彼女が真顔のまま振り返ると、滝はその事実を思い出しうなずいた。レーナの余裕はそのせいもあるのだろう。そう自らを納得させ、滝はおもむろに立ち上がる。椅子が小さく音を発した。
「ああ、だからまだ時間がある。できれば神側とも連絡を取っておきたいところだが……この間のことを考えれば難しいだろうな。アルティードにすぐ繋がればいいのだろうが」
「やってみるか?」
「それは私がやるわ」
 声が、司令室の入り口からすっと割り込んできた。自然と皆の視線が集中し、はっとした気配が辺りを覆う。
 そこにいたのはユズだった。
 前回の戦いから空いた部屋にこもりきりだった彼女は、今まで姿を見せていなかった。回復中なのだろうと皆は判断していたが、それにしても全く見かけなかったので心配していたのである。
「ユズさん、もう大丈夫なんですか?」
「私はとっくのとうに大丈夫になってるわよ。それよりもアルティードたちに応援を要請したいんでしょ? だったら私が適任よね。笑顔で威圧しながら、出して、って頼めばいいんだから」
 ユズはそれまでと変わりない様子であった。だがそれでもレーナは何か感じるところがあるのか、一瞬困ったように顔をしかめて、それから小さく吐息をこぼす。
 滝はそれを視界の端に収めながら、ユズの様子を観察した。はつらつとした笑顔に強気の発言、自信たっぷりの口調。それらから判断するに何も気遣う必要ななさそうであった。だが何というか、張りつめたものがその背後にあるのも、かすかにだが感じ取ることができる。
「……そうだな、威圧かけるならユズが適任だな。今回はやはり神側にも少しは動いてもらわないとまずいだろう。頼めるか? ユズ」
 レーナがしっとりした声で、ほがらかに微笑んでそう問いかけた。もちろん、と胸を張って答えたユズは、足取り軽くモニターへと向かっていく。
「あ、滝にお姉さまたちはどこか隠れててね。やっぱり産の神に見つかっちゃうと色々面倒だから」
 振り向いたユズの顔はどこまでも明るく、そして美しかった。滝は後方で静観していたレンカと目を合わせて、うなずきあう。
「ではわれが他の神技隊に知らせておこう。交渉中に放送というわけにはいかないからな」
 そんな彼らの傍を擦り抜けて、苦笑気味にレーナは司令室を出ていった。

 そして間もなく、後に誰もが忘れられなくなる戦闘の幕開けとなる。

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