white minds

第三十二章 歪みし始まり‐3

「梅花、大丈夫か?」
 ケイルたちの姿が見えなくなったのを確認して、青葉は声をかけた。握った手はそのままにして、もう一方の手を肩にのせる。
「うん、大丈夫」
 硬い微笑みを浮かべて梅花は顔を上げた。答える声にはどこか陰りが感じられる。
 泣きそうに思えるのは何故だろう。微笑みの中に痛みが見えてどうしようもなかった。彼は顔をしかめて、その黒い瞳を覗き込む。
「本当に?」
「大丈夫、なことにするの。だって断ることはできないもの。血がなければみんな死ぬのよ? だから私に必要なのは理由なの。自分を納得させられる理由」
 ほんの少し頭を傾けて、彼女はそう言った。肩からこぼれ落ちた黒い髪がさらりと揺れる。
「理由?」
「まさか子どもとまで言われるとは、思わなかったの。命のために命が条件にされるなんて、思わなかったの。私がこれを承諾すれば、みんなを助けるためだけに新たな命が生まれるのよ? 親の都合で、『転生神の子ども』という記号がつけられた子どもができるの」
 彼女は泣きながら笑っているようだった。その瞳の奥にある痛みを、彼は読みとった。
 大人たちの都合で彼女は一人にされ、利用されてきたのだ。そしてそのことをずっと感じ取りながら生きてきたのだ。
 同じ思いをさせたくない。
 誰に対してだって彼女はそう思っている。無論自分の子どもとなれば言うまでもない。
「梅花……」
 彼にはかけるべき適切な言葉が浮かばなかった。ごまかしの慰めは意味をなさない。
 どうすればいい? どうすれば彼女を助けられる?
 彼は自問した。ずっと力になりたいと、助けたいと思っていた。悲しんで欲しくないと思っていたし、笑っていて欲しいと思っていた。
 今ここで何か言わなければ意味がなかった。
 仲間の命のために、彼女が自分の心を凍らせぬように。傷ついた心が壊れぬように。後悔させないために。
 握っていた手を離し、彼は彼女の肩を両手で掴んだ。唇を噛みしめてそれでも微笑んでいる彼女を、真正面から見つめる。
「なあ梅花」
 できるだけ優しく、できるだけ穏やかに彼は言葉を発した。彼女はこくりとうなずいて、続きを神妙に待っているようだ。
 慌てるな。
 彼は自らにそう言い聞かせた。単語一つ間違えてはいけない気がした。意を決するとゆっくりと息を吸い込み、目を逸らさずに口を開く。
「生きている人は、いや人だけじゃない、神も魔族も誰でも一種の記号なんだ。誰かから見れば記号なんだ。あいつら産の神からすればオレたちは転生神でしかないのかもしれない。でもオレにとって梅花は梅花だろう?」
 言い聞かせるように微笑むと、彼女は小首を傾げた。震える手を胸の前でぎゅっと握りしめ、その意味を考えているように見える。
「だからな、転生神の子どもだって思われてもいいんだ。梅花が、オレたちがそう思っていなければ」
 彼女は目を大きく見開いた。息を呑み、言葉に詰まりながらも口をぱくぱくとさせている。
「な? あいつらが象徴だと思ってようが道具として見てようが、ちゃんとそいつのことそいつだって見てる人がいれば大丈夫なんだ。だから梅花は一生懸命愛せばいいんだよ、生まれてくる子を」
「青葉……」
 泣くのを堪えるように、彼女は唇を噛みしめた。それ以上は何も言わず、彼はその体をきつく抱きしめる。華奢な背中は震えていたけれど温かかった。
 今傍にいられてよかったと、強く思う。
「ありがとう、青葉」
 回された腕をゆっくり解いて、梅花は顔を上げた。まだ強ばりの残る微笑みだったが、そこに悲痛な色はもうなかった。
「大丈夫か?」
「もう大丈夫。私はみんなを助けるし、後悔もしないわ。誰であろうと、ただの道具になんてさせない」
 彼は彼女の頭を撫でた。少しくすぐったそうに目を細めて、彼女は微笑を浮かべる。
「でも、困ったことがあるのよね」
「困ったこと?」
 急に表情を変える梅花に、青葉は首を傾げた。まだ問題があるのだろうか? 身構える彼へ、彼女はおずおずと声を発する。
「私、神としての子どもの作り方なんて知らないもの。そもそも一人でできるのかしら? それとも二人? どっちにしろわからないわ。どうすればいいのかさっぱり」
 あごに手を当てて、彼女は苦悩の表情を見せた。確かに、ケイルはあっさりとアユリの子どもなどと言ったが、肝心なところを二人は知らないのだ。最初から神だった者たちにとっては当たり前かもしれないが、神になった者たちには未知なる部分である。
「そう言えばそうだな。でも一人で普通できるものなのか?」
「ケイルさんはアユリの子、って言ってたけどね。でも二人なら――」
 彼女は言葉を切って顔を上げた。不思議に思って首を傾げると、穏やかに微笑みかけられる。
「私は、青葉とがいい」
 一瞬、彼は目眩を覚えた。頭を芯から揺さぶられたような感覚だった。脳内を恐ろしいスピードで得体の知れない物質が駆けめぐったようで、彼は思わず額を抑える。
「あ、青葉?」
「梅花……お前ストレートで怖すぎる。というか可愛すぎる。めちゃくちゃ頭がくらくらするから」
「大丈夫?」
「たぶん。もうすぐケイルさんたち戻ってくるし、とりあえず堪えてみるわ。だから梅花、しばらくはそういうこと言うなよ」
 彼は恐る恐る彼女を見下ろした。きょとりとした顔で、彼女は不思議そうに見上げてきている。
 不思議だ。
 彼女は変わった。でもこれが本来の彼女なのだと、心の奥底で満足している自分がいる。こうして傍にいることを、懐かしんでいる自分がいる。
 これが転生神としての記憶なのだろうか?
 それはわからなかった。だがこうして彼女が微笑んでくれるなら、あとはどうだっていいという気持ちになる。
「そういうことってよくわからないけど、とにかくわかったわ。あ、ケイルさんたち戻ってくるみたいね」
 振り返ると、道の先を梅花は見つめた。気が近づいてきてるのだろう。彼も同じように遠くを見やり、心の中で安堵の息を吐き出す。
 これでみんな助かる。
 役目を無事終えたことで、肩の荷が下りたような気がした。
 白い世界に、ケイルたちの姿がぼんやりとだが見え始めた。

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