white minds

第三十章 宇宙へ‐4

 硬い何かが足に触れて、たくはよろめいた。力の入らない太股に痛みが走り、彼はそのまま片膝をつく。触れた葉がばさばさと音を立てた。足下に目をやれば、大きな石が幾つかごろごろと転がっているのが見える。普段ならどうってことはないが、弱った彼には嫌な障害だ。
「大丈夫ですか!?」
 慌てて声を上げたのは、後ろを歩いていた雷地だった。腰程もある草を掻き分けて走り寄ると、彼は動かないたくの腕をそっと取る。
「悪い」
「いえ、さっきの崖がきつかったですからね。少し休んだ方がいいかもしれません」
 雷地の声に反応したのか、先頭を歩いていたマツバがゆっくりと振り返った。表情を覗かせない瞳が二人へと向けられる。
「休むのか?」
「休もう、マツバ。これ以上たく先輩に無理をさせたら怪我に障る」
 崖を越える時に既に一度傷口は開いていた。せっかく止まっていた出血がまたひどくなったのである。今は止血が効をなしているが、またいつ悪化するかわからない。雷地の言葉に、マツバは黙ったまま二人の方へと戻ってきた。
「マツバが見た道というのは、ここからどれくらいの距離なんだ?」
「歩いて十分くらいだけど……このペースなら三十分くらいかかるかな」
「そうか。まあ道に出たからといって安全というわけでもないしな。困ったなあ」
 雷地は顔をしかめた。まだ幼さを残した横顔が、苦悩に歪んでいる。このままこの森にいるわけにはいかない。だがあの宿屋の主人のように、彼らを狙っているのが魔族だけとも限らなかった。道に出られたからといって事態が好転するとは言い切れないのだ。もちろん、下手な聞き込みさえしなければ正体がばれることはないとは思うのだが。
「この星のことはよくわからないが、こんな山から出てきたらやっぱり不審者かな」
「こんな怪我人連れて、しかもオレたちみたいな若いのがってなると怪しいかもな。こちらの情報がどこまでもれてるかはわからないけど」
 雷地とマツバは顔を見合わせた。普段は滅多に表情を読みとらせないマツバの瞳にも、かすかな不安が見て取れる。彼とて雷地と同じ、まだ十七の青年なのだ。見知らぬ星でこんなことになって、何も思わないはずがない。
「でもここで夜を過ごすのは危険だ。それに動揺さえしなければ、オレたちが負けることはそうそうない。まあオレがこの足だから心許ないかもしれないけれど、だからって死ぬことはないさ。体は自由なわけなんだし」
 そんな二人を見上げて、たくはできるだけ陽気な声でそう言った。思い浮かべるのはよつきのことだ。もし彼がここにいれば何と言うだろうか、そう考えながらたくはにこやかに微笑む。
 不安は技の発現を鈍くする。
 そんな誰かの言葉も頭をよぎった。とにかく落ち着いてさえいればなんとかなる、そう、魔族は表だって動いていないのだから。
「それもそうですね」
 肩の力を抜いて、雷地が苦笑した。力んでいたのを自覚したのか、照れたように頭を掻き、彼は黙ったままのマツバへと視線を向ける。マツバは肩についていた葉を払いながら、薄い唇を動かした。
「オレは雷地についてくさ。その方が安全そうだから」
「安全……まあいいか。とにかく休もう」
 そう雷地が口にした時だった。
 何かが葉を避ける音が、遠くから聞こえてきた。普段なら気づかないだろうが、しばらくこの森を歩いてきた三人にはそれがわかった。今までとは違う、風のせいでも何かの生き物のせいでもない。明らかに人間――もしくはそれに近い何かが動く時に生ずる音だ。
 三人の視線が交わり、喉が鳴る。どうするべきかと問いかけあう瞳は揺れていた。
「いや、これは!」
 だが、突然たくが声を張り上げた。息を殺していた二人は驚きに目を見開き、無理矢理立ち上がろうとするたくに疑問の視線を投げかける。
「この気は隊長とジュリのだ!」
 叫んだたくの横顔には歓喜が満ちあふれていた。よろける彼を支えて、雷地は音の方へ目を凝らす。かろうじて耳に届いていた気配は次第に大きくなってきている。緑と茶に覆われた世界の中に、かすかに別の色が見えた。
「たく!」
「無事ですかっ!?」
 数人の、声が聞こえた。
 その中には確かに名を呼ぶ声、無事を問う声が入っていた。それにはたくばかりでなく雷地もマツバも反応する。二人は顔を見合わせると、もう一度声の方へと双眸を向けた。
「隊長っ!」
「三人とも大丈夫ですかっ?」
 先頭を切って走ってきたのはよつきだった。足場の悪さを感じさせない速さで葉を掻き分けて近づいてくる。そのすぐ後ろにはときつ、レグルス、そして数歩遅れてジュリの姿があった。力の抜けたたくがよろよろと膝をつくと、それに引きずられるように雷地もその場に座り込む。
「よかった、無事見つけられました」
 近くまでやってくると、穏やかな笑顔を覗かせてよつきは一言そう述べた。癖のある金髪は汗で額に張り付いているが、その瞳に疲れの色はない。古びた麻の上着には小さな葉が幾つもついていた。しばらくこの山を走ってきたのだろう。
 どうやってここへ来たのか、どうしてここがわかったのか、雷地は問いかけようとしたが言葉が出てこなかった。どっと押し寄せた安堵感が彼の口を凍らせてしまった。張りつめていた何かがぷつりと切れたように、呼吸することしかできない。
「た、助かりました」
 それまでずっと黙っていたマツバがそう声をもらした。立ってこそいるがいつ倒れてもおかしくないような足取りで、彼は一歩一歩よつきたちへと近づいていく。泣きたいのを必死に堪えているのか、唇を噛みしめていた。よつきの柔らかな微笑みが、三人の気持ちをさらに揺さぶる。
「とりあえず、怪我を治してからにしましょう」
 するとよつきの後ろからすっと顔を出し、ジュリがおもむろにそう言った。彼女は三人を一瞥するとすぐに前へ出て、たくの傍に座り込む。
「この足で歩くなんて無茶しますね。まあ治癒の専門ですから、何てことはないですけど?」
 彼女のいたずらっぽい笑みは、たくの心を落ち着かせた。見慣れた温かい光が太股を覆っていくのを見下ろして、彼は長い髪をかき上げる。自慢の髪には草の匂いが染みついていた。
「サホさんがこの距離でもたくさんたちの気を感じ取ってくれたんです。ある程度近づけばわかりますから、この場所を探し出すのは何てことなかったんですが……まさか山の中とは驚きましたね。これだけ荒れ放題だと時間かかりますから」
 治癒の技をかけながらジュリはそう説明した。緩くウェーブした髪が肩から滑り落ち、たくの目の前で揺れる。彼はそれをぼーっとしながら眺めた。体を覆っていく安堵感が、春のような温かさを感じさせる。
 だがすぐに彼ははっとして目を見開いた。
「そうだ、コスミたちが!」
 離ればなれになった彼女たちのことを、彼は思いだした。あの宿屋の主人に連れて行かれたのだろう。だが今どうしているかはさっぱりわからない。
 ジュリは手を太股の上にかざしたまま、顔を上げた。眉根を寄せて息を吐き、困ったように小首を傾げる。
「ええ、たくさんたちとは別なんですよね。途中で気づきました、気が別の所にあるので」
「わかるのか!?」
「はい。ただこの人数なので、どう分散すべきか悩んでいるところなんですが」
 たくは彼女の肩越しに、やってきた面々を見上げた。よつきとときつ、レグルス。確かに迷うところである。
「怪我が治り次第、とにかく山を下りましょう。それから今後を考えます。シリウスさんたちが動くよりも私たちが動いた方が近いですからね。列車で二時間以上かかりますから」
 彼女の言葉に、皆はうなずくしかなかった。
 まだ全てが解決したわけではないのを、まざまざと感じさせられた。

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