white minds

第三十三章 流れゆく時の中で‐3

 立ち止まると背後からぜえぜえという荒い息が聞こえてきた。振り返れば必死に追いかけてきたらしい数人の部下が、膝に手を突きながら呼吸を整えている。
 荒廃しきって人のいない道とはいえ、ど真ん中というのは憚られた。ラグナは崩れた壁へと寄ると、そこに背をあずけて部下たちを見やる。
「ラグナ様っ」
「ったく用があるならそう言えば止まってやったのによお」
「すいません」
「で、用件は何なんだ。急ぎなんだろう?」
 尋ねると一人の青年が何度も首を縦に振った。何度か見た顔だが名前が思い出せずに、ラグナは額にしわを寄せて記憶を探る。
「とにかく戦闘を一時中断し、戦線を退くようにという命のことですが」
「ああ」
「徹底しろと言われて奔走しましたが無理です。むしろ戦線は拡大しています」
 荒い息をこぼしながらその青年は泣きそうな顔で報告した。そこでラグナは彼の名……いや、渾名を思い出す。確かミィルだかミィとレシガが呼んでいた。本来はブラストの部下だが、いつだったか彼の機嫌を損ねてから五腹心の下を放浪している。まるで拾ってもらうのを待つ捨て猫のようだとレシガやつぶやいていた。だが実力はある。彼が言うのだから戦線拡大というのは事実だろう。
「そりゃあまた大層なことだな。何故徹底できない?」
「別系統の下級魔族です。彼らは放られることに慣れてしまい、内輪でことを判断し行動する癖がついてしまいました。そこへベルセーナ様の封印が解けたという噂が広まり――」
「ああ、オレらの主が蘇るのも時間の問題、と騒いでるわけか」
「そうです」
 ラグナはうなずきながら大きなため息をこぼした。主とはどの辺りの主だと、問いかけてやりたい気分だ。
 魔族の上位が一体どこまで続いてるのか、おそらく下級魔族は全く知らないだろう。ラグナとてほんの少し耳にしたことがあるだけだった。
 頂点に立つのは一人の男で、その腹心が一人存在していた。だがその腹心はただの腹心ではなく、七つ子とも呼ばれる七つの人格を有する男なのである。彼らは普段は七人に分かれており、それぞれが部下を持っている。ベルセーナはその七つ子の一人、精堂陣に仕える者だった。ラグナはさらにその下である。
 下級魔族と呼ばれる者も、それなりの実力があれば大体はどこかの勢力に属し、誰かの部下であった。大きく分ければ七つに分類できる。ラグナやこの青年、ミィルは精堂陣派とでもいうべき集団に属していたが、もちろんその他に属する者の方が圧倒的に多かった。他に六つもあるのだから当然である。
 だが上位の魔族が消え去ることで主を失う魔族が膨れあがった。残された最も上位の魔族は、五腹心と呼ばれていたラグナたち五人である。その時大半の魔族は彼ら五人のうち誰かの下につくことを決めた。快く思っていなかったとしても、そうするより他に道がなかったためだ。だから五腹心は魔族のためにと声高に叫ぶ必要があった。そうすることで離反する魔族を繋ぎ止めることができる。
 しかし今ベルセーナの封印が解かれた。
 仕方なく五腹心についていた者たちはこう思うだろう。いずれ他の上位魔族も蘇り、自分の主も、いつかは姿を現すと。
「やっかいなことになったなあ」
「ええ、ベルセーナ様の名前が一人歩きしてる状態です。まさかベルセーナ様が神との戦いに疑問を持っておられるなど誰も予想しません」
 冷たい壁にもたれながらラグナはうなった。ミィルの言う通りに違いない。こんな時まだ魔族の象徴として崇められていたレシガがいれば少しはましだっただろう。女が消え去った魔族の中で彼女はある意味『女神』のような存在だった。だが眠ったままなのをたたき起こすわけにはいかない。
「オレらはどこに向かってるんだ」
「え?」
 ラグナのもらした声に、ミィルは素っ頓狂な声を上げた。だがラグナはそんな彼などおかまいなしに言葉を続ける。
「オレたちはただ生き残るために戦ってきた。襲われれば斬り捨てるし、部下が殺されればもちろん怒る。同胞は失いたくない。だが今オレたちはどこへ向かっている? 封印されたベルセーナ様が戻ってくれば、オレたちはお役ご免のはずだ。それでもオレたちはまだ何かしなければならないらしい」
 まるで独りごちるようなラグナの声に、ミィルはどうしたらいいのかわからないようだった。ラグナとて返答を求めてはいなかった。ただどうしても何か言わずにはいられなかったのだ。
 今までしてきたことが、間違っていたとは思わない。精一杯のことをやってのけたと自負している。
 だがそれでも何か大きな歯車が掛け違ったような感覚が、ぬぐいきれなかった。何か大きなものを忘れている気がする。
「とにかく片っ端から戦闘終わらせるしかないな、オレたちが」
「はい」
「ったく仕事が多いんだよなあ。まだ時の流れはオレたちを休ませてはくれないらしい」
 人気のない道をラグナは歩き始めた。慌てたようなミィルを無視し、この広い宇宙の中で戦闘の気配を必死に探す。
 こんな時、あのお嬢ちゃんなら一発なんだろうな。
 そんなことを考える自分を彼は笑い飛ばしたかった。
 傍にあった瓦礫の山が、音を立てて崩れ落ちた。




 すずりは真新しい包帯を持ちながら歩いていた。窓から差し込む日差しが肌に痛いが、落とすわけにもいかないから口元を結ぶしかない。
「あーあ、人数少ないって大変だ」
 今司令室では何やら難しい話をレーナたちがしているところだった。残された者は怪我人の看護をするか、掃除をするかしかない。
「ここだったかな?」
 四階へ上がり少し奥へ進んだところ、小さな会議室の前で彼女は立ち止まった。治療室のベッドが足りないために、ここを第二の治療室としているのだ。やや怪我の軽い者たちがここに運び込まれている。
「失礼します」
 体で扉を押し開けると、それはすんなりと開いた。中を覗いてみれば簡易ベッドがずらりと並び、その間を縫うようにしてあけりが走り回っている。
「あ、すずりちゃん」
「あけりちゃーん! よかった人がいて。これ持っていってってジュリさんに頼まれたんだよね」
「そっか。じゃあその台の上に置いといて」
 言われた通りすずりは包帯を台の上に載せた。ちらりとあけりの方をうかがえば、誰かの傷口を確認しているようだ。顔には見覚えがあった。確か宮殿での修行中に何度か会った、あけりと同じバランスの青年だ。いつも無表情で底が知れないから話さなかったが、名前はマツバとか言っていた。
「あけりちゃん、手伝う?」
「ありがとう。じゃあダン先輩の包帯変えておいて」
「ダン先輩?」
「一番奥のベッドにいるから」
 すずりが奥を見やれば、髪を肩程に伸ばした青年が手をひらひらとさせていた。静かなこの会議室で起きている数少ない怪我人である。すずりはうなずくと、おずおずとそちらへ向かっていった。
「オレの顔くらい覚えておけよなあ」
「だ、だって一度に全員なんて無理だもん……です」
 彼は狭いベッドで上体を起こしたまま、屈託のない笑みを浮かべている。すずりの苦手な無口なタイプではなさそうだ。ひょっとしたらその辺りもあけりが考えてくれたのかもしれない。そんなことを考えつつ彼女は彼の横に座り込んだ。腕に巻かれている包帯は汗をすったらしく汚れているが、血の臭いも何もしなかった。
「もう包帯なんかなくたって大丈夫なんだけどな。でも念のためってジュリがうるさくてよ」
「ジュリさんが?」
「早く治って欲しいからだとさ。まあオレみたいに起きていられる奴は見込みあるからな。ミツバとかサホとかなら後もうちょっとすれば戦闘に出られそうだって話だし」
 彼の視線につられうようにすずりは振り返った。すぐ側のベッドには金髪の少年が寝ている。他の人と比べても顔色はいい方だ。
「そいつがミツバ。疲れてるだけだから平気だ。まあここにいる奴らは大丈夫な方だけどなあ。サツバとかときつとか下で寝てる奴らはやばそうだ。ショック状態に近いらしい」
 だから当分目は覚まさないし起きあがることもないだろう、とダンは付け加えた。すずりはダンの包帯を少しずつ解いていく。
 出血は体中を巡る精神の喪失にも繋がる。急激で多量の出血は酸素やエネルギーを欲しがる細胞からあらゆるものを奪い去るのだ。特に技使いのように精神を使う者は無意識に多くの精神を確保しようとする。精神量が減った時、慌てた体はこれ以上浪費しないようにと眠りへついてしまうのだ。
 ああ、リンさんが言ってたのはこのことだったんだ。
 すずりは唇を噛んだ。そういうのを一部の人はショック状態と呼ぶらしいが、精神を与えれば治るというものでもないらしい。もう大丈夫なのだと体が落ち着くまでにはどうしても時間がかかるのだ。それに与える精神の相性も重要になってくる。
「ほーら、そんな暗い顔すんな。みんなが元気じゃないとな、オレらだって不安になるんだぜ? そしたら怪我の治りも遅くなる」
「そうなんですか?」
「感情は精神に影響を与えるってのは知ってるだろ? それは自然治癒力にも関係してくるらしい。ってレーナの受け売りだけどな」
 いたずらっぽくダンは笑った。新しい包帯を巻き終えたすずりは、古い包帯を手にしながら立ち上がる。
「じゃあ私たちは元気にしてた方がいいんですね」
「そう、可愛い子が笑顔でいればそれだけでずいぶん違うからな」
 陽気なダンにすずりも笑い返す。落ち込んでいた心が少しだけ軽くなった気がした。
 元気になるだけで役に立つなら、そんな楽なことはないよね。
 つぶやく心の声すら弾んでいるように思えた。

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