white minds

第三十四章 それぞれの戦い‐4

 夜を迎えようとする司令室は、微笑ましい空気に包まれていた。楽しげな少女の声が高らかに響き、時折数人の笑い声がそれに混じっている。
「桔梗はメユリちゃんがいるとご機嫌ね」
 コンソールに向かって何やら作業していた梅花が、振り返って微笑んだ。彼女の視線の先には赤ん坊を抱くメユリの姿がある。癖のある茶色い髪はジュリと同じだが、浮かべる表情には子どもらしいものがあった。ゆらゆら揺らされて喜ぶ桔梗を覗き込み、嬉しそうに目を輝かせている。
「そうかなあ。そうだといいんですけど」
 メユリはちょっと梅花を見上げると、はにかむように微笑した。彼女はこの無機質になりがちの基地に、色を添える存在だった。文句も言わずに掃除洗濯をこなし、暇を見つけてはこうやって遊びにやってくる。姉がいないことにも愚痴一つもらさず、寂しいと訴えることもなかった。それが皆を困らせる言葉だと知っているのだ。
 梅花はほんの少し顔を歪めながら、メユリの横顔を見た。
 大人の事情を知りすぎた少女。その痛みを彼女自身も知っている。でも我が侭を言ってもいいのだよと言い聞かせても、メユリをさらに困らせるだけだ。
 だからその我慢は見て見ぬふりをして、寂しさを和らげるよう話しかけたり抱きしめたりした。自然に甘えられるようにと、少しばかりの配慮だ。
「本当メユリちゃんはあやすのが得意だよなあ」
 椅子にだらしなく座っていたサイゾウが、おもむろに口を開いた。大分調子を取り戻してきた彼は、頻繁に司令室を訪れている。
 治療室の怪我人を診るのは主にローラインの役目で、四階の仮治療室を青葉と梅花が交代で見回りしていた。その穴を埋めるように、サイゾウは顔を出しているようだった。
「そうでぇーすねえ。いいことでぇーす」
 サイゾウの言葉に、今度はアサキが反応する。サイゾウと同じくあとは体力回復だけが問題な彼も、最近はよくここを訪れていた。彼がいると室内に陽気な空気が漂い始める。怪我人だらけの基地では、ある意味貴重な存在だ。
「そんなことないですよー。みんながいるから桔梗ちゃん喜んでるんですよ」
「いーや、メユリちゃんがいるからだな」
「どっちも当たってると思うでぇーす」
 そんな言い合いがしばらく続いた。心地よさに頬をゆるめながら、梅花はまたコンソールと向き合う。
 意識の一端は常に宇宙にあった。レーナの言う『常に宇宙全体を見張っている』感覚というのが、ようやく彼女にもわかってきた。何をしてても意識の一部が宇宙にあるのだ。そこで何が起こっているのか、異変は起きていないか、注意深く気の動きを探っている。
 アユリもずっとこんな風に世界を見てきたのかしら。
 梅花は手を止めて、モニターから外を眺めた。先ほどまでは紅色だった空が、今は藍色に染められている。時折星が瞬き、その存在を主張した。
 このくらいの暗さになると、草木の様子はもう見えない。風に吹かれて揺れる草が、月の光でその輪郭を露わにするくらいだ。
「きっと、そうよね」
 梅花は独りごちた。
 アユリはずっと神界にいて、外からの侵入を察知したり防いでいたりしたらしい。視界には入らない世界のできごとにずっと注意を払い、時を過ごしていたのだ。
 今の私のように。
 そうやって梅花が苦笑した時だった。司令室へと走り寄るローラインの気を、感じ取った。
「梅花さんっ!」
 扉の開く音と同時に、ローラインの呼び声が響き渡る。彼女は振り返りながら立ち上がった。息を整える彼の顔には、しかし切羽詰まった様子はない。
「どうかしたんですか?」
「起きました。ときつさんが、目覚めたんです」
 彼の言葉に、サイゾウとアサキも勢いよくその場を立った。皆は顔を見合わせて、同時にうなずき合う。
 ときつ、たく、サツバは怪我人の中で最も重傷な者たちだった。他の者は何度か目を覚ますことがあったが、この三人だけは今まで一度も目覚めなかった。
 出血量の多さがその原因だろう。治癒の技をかけた時には既に大分体温も下がっていた。命こそ取り留めたが、起きあがることができるかは疑問だったのだ。
「わかりました、今行きます。じゃあサイゾウ、アサキ、ここを頼むわね」
 梅花は扉へと向かいながら手を軽く挙げた。そわそわするメユリと笑う桔梗に微笑みかけると、ローラインに続いて部屋を出る。
 静かな廊下を足早に行けば、治療室はすぐそこだった。見慣れた扉が開けられるのを、異様な緊張感をもって見つめる。
「梅花さんをつれてきましたよ」
 ローラインがそう言うと、梅花は中へと足を踏み入れた。栄養代わりの点滴の音が、室内には染み込んでいる。
「梅花先輩?」
 ときつの声がした。梅花は軽く息を吐き出すと、彼女のいるベッドの傍に寄る。まだ起き上がれない彼女は横になりながら、かろうじて首を梅花の方へと向けた。顔色はまだ悪いが、カナリヤ色の瞳は思っていたよりずっとしっかり輝いていた。
「ときつ、大丈夫?」
「はい、大丈夫です。私、倒れたんですね。あの戦いからどれくらいたったんですか?」
「そうね、二週間とちょっとってところかしら」
 返答に、ときつは目を見開いた。苦笑気味に口角を上げると、静かにため息をつく。ときつが落ち着くのを、梅花は黙って待った。後ろではローラインが同じく何も言わずにたたずんでいる。
「あの、すいとかサホとか、レグルスは?」
 しばらくすると、思い出したようにときつは問いかけてきた。気にかけるのが仲間というところが彼女らしい。梅花はめくれたシーツをかけ直しながら、ゆっくりと相槌を打った。
「大丈夫よ、すいとサホはもう元気になって宇宙で戦ってる。レグルスは四階にある仮の治療室で休んでるわ。眠ったままなのは、ここにいるたくとサツバ先輩だけ」
「そう、ですか」
 ときつは安堵したようだった。強ばった頬をゆるめて、瞳を細くする。
「すいに笑われそうだなあ、だらしないって。あいつ調子に乗ってるんだろうなあ」
「たまには活躍させてあげたらどう?」
 自嘲気味な笑みがもれたので、梅花はすかさずそう付け加えた。ときつは一瞬目を丸くすると、吹き出すのを堪えるようにかすかに歯を見せる。
「それもそうですね。たまには働いてもらわないと」
「ええ、きっと今頃宇宙で大活躍よ」
 背後でローラインが笑い声をもらした。どうやら我慢ができなかったようだ。梅花は彼を一瞥すると、ときつの頭をそっと撫でる。
「じゃあ納得したところで、また寝なさい。いきなり動くと体が驚くからね」
「そうですね、お言葉に甘えて寝ることにします」
 ときつはうなずくと、すっと瞼を閉じた。すぐに眠れるだろう。梅花は手をのけると音を立てないように立ち上がる。振り向くと破顔したローラインと目があった。
「思ったよりも元気そうで安心しました。この調子なら大丈夫ですね」
「ええ、わたくしも安心しました。……美しい」
 梅花は相槌を打ちながらわずかに視線を上げた。そして見えない空にそっと微笑みかける。
 地球は大丈夫です。だからどうか無事で、戻ってきてください。
 それが祈りにも似た言葉だと彼女は知っていた。
 何かが起きるという、このままでは終わらないという予感が、胸の内には宿っていた。
 その時は、近い。

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