white minds

第二十七章 生きるための力‐6

 巨大な岩がそこらに転がっている大地の上で、ラグナは苛立っていた。しきりに足を鳴らしては辺りに視線をさまよわせ、時折舌打ちをしている。
 空はどんよりとした灰色で風はなま暖かかった。それがさらに彼の神経を逆なでし、苛立ちを助長している。
「ったく、言いたいことがあるならはっきりと言え、イースト! 何でさっきからにやにやしてやがるんだお前はよ」
 とうとうしびれを切らして彼は勢いよく振り返った。その視線の先には岩に腰掛けて微笑するイーストの姿がある。何をしているわけでもないのに優雅に見えるその青年を、ラグナはにらみつけた。なま暖かい風に吹かれた空色の髪が茶色い世界に鮮やかに映えている。
「そわそわしている君を見てると楽しいからだよ、ラグナ」
「何だっててめえ! オレはお前がへらへらしてるから苛立ってんだ」
「ああ、じゃあどちらが先か考えるのは難しいな。人間の言う鶏と卵かい?」
 イーストは笑い声をもらしながら相槌を打った。ラグナは一刻も早くこの場を抜け出したいと思うが、目的を果たせないままではそれもできない。草色の髪をかきむしる彼の腕に、ひんやりとした何かが触れた。彼は嫌な予感を覚えて顔だけで後ろを確認する。
「やっぱりてめえかレシガ」
「熱くなってるみたいだから冷やして上げようかと思ってね。あなたも本当、いつになっても変わらないわね」
「それはお前らもだっ」
 レシガの冷たい手を払いのけてラグナはそう吐き捨てた。いつもは気怠い顔しかしない彼女がこういう時だけは楽しそうなのが、彼には気にくわない。
 三人はブラストとプレインが来るのを待っていた。久しぶりの五腹心会談なのだが怪我人である二人の到着は思っていたよりずっと遅い。さっさと終わらせるつもりだったラグナはそれだけでもげんなりしていた。しかも天敵である二人と一緒となればさらに機嫌は悪くなる。
「変わらないというのはすごいことじゃなくて? ラグナ」
「変わった方がいいこともあるってんだ、ったく」
 ラグナはレシガから目をそらし横を見た。するとその視界に突然、黄色い物体が出現する。
「ごっめーん、遅くなっちゃったねー。ブラストただいま到着!」
「てっめー、オレの視界にいきなり現れるんじゃねえ」
 どこからともなく飛び出してきたのは満面の笑みを浮かべたブラストだった。黒い髪を揺らしながらむやみやたらとはね回る彼は、ご機嫌な様子で周囲をうろちょろとしている。ラグナは瞳を尖らせて、レシガは面倒そうにため息をついただけだったので、イーストが立ち上がり彼へと近づいた。その気配に気づいて、ブラストは彼の方を見る。
「機嫌がいいみたいだね、ブラスト。怪我の方はもうよくなったのかい?」
「うん、もういつも通りだよー! さすがに絶好調とまではいかないけれど、十分に戦えるよ」
「それはよかった」
 ブラストがご機嫌なのは自由に動けるようになったからだろう、とイーストは判断した。今まではあのオルフェが言い聞かせて、外出させなかったのだろう。本当に苦労の絶えない部下である。
「あれ? ひょっとしてプレインもまだなの?」
 そこで面子が足りないことに気づきブラストは素っ頓狂な声を上げた。生真面目なプレインが遅れて来るというのは滅多にない。イーストは苦笑混じりにうなずき、空の彼方を見上げた。プレインがやってくる気配はまだ感じられない。
「レシガ、迎えに行ってくれないか? このままじゃあ、ラグナが噴火してしまう」
「私があの気難しいのを? 疲れるからお断りだわ」
 困ったように微笑んで仕方なく振り返ったイーストは、金色の瞳を気怠げに細めるレシガへそう頼んだ。だが彼女はあっさりとそれを断り、面倒そうにため息をつく。
 しかしイーストの悩みはそう長続きせずにすんだ。刃のように研ぎ澄まされた気が彼らへと向かってくるのを、四人はすぐに感じ取った。
「ようやく来たな」
 ラグナがそうつぶやき、口の端を軽く上げる。思い思いの顔をした四人の前に音もなく降り立ったのは、鋭い目をした灰色の髪の男だった。
「遅かったね、プレイン」
「悪い」
 誰かが文句を言う前に、イーストは穏やかに微笑んでそう告げた。ラグナに口火を切らせたらまた話が長引いてしまう。プレインは彼を一瞥すると表情を変えずに答え、その場に全員が揃っていることを再度確認した。その様子を見て、イーストは口を開く。
「じゃあ早速話を始めようか、いいかいプレイン?」
「問題はない」
「それじゃあ私が話を進めるよ」
 無表情なプレイン、苛立ったラグナ、笑顔のブラスト、気怠そうなレシガを順に見てイーストは微笑んだ。五人の中を円滑にする役目は、間違いなく彼にある。
 彼がほんの少し息を吸い込むと、周囲に静けさが広がった。
「端的に言うと、今が責め時だと私は思うんだ。あちらのやっかいな女神さんはいなくなってくれたし、疲労も蓄積してるだろうしね」
 彼の言葉にブラストが両手を掲げた。喜び勇んだその顔からは、いつにない程のやる気が漂っている。彼は今にも踊り出しそうな勢いで何度もうなずいた。
「僕は賛成だよ。というか五人が揃ったんだから、不完全な転生神なんていちころじゃない? ねえラグナ?」
「いちころかどうかは知らねぇって。だがオレらに対抗できる奴なんざもうほとんどいないだろうな。今地球神の頂点にいる奴と……あとはあの小娘ぐらいか?」
 ラグナもその瞳をぎらぎらとさせて好戦的な笑みを浮かべた。彼としては戦えるなら何の問題はないのだ。そんな二人の様子にイーストは苦笑する。
「プレインの調子はどうなの? それさえ問題なければ、私とイーストが提案してるんだから満場一致でしょうに」
 そんな中でレシガが声を上げた。五腹心で意見が分かれるのは大抵、慎重派のイースト、レシガと積極派のプレイン、ラグナが対立する時なのである。慎重派が容認するとなれば、議論にもなりはしない。
「平気だ、少なくともあの程度の転生神をひねり潰すくらい造作もない」
 プレインはそう言い切り、冷たい光を宿した瞳をほんの少し細めた。それは彼が微笑んでいる証拠なのだと、四人は知っている。
「じゃあ話は決まりだね。後は手はずを整えるだけか」
 イーストはそう結論づけて、その優雅な指先を自分の頬へ持っていった。そして一瞬レシガと視線を交わらせ、微苦笑を浮かべる。
 五人による総攻撃をこうもあっさり二人が許したことは、今までない。
 その意味を尋ねる者は、この場にはいなかった。



 五月に入れば気温もぐんと上がってくる。春の陽気に溢れた風景を視界の端に入れて、サホは手早く窓を拭いていた。廊下の掃除はいつの間にか彼女の仕事と化していて、黙々と拭くのも慣れたものである。
 草の丈も大分伸び、赤茶けた大地はその姿を消していた。見渡す限り広がる緑は、沈みっぱなしの心に潤いを与えてくれる。
 そろそろ終わりかなと思った時、彼女は緑の海の中に異質な何かを発見した。黒い影が二つ、ゆっくりと基地の方に近づいてきてるような気がする。
「誰でしょう?」
 彼女はぽつりとそうもらした。ここにやってくる者はまずいないし、いたとしても神の誰かといった具合だ。草原の向こうから尋ねてくる者など考えられない。
 見間違いかなと彼女は何度か瞬きした。だがその思いとは裏腹に、二つの影は少しずつ大きくなっていく。まさか敵ではあるまいかと彼女は目を凝らし、そして息を呑んだ。
「ときつさんにレグルスさん!?」
 その姿は小さすぎて確かとは言えなかったが、彼女にはそのように見えた。意識を集中させれば、二人の気がはっきりとそこから感じられる。
 彼女はぞうきんを放り出して慌てて駆けだした。しかし食堂から出てきたアキセとぶつかってしまい、彼女は小さく声を上げる。
「さ、サホ? 大丈夫か?」
「大丈夫です大丈夫です。あ、アキさんっ! ときつさんとレグルスさんがっ」
 窓に手をつきながらサホはしどろもどろに状況を伝えようとした。だが動揺しているため途中で言葉が詰まり、口だけがぱくぱくと動く。
「落ち着けよサホ、ときつとレグルスがどうしたんだ?」
 アキセはそんな彼女の肩を掴み、ゆっくりとそう問いかけた。彼の浅緑の双眸を間近に見て、彼女は深呼吸する。
「あそこに、来てるんです」
 彼女は真っ直ぐ窓の外を指さした。そこにはさらに近づいた二人の姿があり、今ならときつとレグルスだとはっきり認識できる。
「え?」
 彼も相当驚いたらしく、目を見開いたまま数秒その場で固まった。肩にほんの少しかかった髪だけが、かすかに揺れている。
「そう言えば……」
 彼はゆっくりと彼女の方を振り返り、さび付いていた唇を動かした。彼女はそんな彼を見つめ返し、言葉の続きを待つ。
「一ヶ月後には戻ってこられるっていう話、確か一ヶ月前くらいだったっけ? だったらつじつまが合うかなって」
 そう言いながら彼はもう一度窓の外を見た。歩いてくる二人は何か話しているようだが、ここからでは表情がわからないためさっぱり予想できない。アキセとサホは同時に顔を見合わせ、うなずきあった。そして急いで出入り口へと走り、基地を飛び出していく。
 消える者がいれば戻ってくる者がいる。
 仲間が集う嬉しさを、二人は噛みしめていた。

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