white minds

第二十八章 守るべきもの‐2

 その日は小さな胸騒ぎが朝から止まらなかった。ものすごく強いわけではない、だがひっきりなしに続くそれはひどく気分を苛立たせる。だからこそもれるため息を止めることはできなかった。本当は誰にも心配などかけたくないのだが、これだけはどうしようもない。
「どうかしたのか? レンカ」
 案の定声はすぐにかかった。顔をしかめた滝は、いつもの席に腰掛けたまま彼女を見上げている。ゆっくりと首を横に振っても、その瞳から怪訝な色が消えることはなかった。彼女は微苦笑しながら口をおもむろに開く。
「ううん、ちょっとね。まあかすかに嫌な予感がするというか……」
 ちらりと前方の巨大なモニターを見て、彼女はそう答えた。そこには異変を伝える兆候は何もない。ただ普段通り外の景色を移すだけで、これといった変化はなかった。
 視界の端で、彼が顔をしかめるのがわかる。
「そうなのか」
「ええ、そうなの」
 今度は後方を振り返り、彼女は口をつぐんだ。司令室の隅っこには、レーナを抱えた梅花の姿がある。真剣な顔をした二人は、小声で何やら話し合っていた。体の大きさが違うだけでこうも不思議な光景になるとはと考えると、何とも妙な気分になる。
 まさか二人も感じ取ってる?
 そう思える程二人の瞳には警戒の色が映っていた。それはまるで戦場に赴く直前のようで、背筋を生暖かいものが伝っていく感触がする。
 と、その時。聞き慣れない奇妙な音が前方のモニターから発せられた。ツーツーという規則正しいその音は、確か通信を知らせる合図のはずだ。
「神側からですっ」
 モニター前の席についていたサホがそう声を上げた。出るべきかと問いかける瞳に、レンカは無言で小さくうなずく。
 無茶を言ってくるようなら途中で切ればいい。だがもしアルティードからの重要な知らせならば無視するわけにはいかなかった。サホはうなずき返し、パネルを数個軽く叩く。
「ああ、繋がったか。よかった」
 画面に現れたのは、安堵した顔のアルティードだった。しかし長い銀色の前髪からのぞく瑠璃色の瞳は何故か揺らいでいるようだ。
「どうかしたんですか?」
 聞き返しながらレンカは目を少し細めた。何故だかモニター越しから彼の迷いが、苦悩が『気』として伝わってくる気がする。そんなことなどあるはずがない。けれども今感じているこの気を否定するのは難しかった。
 立ち上がった滝が横に並んで、同じように画面を見やる。
「実はな……緊急の連絡が宇宙から、シリウスから入ったんだ。宇宙で五腹心が動き出したといってな」
 彼の言葉に司令室中に衝撃が走った。前回の戦闘以来五腹心の動きは未知のままだ。こちらは現在かなりの戦力不足なので、襲撃がおさまっているのは幸いだったのだが、しかし宇宙で暴れているとなるとそれも穏やかでない。
「加えて応援要請がかかった。地球で何が起こってるのか説明しろ、ともな。だが我々も戦力不足な上に詳しい情報が入っていない。だからな、悪いのだが、君たちの方から話をつけて欲しいのだ」
 彼はそう言い終えるとほんの少し微苦笑を浮かべた。見慣れてしまった表情ではあるが、だからといって心地よいものではない。
 なるほどだから苦しそうなのかと彼女は納得した。お互い人手――あちらは人ではないのだが――が足りないのはわかっているのだ。しかしそれでも頼まなければならないからこそ、彼は辛いのだろう。彼女は滝と顔を見合わせ、かすかに相槌を打つ。
「わかりました。でもその……私たちはシリウスさんと連絡とる方法知らないのですが」
「ああ、すまない。今丁度あちらと別の画面で繋がっているところなのだ。それをそちらに回す形でよいか?」
「はい、かまいません」
 その途端ぷつりと画面が暗くなり、音が一瞬止んだ。後方から足音もなく梅花が近づいてきて、背後で立ち止まる気配がする。
 そしてそれから数秒後、再び画面は色を呈した。現れたのは青い髪を緩く束ねた端整な顔立ちの青年で、白い空間に一人で立っている。
「シリウスさん、お久しぶりです」
 まずレンカは当たり障りのない挨拶をした。彼が宇宙へ出ていったのは十一月の初め、今から七ヶ月弱前のことだ。この期間が彼にとっても久しぶりなのかはちょっと疑問だが、まあこの際は気にしないことにしておこう。画面越しの彼の顔に、ほんの少しだけ微笑みが宿る。
「ああ、久しぶりだな神技隊」
 だがそう口にした途端彼の動きがぴたりと止まった。ややまゆをひそめたまま、硬直しているようにも見える。
 何かあったのだろうか?
 慌てた彼女は滝へと視線を向けるが、彼も同じように困惑した顔をしていた。しかしその答えは次の台詞であっさりと得られた。
「まあちょっとばかりお久しぶりかな、シリウス」
 そう言って満面の笑みを浮かべたのはレーナだった。梅花に抱かれた彼女は小さな手をぱたぱたと振っている。ようやく四歳を迎えて喋るようにはなっていたが、小さな見た目と言うことのギャップは違和感ありありだった。シリウスの瞳は確かに彼女を捉えている、というよりそこから動いていない。思考が停止しているのだろう。
 確かに最初は衝撃的かもしれないと、レンカは思った。いくらシリウスでも驚かざるを得ないのだろう。今も梅花が抱き上げていなければ、画面越しには見ることさえできない。それぐらい小さかった。
「……問いただしたいことがたくさんあるのだが」
「ん? わかることなら答える努力はするぞ」
 かろうじて口を動かしたシリウスへ、レーナは可愛らしい声でそう答えた。さらに間が生まれ、何とも言えない雰囲気が辺りを覆う。
「えーとシリウスさん。簡単に説明しますと、前回の五腹心との戦いでレーナ無理して体壊して、まあ亡くなったんです。で、今のは最後に生み出した二十六代目のレーナでその成長途中なわけです」
 するとこのままでは話が進まないと判断したのか、レーナを抱えた梅花がそう簡潔に説明した。シリウスは何となく事情がわかったのか、眉をひそめながらも相槌を打っている。
「つまりお前たちはそれを勘づかれるとまずい、という状況なわけだな」
「あ、さすがシリウスさん、理解が早くて助かります」
 さらりと言って微笑む梅花は、まるで以前のレーナが乗り移ってるかのようだった。そんな彼女を不思議な気持ちで見つめながら、レンカは心の中で苦笑する。
 シリウスも相当奇妙な気分だろうと考えるとおかしかった。二人のレーナと言っても過言ではないのだ。
「なるほどな。だが五腹心もかなり焦っているようだったが? 奴らがああも躍起になって宇宙をかけずり回るとは前代未聞だ」
「あ、それは我々のせいかも。われがラグナの核凍らせちゃったし、オリジナルたちも転生神としての力大分発揮してきてるからなあ」
 次に彼の疑問に答えたのはレーナだった。青葉がぶつくさ言うのもうなずけるような保護欲をあおる笑顔で、たどたどしくそう告げる。
「そ、そうか……ってラグナの核を? そうか、通りで奴の気だけ感じないわけだ。なるほど、地球へ攻め込むのは厳しいと判断したのだな。それで精神集めに走っていると」
 つぶやくようにそう言うと、シリウスはあごに手をやった。考え込むような仕草でうなる彼を、レンカは見つめる。
 つまりまだ五腹心は気づいていないのだ、レーナが戦えない状況だということに。それは彼女たちにとっては非常に心強いことだった。あと十二日、油断はできない。しかし現状は最悪の道を進んではいなかった。それだけでも十分である。
「宇宙は大変な状況なんですか?」
 それまで黙っていた滝が口を開いた。シリウスは頭をもたげ、かすかに顔をしかめながら小さくうなずく。
「まあな。五腹心が宇宙を飛び回っているせいで下級魔族の動きが活発になった。大きな星で表立って暴れ回っている。そのせいで人間の不安は相当なものになり、暴動も起きているようだ。このまま放っておけば無法地帯になるだろう」
 それは恐ろしい予測だった。宇宙の人々がどのように暮らしているかなどわからないが、無法地帯とは聞き捨てならない。司令室中に不穏な空気が流れていく。
「それって魔族たちにとっては都合がいい状況ですよね?」
「だろうな。人間たちの負の感情も高まるし、我々も動きづらくなる。精神も集められるし戦いやすくなるわけだ」
「それは、防ぎたいですよね」
 滝が何を考えているのか、予想するのはたやすかった。おそらく神技隊から戦力を割けるかどうか悩んでいるのだろう。どうやって宇宙へ行くのかは知らないが。
 レンカは心の中で重いため息を吐き出す。
「もし私たちの何人かが応援に駆けつけて、それで事態は好転しますか?」
 単刀直入に彼女は尋ねた。シリウスは一瞬目を見開き、それから苦笑いを浮かべる。驚きの視線が周りから集まっていることを彼女は感じていた。だが今は、無駄な時間を過ごす気はない。
「正直に言えばそれだけで何とかなるものではない。だが地球側が動くことで五腹心を警戒させることができる。おそらくあちらも何か考えてはいるのだろうが、まあ読み合いだな」
「なるほど」
 彼の返答は率直だった。そのことに感謝しつつ、彼女は隣の滝と後ろにいる梅花を一瞥する。
 五腹心らはレーナが戦えないことを知らない。そして今後どうするべきか考えているのだろう。彼らは本当に宇宙での活動へ絞る気でいるのだろうか。それとも隙をついて地球を襲撃するつもりなのだろうか。どうすればいいのか判断するには材料が少なすぎた。
「ラグナは戦えない。プレインも本調子ではない。そんな状況で残りの三人が襲撃に出てくるとは思えないな。特にイーストとレシガは、早まって動いてしまったと思っているのだからなおさらにな。ここしばらくの動きもブラストが主流だろう? 暇だから引っかき回して遊んでいるのだ、きっと。だったらこちらから動いてしまった方が相手の混乱を誘える」
 そんな中、口を開いたのはレーナだった。その小さな姿には似つかわしくない落ち着いた口調で、静かにそう述べる。
 シリウスが声をもらして笑った。その濃い青色の髪が揺れ、顔が伏せられる。どうやらお腹を抱えているようだった。レンカは珍しい事態に滝と目を合わせ、首を傾げあう。
「なんでそこで笑う!?」
「いや、その姿でそんなこと言い切るとはおかしくてな。本当に中身は同じなのだな」
「仕方ないだろ、本当はいきなり大きくもなれるんだがそれやると体に負担かかるんだ。記憶は維持したままだし。……今度会ったら仕返しするからな?」
「仕返し、それは楽しみだな。会える日を楽しみにしている」
 二人のやりとりは奇妙なものだった。見た目もそうだが、この二人がこんな会話をするのかということ自体がおかしかった。先ほどまでとは打って変わって和んだ空気が広がり、皆も肩の力が抜けていく。
「ということなんだけど、どうする? 滝、レンカ。宇宙に人員割くか?」
「……レーナ、割くと言ってもオレたち宇宙へ移動する手段なんてないんだが」
「それならアルティードが何とかしてくれるだろう。頼むぐらいなんだから」
 さらりとそう言い切る目の前の少女は、小さくともやはりレーナだった。レンカはもう一度滝と顔を見合わせ、同時にうなずきあう。
「じゃあそうしましょうか。どうせ基地に全員残っても何か起こるのを待つだけだしね。それに宇宙が大変なことになってるのを放っておくなんて、気持ち悪いし」
 無謀なのかもしれないが、後押しがあるだけで決断は早かった。先ほどの迷いが今は嘘のように消えている。
「なら詳しいことはアルティードと相談してくれ。私は宇宙で待っている」
 そう告げるシリウスの声も清々しさに満ちているように思えた。
 新たな道が、彼らの前にはひらけていた。

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