white minds

第二十七章 生きるための力‐7

 食堂のカウンターにときつとレグルスは腰掛けていた。久しぶりに見る仲間や基地は感慨深いらしく、その視線はあちこちを泳いでいる。二人の隣にはサホとアキセが、そして向かいの厨房にはレンカと滝が立っていた。レンカの出したカップを受け取り、ときつとレグルスは顔を見合わせる。
「ここはやっぱり落ち着くでございますー」
「そうね、病院と違ってここは堅苦しくないもんね」
 二人のもらした笑い声にレンカは苦笑した。この基地とて何かあればぎすぎすとした空気に包まれるのだと思うと、複雑な気持ちになる。彼女はアキセたちにもカップを手渡し、人知れず瞳を細めた。
「それで、現状はどうなってるんですか?」
 眼差しを前に向けて不意に真顔になり、ときつはレンカにそう問いかけた。返答に困ったレンカは滝を一瞥し、それから軽く腕を組んでひとしきりうなる。
「今はとりあえず魔族の襲撃はないのよね。レーナは既に動き出してるって言ってるけど」
 そう告げながら彼女は口元に手を当てた。色々ありすぎて何をどう説明すべきかわからないが、とりあえず最低限のことは言わなければならない。
 胸の奥がずしりと重くなるのを彼女は感じた。
「今全員全力で戦えるのは私たちストロングとシークレットだけよ。フライング先輩はここを去って、シンとリンは怪我が完全に癒えてなくて……コブシもいなくなってしまったしね。まああなたたちが戻ってきてくれたおかげで、ゲットも全員揃ったことになるけど」
 レンカが寂しげに微笑むと、ときつとレグルスは声を失った。丸く見開かれたレグルスの栗色の瞳は細かく揺れている。ときつも小さく口を開けたまま全ての動きを止めていた。
 無理もない。あの時の衝撃を思えば、二人の反応もうなずけた。レンカは滝と目配せしあい、二人が落ち着くのを待つことにする。
「どうして……」
 しばらくしてレグルスが口にしたのは、無気力にさいなまれた言葉だった。絶望したように問いかける瞳に、レンカは困って微笑する。
「その理由を話すためには……前提となる条件を話さないといけないのよね。ちょっと時間かかるけど、いいかしら?」
 二人を傷つけないよう、去っていた者たちへ悪意が向かないよう、全てを話さなければならない。その重みを感じてレンカは心中で何度もため息をついた。
 説明するってなかなか大変なのね、レーナ。
 彼女は今までのことを振り返り、胸の内だけで苦笑混じりにささやきかける。だがいつまでも渋っているわけにはいかないと自分を励ました。彼女はゆっくりと、口を開き始めた。



「何て言うか、最近時がたつのはやいと思わないか?」
 白い布で額の汗をぬぐいながら、青葉はふとそう問いかけた。修行室ではそんな何気ない声もよく通り、かすかに反響する。それが自分にかけられた問いだと気づいた梅花は、振り返って小さくうなずいた。彼女の手にも白い布が握られており、長い前髪が額の端に張り付いている。
「そうね、はやいかも。……そう言えば今日は青葉の誕生日じゃない? って誘導尋問?」
「ち・が・う! 何だよその発想は」
「え? 青葉のつぶやきが唐突だったから」
 彼が力一杯叫ぶと、彼女はさもおかしそうに笑い声をもらした。何だかからかわれているみたいな気がして、彼は妙な気持ちになる。
 最近ますますレーナに似てきたんじゃないか?
 彼は内心そう思い複雑そうに顔をゆがめた。それは嫌だと痛烈に思うのは、複雑な状況を避けるためかはたまた上に立たれたくないからか。
「あららー、修行終わったと思ったら楽しそうにお喋り? 仲良くて羨ましい限りねえ」
 そこへいかにも面白がってますといった口調でリンが割り込んできた。青葉はあからさまに嫌そうな顔をし、梅花は不思議そうに小首を傾げる。
「リン先輩……わかってるなら邪魔しないでくださいよ」
「仲良いのはリン先輩たちじゃないですか?」
 青葉と梅花はほぼ同時にそう言った。リンはそんな二人を見比べながら、無理矢理笑いを押し込めたような顔をしている。
 またオレをからかってストレス発散かよ。
 青葉は胸中でそう毒づき嘆息した。そしてリンの後方からシンがやってくるのを確認すると、軽く手を挙げる。
「おーいシンにい、リン先輩ちゃんと見張っててくれないと困るんすけど」
 彼の言葉にシンが苦笑するのがわかった。後で何言われるかわからないぞと、その顔は語っているようである。青葉は適当にへらへら笑ってごまかしながら手をぱたぱたとした。シンは三人の方へやってくると、そんな青葉を怪訝そうに横目で見る。
 シンが今まで通り話せる人も、少しずつではあるが増えてきた。リンと仲むつまじくやっているのはもちろんのこと、最近では青葉や滝、北斗やサツバ、ローラインとも普通に話しているようである。そのことに青葉は喜ばしく思っているし、もっと広がればいいなと願っていた。少しでも重苦しい、ぎすぎすした空気は払拭したいものである。
「見張るって、私は敵か何かなわけ?」
 リンは青葉の肩を軽く小突きながら眉根を寄せた。そして何か思いついたようにはっとすると、途端ににこにこし始める。
「なるほど、確かに私は恋敵ではあるわよね」
「ちょっと待ってくださいリン先輩、何すかそれはっ」
 リンと梅花の顔を交互に見て、それから笑いを噛みしめるシンを一瞥して、青葉は無愛想な声を上げた。シンが何も言わないところを見ると、見解はそう違わないらしい。
 好き勝手なことを平気で言うと青葉は憤慨した。年に一度の記念日くらいは気分良く過ごしたいものだ。彼は梅花の腕を引いて背後に隠すようにすると、リンとシンを軽くにらむ。
「オレは勝者なんすから、妙な勘違い生むようなこと言わないでくださいよ」
 彼がそう言い放つとシンとリンは不思議そうに顔を見合わせた。何を言ってるのかわからないといった風である。シンが青葉の瞳をじっと見据え、怪訝な表情で口を開く。
「勝者ってどういうことだ?」
「オレが今梅花と付き合ってるってことっす。仮だけど」
 間が、一瞬だけ生まれた。
 だがシンとリンがその意味を理解するのに時間はかからなかった。二人は恐ろしい勢いで青葉と梅花を引き離すと、梅花の両手をがっちり握って真顔で迫る。
「ちょっと梅花、青葉に何て言いくるめられたかわからないけど、何かあったらすぐ言うのよ? 私はあなたの味方だからね」
「いいか梅花、危険を察知したらいつでも逃げてきていいからな。青葉を遠ざけておくなんて何てことないから」
 二人は口々にそう言うと何度も相槌を打った。青葉のこめかみにうっすらと青筋が浮き立ち、そのこぶしが細かく震える。
「お、オレは獣かっ!?」
「それは獣に失礼よ、青葉」
「ああ、彼らには彼らの礼儀があるんだからな」
「オレにはないと!?」
 青葉は怒り爆発五秒前といった感じだったが、シンとリンは至極真剣、真面目その物だった。そんな三人に一種の危機を覚え、梅花はそろそろとそこから抜け出す。
「えっと、私そろそろ宮殿に仕事取りに行かなきゃいけないんで……」
「あ、もうそんな時間?」
 微笑みを顔に貼り付けた梅花に、リンは小首を傾げてそう尋ねた。梅花はこくこくとうなずきながら、手をひらひらとさせる。
「そ、それじゃあ」
「あー梅花、産の神の奴らに気をつけろよ? 宮殿ならどこにいるとも限らないんだから」
 すると青葉がくるりと振り向いて、心配げにそう声をかけた。その急変ぶりにシンとリンは苦笑しているが、彼は意に介していないようである。
「それは大丈夫。最近全然動いてないみたいだから。たぶんアルティードさんたちがうまく抑えてくれてるのよ」
 梅花はそう答えると春の花のように微笑んだ。つい一年程前までは考えられない、柔らかい表情である。彼女はそのまま修行室の出入り口へと、小走りで駆けていった。真っ白な空間からその小さな背中が消えていく。
「じゃあ青葉、話はこれからたっぷり聞くからね」
 そう宣言するリンがやけに嬉しそうに見えたのは、青葉の気のせいではなかった。
 彼女は梅花が去っていた方を一瞥して、至極満足そうに微笑した。



 穏やかな日の午後、突然体中を突き抜けていくおぞましい感覚をに襲われてレンカは身震いした。視界が歪み、平衡感覚がなくなる。彼女は廊下の壁に手をつき、立ち止まった。
 ひどく嫌な予感がする……。
 それは彼女が何かを察知する時に起こる現象だった。とてつもなく嫌な何かが起こるという胸騒ぎ。それを感じ取って彼女は顔をしかめ、唇をかんだ。
 歩いていられなくなる程というのは久しぶりだ。それだけ大きな何かが動き出しているということだろう。
「やっかいな体質よね、私も」
 彼女は微苦笑を浮かべる。さらりと肩から滑り落ちた長い髪が、そんな彼女の横顔を覆い隠した。
 嫌な予感がはずれたことはない。だからこそそれは死の宣告のようにじわりじわりと心を締め付けていく。それがいつのことを指しているのかわからず待つだけの時間は、恐ろしく長いのだ。
「司令室に……行かなきゃ」
 ふらふらとした足取りで、彼女は一歩一歩進んでいく。そこには滝がいるはずだし、この時間なら梅花たちも顔を出しているだろう。
 伝えなければ。
 彼女は理由もなく強くそう思った。重い足取りで歩むその額には汗が浮かんでいる。白い廊下がやけに眩しくて彼女は目を細めた。

 基地内に警報が鳴り響いたのは、それから一時間後のことだった。

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