white minds

第三十二章 歪みし始まり‐2

 神界は白に覆われた世界だった。時間の感覚も空間の感覚も失わせるような道、空が続いている。
 その中を青葉と梅花は歩いていった。できるだけ気配は殺してあるが、その心配もないのではと思う程誰もいない。
「何ていうか不用心だよな、誰も来ないなんて」
 辺りを見回せど、誰かがやってくる様子はなかった。ひっそりと静まりかえり、声ひとつ聞こえない。それでもこの世界には『気』が充満しており、息苦しさを感じさせるほどだった。誰もいないわけではないのだ。
「異様な気が紛れ込めばすぐわかると思ってるんじゃないのかしら。神と魔族、人間の気はまったく違うって信じてるみたいだから」
 梅花の放った低めの声が、白い空の中に溶け込んだ。青葉は眉をひそめながら、じっと彼女を見つめる。
「じゃあ、オレたちの今の気って?」
「人間であり神である、といったところかしら、きっと。だからほら、誰も来ない」
 彼女は遠くを見やった。同じように彼も視線をはるか彼方へと伸ばす。真珠のように輝く道の先には建物が立っているだけだった。警報が鳴るわけでも誰かが騒ぎ立てるわけでもない。
「でもね、誰も気づかない理由がもう一つあるの」
 振り返って梅花はくすりと笑い声をもらした。青葉は目を丸くして言葉の続きを待つ。
「ここまで来る間にアユリの結界を何度もくぐってきたの。もし得体の知れない、特に魔族の気が引っかかればそれは警報として神界の奥へと伝わる。もちろん当人が通ってる今は全く反応しないけど」
 いたずらっぽく微笑む彼女につられ、彼も笑った。なるほど、確かにそれなら一見不用心なのもうなずける。
 巨大結界の強化の際、どうやら彼女は他の結界の仕組みものぞき見たようだった。宮殿、神界にはアユリの結界が数え切れないほど存在しているのだ。
 二人は歩き出した。話をするためにはアルティードやケイルたちに会わなければならない。だがおそらく彼らは奥の方にいるのだろう。いずれ神には出くわす。その時どうすべきかが問題だった。
「オレたちの知名度って?」
「どうでしょうね。名前は知れてると思うけど、顔はね。あ、レーナの顔が知れてるかもしれないわ」
 彼女は困ったように肩をすくめた。揺れる黒髪が、白い世界の中に涼やかに映える。彼女の顔が曇るのが横目でわかり、彼は言葉を求めて頭をひねった。できるだけ早く、問題を起こさずアルティードたちと会う方法。
「じゃあラウジングさんかミケルダさんを探すってのは?」
 彼は軽く手を叩いて声を上げた。歩くスピードを落として、彼女は彼を一瞥する。
「相当迷惑かけそうね。いい案だけど、でもたぶんミケルダさんは下にいるわ。産の神に見つかる前にラウジングさんを探せるかどうかにかかってる」
 言葉を交えながら歩けば、道の先に何者かの気が現れた。複数あるが、覚えのない弱い気ばかりだ。
 それからは黙ったまま歩を進めた。次第に話し込んでいる男たちの姿が見えてきたが、皆淡い緑色の似たような服を着た者たちだった。雑談しているだけのようだが、それでも鼓動が早くなる。
「五腹心の一人が消えたって?」
「死んだ? まさかなあ。どうなってるんだよ、宇宙は」
 一瞬心臓がはねた。話題はファラールでの戦いのことのようだった。青葉と梅花は目を合わせると、何も言わずにその横を通り過ぎる。話し声が遠ざかるにつれ、胸の内は安堵で覆われた。
「噂にはなってるみたいだな」
「そうね、あれだけの戦闘だったから」
 声のトーンが意識せずにも落ちた。もう背後からお喋りは聞こえないが、それでも心はどんどん沈み込んでいく。
「あっ」
 そこで梅花が不意に立ち止まった。そのまま前へ進もうとしていた青葉は何とか足を止め、怪訝に思って振り返る。
「ケイルさんが来る」
「え?」
 彼女の顔が強ばっていくのがわかった。彼女の隣へと走り寄って、彼はその華奢な手を握る。
 二人は顔を見合わせた。探す手間が省けるのは嬉しいが、それでも戸惑わずにはいられなかった。ケイルほどの者がこんな所まで来るのはおかしい。何かあったに違いない。
「ケイルさんだけじゃない」
「え? アルティードさんも?」
「いいえ、アルティードさんの気じゃないわ。別の神の気が二つ」
 青葉は息を呑み、道の先を見つめた。まだ何も視界には入らない。心臓の鼓動がまた早まっていく。
 ケイルたちの姿が確認できたのは、それからすぐのことだった。白一色だった世界に空色やら何やら、別の色が混じり始める。
「し、神技隊?」
 顔が確認できる程の距離まで来て、ようやくケイルが声を上げた。驚いた顔をしている。ということは二人の侵入に気づいてやってきたわけではないようだ。少しだけほっとして、青葉は小さく息を吐く。
「これはこれは、あのレーナたちのオリジナル方ではないですか」
 次に口を開いたのは、ターバンを頭に巻いた男だった。ねとりとした微笑みが、胸の内をざわざわとさせる。笑っているのに笑っていない、嫌な顔だ。
「サライゼル、それはつまりアユリ様ということに他ならない。慎みを持て」
「はい? ああ、そうでしたそうでした。神界へやってきてくださらない転生神殿でしたね」
 ターバンの男――サライゼルを、学者風の男がたしなめた。だがその口調だけではなく、放たれる気からも棘がはっきりと伝わってきた。サライゼルのようにわかりやすさがない分、空恐ろしい。背中をぞくぞくとした感覚が走り、青葉は唇を強く噛んだ。
「どうもはじめまして、梅花です。アユリの生まれ変わりとして認められた者、といったところでしょうか。こちらは青葉、あなた方の言うシレンです」
 まるでレーナが言うように梅花はそう自己紹介した。そのためだろう、サライゼルたちのこめかみがぴくりと動く。それでも彼女は優雅な微笑みを浮かべていた。任せてと言うだけのことはあるなと、青葉は胸中で安堵の息を吐き出す。
「どうも失礼いたしました。私はジーリュ、産の神の一人です。こちらはサライゼル、同じく産の神です。直々のご来訪感謝いたします。丁度そちらへ向かっていたところなのですよ」
 顔に微笑みを貼り付けて、学者風の男――ジーリュが挨拶した。そんな彼へケイルが困ったような視線を向けている。
「私たちの所へ? 何か用だったのですか?」
「いえ、突然消えてしまわれて、それで突然戻っていらしたものですから。事情を聞こうと思いましてね」
 梅花の問いに、ジーリュはうやうやしく答えた。サライゼルに対する口調とは別物である。形だけは整えているといったところか。それでもその瞳の輝きが、二人の警戒心をさらにあおっている。
「それはすみません。時間を争うことでしたので、報告するのが遅れていました」
「いえいえ、こうしておいでいただけたのですから、それだけで十分です」
 ジーリュの対応に、ケイルが苛立っているのがわかった。彼はジーリュの肩に手を置き、ゆっくりと首を横に振る。
「ケイル」
「ジーリュ、話がややこしくなるからお前は黙っていてくれ。それで神技隊、ここへ来たからには話があるのだろう?」
 顔をしかめるジーリュを無視して、ケイルは二人へと視線を向けた。梅花はうなずき、一度青葉の方を一瞥してから口を開く。
「宇宙での戦闘で、仲間の多くの者が瀕死の状態です。血が、足りません」
 ゆっくりと彼女は述べた。ケイルはやや目を細めると、深々とうなずきながら乾いた唇を動かす。
「なるほど、確かにここにはそれなりのものが用意してある」
 一瞬の間が生まれた。互いが互いの思惑を読みとらんとするために、その瞳を覗き込んでいた。息が詰まりそうな中、青葉は強く梅花の手を握る。
「だがそれなりの苦役の末集めたものだ。残念ながらそう簡単に渡せるものではない」
 ケイルの落ち着いた声が静かな空間に染み込んだ。梅花は穏やかに微笑みながら、小さく首を縦に振る。
「条件は何でしょう」
 わかりきっていた展開だ。尋ねる梅花に、ケイルは苦笑した。物わかりがいいとでも言いたいのだろうか。彼の眼差しに光が宿る。
「我々への現状説明と、アユリの子だ」
 彼の返答に、時が止まった。
 少なくとも梅花と青葉の動きは全て止まった。どう反応していいかわからない、何と言っていいかわからない。言葉の意味を飲み込むのに時間がかかった。
「それは、どういう意味でしょう?」
 やや間をあけて、梅花が尋ねた。微笑んだままなのは変わらないが、握り返してくる手からその動揺がよくわかる。青葉は彼女の横顔をちらりと見た。顔色は変わらないが、黒曜石のような瞳がかすかに揺れている。
「神技隊らがいなくなってから我々で話し合った結果だ。転生神がいなくなるのではという不安が、今この神界を覆っている。希望の転生神が何も言わずに消えるのではないか、とな。それは戦力減退にも繋がる。だから安心する材料が欲しいのだ。だから転生神としての、神としての子どもを残して欲しい」
 言い聞かせるようにケイルは言った。答えられない梅花は、微笑んだままその場に立ちつくしている。
「我々には象徴が必要なのだ。転生神の子がいれば、少なくともお前たちがどこへ行こうとそれは満たされる。もしこの条件を飲んでくれるのなら、残っていた最後の神技隊をお前たちのもとへ行かせよう」
「ケイル!?」
「瀕死の者が多いと聞けば、そうするしかないだろう。それともジーリュ、お前は転生神を見殺しにしろとでもいうのか? 実際彼らがいなければ五腹心の動きを潰すことはできない。ならば戦力を提供するのは問題なかろう。我々が困っているのは、絶望しうろたえる神々の数が多いことだけだ。見栄ではない」
 ジーリュが慌てた声を発したが、ケイルは醒めた瞳のままそう告げた。その後ろではサライゼルが苦々しい顔を何とか抑えようとしている。
「どうする?」
 ジーリュから目を離し、ケイルが振り返った。見つめられた梅花は唇を結んだまま、言いあぐねているようだ。
「少し、十分だけ時間をください」
「十分でいいのか?」
「こちらにも時間がありません。だから、十分でお願いします」
 切なる彼女の声に、ケイルは大きくうなずいた。青葉はもう一度梅花の横顔を盗み見る。瞳は揺れていなかったが、握り返す彼女の手がわずかに震えていた。ただ毅然と見せているだけなのだ。
「わかった、十分後に返答を聞きに来よう」
 ケイルの穏やかな声が、痛い程胸に染み渡った。

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