white minds

第三十一章 証‐7

 壊れかけた屋根の上で、ブラストは薄気味悪い笑みを浮かべていた。口の端から流れ出した血をぬぐい、瞳をぎらつかせている。
「まだだよ、まだオルフェの恨み晴らしてないからね」
 彼は先ほどからそれだけを口にしていた。血の気のない顔色に亡霊のような言葉。周りにいる人々に恐怖を与えるのは、それだけで十分なくらいだった。
 もっとも今この場にいるのは滝とレンカだけなので、その効果はあまりないが。
「君たちを殺すまでは僕は死なない」
 ねとりとした声音で、ブラストは言った。レンカは彼をにらみつけながら胸中で思う。
 互角といったところかしら。
 だがそれがいつまで続くかはわからなかった。相手には今無尽蔵とも言える力がある。恨みという強い思いが、彼の疲労も精神の枯渇も意識の中から追い出していた。
 このまま戦いが続けば確実に負ける。
 彼女は唇を強くかんだ。
 吹きすさぶ風が炎のにおいをさせていた。先ほどまでは途切れ途切れに聞こえていた人々の叫び声も、今はしない。聞こえないところまで逃げたのならいい。だがもしそうでなければ……それこそ一刻も早く戦闘を終わらせなければならない。
「僕のオルフェの分まで、君たちには苦しんでもらうからね!」
 ブラストが小さく跳躍した。左手に構えた黄色い弓矢が強く輝く。レンカは左へ小走りに駆けると、同じように右手に弓矢を生み出した。やや前方では滝が構えているが、ブラストの狙いはレンカに定められている。
「そうね、私の方が体力ないものね」
 レンカは口角を上げた。正気を手放したようなブラストでも、どうすれば勝てるかぐらい体が覚えているのだ。強くももろいものを打て。しからばひびは全体へと及ぶ。
「レンカ」
 滝の声が耳に届いた。彼女はうなずき、矢をつがえる。ブラストの矢が放たれるのと彼女のが放たれるのはほぼ同時だった。彼女はその場に立ったまま、不適に微笑む。
 耳障りな音がした。ブラストの矢は彼女のすぐ横へ突き刺さった。薄い結界にはじかれて軌道が変わったのだ。彼女自身の矢は、ブラストの髪を数本さらっていく。
 すぐに滝が空へと飛び上がった。ブラストめがけて剣を振り下ろすが、それを弓の柄で受け止められる。
 その光景を視界の端に収めながらレンカは走り出した。ブラストのスピードは今までの戦いで嫌というほどわかっている、一対一では不利なのだ。
 彼女は右手に白い光弾を生み出した。それは二人へとまっすぐ進み、体ごと飲み込まんとさらに輝きを増す。
 滝は振り向きもせず、それを剣で真っ二つに切り裂いた。二つに割れた光弾は一方は屋根を、一方はブラストの肩を直撃する。
 耳をつんざかんばかりの悲鳴が辺りにこだました。
 彼女の光弾は精神系だ。以前よりも精度が増したためか、下級の魔族なら一撃で葬り去ることができた。五腹心といえども直撃すればそれなりに効くだろう。ブラストは苦痛に顔をゆがめている。
 さらに追い討ちをかけるように、滝の剣が繰り出された。だがブラストは肩を抑えながら大きく後退し、それをやり過ごした。彼の瞳にはにごった光がある。何か嫌な予感をさせる、力のある瞳だ。
「オルフェの、オルフェの」
 うわごとのように繰り返すブラスト。その次の瞬間、彼の背から黒い気が噴出するのをレンカは見た。否、見たような気がした。
 鳥肌が立つような、体が震えそうになるような異様な気がブラストから噴き出していた。人間ならまず間違いなく硬直、もしくは気絶している。
 まるで爆発しているみたいだ。
 そうレンカには思えた。それこそ魔神弾が自らの気を爆発させてしまった時のような印象だ。もっとも、今のブラストがすぐに死んでしまうとは考えられないが。
 肩の痛みを感じさせない動きで、ブラストは滝へと一気に跳躍した。気に押されてか後ずさりながら滝は剣を振るう。
 柄と剣が触れ合った瞬間、滝の体が傾いだ。そのまま力で押し切られる格好になり、その体は屋根の上へと倒れていく。
「滝っ!」
 レンカは叫びながら走り出した。何が起こったのかわからなかった。でも危険だということは理解していた。肌を覆う異様な感覚が、嫌な予感がそれを後押ししている。
 この気は全てを蝕む。
 何故だか彼女はそう感じた。滝が蝕まれてしまう。このままでは飲み込まれてしまう。頭の中へ鮮明な映像が浮かんでくる。リシヤの、記憶だ。
 失ってはいけない。
 それは私のため、世界のため。
 体中が熱くなった。恐怖と悲しみに満ちた世界の声が聞こえてくるようだった。この世界が上げている悲鳴が、自分の心と呼応する。
「繰り返してはいけないのっ」
 それが自分自身の言葉なのか、リシヤの言葉なのか彼女にはわからなかった。それでも何をすればいいかだけは知っていた。
 全てを体が覚えていた。
 右手を二人の方へと伸ばす。意識を集中させ、鮮明な映像を描き出す。手遅れになってはいけない。彼女は走りながら声を上げた。
「眠りなさい!」
 体の中から、得体の知れない何かがわいてくるようだった。
 手のひらから、体から、溢れ出す薄紫色の光が真っ直ぐブラストへと向かった。
 滝へと振り下ろされそうになった弓の柄が、その動きを止める。ゆっくりとブラストの瞳が彼女の方へと向けられた。
「あ、あ、まさか」
 唇が震えている。薄紫色の光が、彼の体を包み込む。滝から離れると這うように後退し、彼は絶叫した。
「嫌だあ! 僕は、僕はあの暗闇に戻りたくないっ。また封印されるなんて、そんな、そんなことあるわけないよぉ」
 泣き叫ぶような声だった。だが彼の体を包み込む光は、その強さを増していく。目を開けていられない程の輝きだ。恐怖に怯えるブラストの表情も次第に見えなくなっていく。
「眠りなさい」
 レンカはもう一度そう言った。その瞬間、ブラストの体を完全に光が包み込んだ。悲鳴が小さくなっていく。そして聞こえなくなると同時に、薄紫色の光は柱のように空へと伸びた。
 封印した。
 それだけはわかる、覚えている。レンカは息を整えながら光が収まるのを待った。その時ブラストの姿がないことを、確信していた。
「あっ」
 だがそれを見届ける前に、別の変化が彼女を襲った。
 ひどい頭痛が、吐き気が、彼女の意識を奪い取ろうとする。頭の中へ次々と流れ込んでくる映像。深い森にいる自分、見覚えのある魔族の顔。その勢いとわき起こる感情が彼女をよろめかせた。
 記憶、リシヤの記憶。
 視界が暗くなるのがわかった。滝の呼び声が聞こえてくるのに、それがどんどん遠ざかっていく。
「ちょっと、もう、限界」
 そうつぶやくと同時に、彼女の意識は暗闇へと落ちた。
 光が消えていくのを、かすかに視界の端に収めながら。




「あれは、まさか!?」
 一旦後方へ下がると、プレインは驚愕の声を上げた。その視線の先には薄紫色の光がある。光が柱のように立ち上り、空へと真っ直ぐ伸びていた。
「おら、よそ見すんじゃねえよっ」
 レーナと剣を交えながら、ラグナが怒号を上げた。しかしそんな言葉など耳にしていないように、プレインは呆然としている。
「リシヤの封印の光だ」
 彼のつぶやきが戦闘を一時中断させた。青白い刃を突き放すようにして、レーナは一旦後退する。それにあわせてラグナもプレインの隣へと下がった。巨大な広場で、互いを牽制しあいながら息を整える。
 レーナのさらに後ろでは下級魔族をアースがなぎ倒しているところだった。そちらの戦闘は収まりそうにないが、五腹心の方は完全に動きを止めていた。
 原因はあの薄紫色の光、そしてプレインの言葉だ。
「んな馬鹿な!?」
「レンカが力を取り戻したんだな」
 ラグナとレーナの声が重なった。三人の視線が、おもむろに交わる。
「ブラストの気がない。どうやら封印されたようだな」
「なっ、あいつやられたのか!? 馬鹿だ、本当に馬鹿だっ」
 この場で五腹心が欠ける意味を、三人とも理解していた。それは足止めがこれ以上不可能であること、魔族側の作戦続行が不可能であることを意味している。
 同時にあらゆるバランスが崩れたことを意味していた。
 リシヤが目覚め、五腹心が四人になった。転生神は生き残っている。その事実の重さが、わからない者などいなかった。
「ひくぞ、ラグナ」
「命令口調かよっ。んなことぐらいわかってる」
「構想を練り直さなければならない」
「だからわかってるっての」
 プレインとラグナはそう言うと、もう一度レーナを見た。不敵に笑う少女をこれほど恐ろしく感じたことはなかっただろうと、二人は思う。
「どうぞ、撤退はご自由に。こっちも仲間を助けに行かないとならんからな」
「お前の口調はなんかむかつくんだよな。ああ、わかってるよ。こっちだって戦闘人員減らしたくないんだ、さっさと皆撤退させる」
 柔らかに微笑むレーナと、苛立つラグナが口々に言った。まるで旧友のような調子でかけあった言葉は、熱を持った空気へ溶け込んでいく。
 戦闘は終わりを迎えようとしていた。
 だが彼女の笑顔の裏に隠されたものを、ラグナたちは読みとることができなかった。
「ご苦労さん」
 二人の姿が消えたのを見届けて、小さくレーナはそう言った。

◆前のページ◆   目次   ◆次のページ◆

このページにしおりを挟む