white minds

第三十四章 それぞれの戦い‐5

 塔の中は気持ち悪くなる程に静かだった。上の階にはイーストがいるはずなのに、何故だかその気配を感じない。気はあるのだが、そこにいるという感じがしないのだ。
 それが目の前の本のせいなのだということは、ベルセーナはよくわかっていた。
「何故、こうも厳重に守られているのだ」
 思わずぼやきが出て、彼は苦笑する。張り巡らされた結界があまりにも高度で、なかなか解くことができなかった。糸口を探ってどれくらい奮闘したのか定かではない。
「イーストも苦労しているのだろうな」
 全く報告も何もないということはそうなのだろう。ある程度揃えられればイーストなら必ずやってくるはずだ。
 立派な紙に書き付けられた日記は厚くて丈夫だ。だがそのせいで多くのことを記すには冊数を必要とした。この塔には数え切れない程の本が収納されている。
「どうして精堂陣様は、これだけのものを残そうとしたのだろうな」
 それが腑に落ちない。いくら書き記すことが好きだとしても、この量は異常だった。どの本を見ても些細なことまでしっかりと書かれている。
 足下にある本を一冊、ベルセーナは拾い上げた。すすけた赤表紙が薄闇の中存在を主張しているようだ。
「必死に書き残した、という雰囲気だな」
 ぱらぱらと紙をめくり、彼は独りごちた。残さねばならないと、風化させてはならないと必死になって書き残したように思える。
「ビレドーナがいればもっと早く何とかなるのだろうけどな。バルセーナ兄さんがいれば、精堂陣様のことも少しはわかるかもしれないし」
 こんなとき頭に浮かぶのは兄弟たちのことだった。
 精堂陣によって生み出された彼らは、自分たちを兄弟だと称していた。だが他の者たちは違うようだった。例えば陽空陣の部下であるマトルバージュとシャゼランは、仲はよいが兄弟などとは呼び合っていない。二人とも陽空陣によって生み出されたにもかかわらずだ。
 その違いは全て七つ子の方針の違いによるものだろう。精堂陣は部下たちを家族のように愛し、接した。だが他の七つ子たちは違う。他よりある側近として信頼する者、ただ部下として扱う者、それそれがそれぞれの方針で接していた。
「どうしてオレだけが蘇ってしまったんだ」
 どうせなら一緒がよかったと、すぐ考えてしまう。
 こんな時皆の心の柱となるのが長男であるバルセーナの役目だった。次男であるベルセーナは四人の中で一番強く、戦闘専門だった。三男のボブドーナが部下のまとめ役で、四男のビレドーナが影で面倒な細かい仕事をこなしていた。
 四人いなければ駄目なのだ。
「だが弱音を吐いている場合じゃないな」
 ベルセーナは本を足下に戻すと、本棚にある一冊の本へと視線をやった。棚の影が落ちた青表紙が一冊、そこにひっそりと収まっている。
 この本に何かあるのは確かだ。
 日々を書き記し続けた精堂陣は、この本に重大な何かを残した。そしてそれを巧妙に隠した。万が一の時のために取っておきたい、だが誰かの目からは隠しておきたい。そんな意思がベルセーナには感じられる。
「オレしかいないんだから、オレの役目だよな」
 これ以上部下に苦労をかけさせるわけにはいかないと、彼は気合いを入れ直した。自分のせいで犠牲になったプレインのためにも、期待に応えなければならない。
「力を貸してくれよ、ビレドーナ」
 つぶやきながらベルセーナは本へと手を伸ばした。
 飲み込んだつばの音が、聞こえる気がした。




 重い瞼を開けると、灰色の天井が見えてきた。見慣れてるようで見慣れない石造りのそれに、レシガは眉根を寄せる。
 ここはどこだろう?
 ゆっくり上体を起こすと体が重かった。いつも感じている倦怠感よりもさらにひどい。肩からこぼれたワインレッドの髪が、真っ白な布へと落ちていく。
「レシガ様、お目覚めですか?」
 何者かが入ってくるのに気づき、彼女は顔を上げた。
「フェウス」
 入り口傍にたたずんでいるのは、イーストの部下フェウスだった。やや黒ずんだ肌にがっちりとした体格。一目見ればすぐにわかった。だがイースト一緒にいることがほとんどなので、一人でいると違和感を感じる。そんな彼女の疑問に気づいたのか、フェウスは苦笑した。
「イースト様は今ベルセーナ様と一緒におられます」
「ベルセーナ様? ああそうね、成功したんだものね」
「はい、元気でいらっしゃいますよ。ラグナ様もイースト様も」
「そう」
 ぼんやりとレシガは辺りを見回した。生暖かい空気に灰色の壁、ここはおそらくイーストの塔にある一室だろう。ベルセーナの封印を解いてからの記憶が彼女にはないが、運ばれたのだろうということは予想できる。
「体が重いわ」
「プレイン様の分まで精神を使ったのです、それはそうでしょう」
「何とかしてちょうだい、といっても無理でしょうね。あなたは補助系使えないもの」
「はあ」
 彼女の言いようにフェウスは困ったようだった。ため息こそつかなかったものの、顔を曇らせている。
 これで相手がブラストだったらすぐにでもキレられるところだ。ラグナでもプレインでも似たような結果になるだろう。
 五腹心相手にあからさまな態度。それは普段接しているイーストが寛容だからこそである。
 もっとも、私の場合は怒るのも面倒なだけなんだけど。
 レシガは苦笑気味に口の端を上げた。とにかく何もかもが面倒だ。部下に命令するのも、喧嘩を仲裁するのも、まとわりつく男を払いのけるのも何もかも。
「まあいいわ。いつものことと思えば大したことないし。今ラグナはどうしているの?」
 このまま放っておけば、この幸福な部下は困り果ててしまうだろう。レシガは硬い寝台からゆっくりと足を下ろした。露わになった褐色の肌から、フェウスが目を逸らすのがわかる。
「ラグナ様は、戦闘停止を呼びかけるために星々を回っています」
「戦闘停止?」
「ベルセーナ様の命です。ですが下級魔族の中には浮かれて暴れる者も多くて」
 レシガは相槌を打った。報告するフェウスの視線は窓際に注がれたままだ。いたずらしたい欲求に駆られながらも、後でイーストに訴える様が目に見えるので止めておく。
 彼らにはブラストやプレインの分も働いてもらわないといけないしね。
 レシガは口角を上げた。
 いつの間にか女魔族狩りによって魔族から大半の女が消えてしまった。元々男に比べて少なかったのだが、そのせいで激減してしまった。今表に出てくる女はレシガくらいしかいない。女を見慣れていない男の反応は、面白い程わかりやすかった。
 まだ下級魔族の方がいいわね。中程度の魔族は人間や神の女さえ見慣れていない。
 レシガは笑いをかみ殺した。フェウスはイーストとともに行動しているため、人間と交わることはまずない。それでも彼女と何度も顔を合わせているのだから慣れてもよさそうなのだが、一対一はまた別ということだろうか。
 からかうのは今度ね。
 そうひそかに決意すると、レシガは立ち上がった。長いワインレッドの髪が、軽やかに揺れる。
「では私は神魔世界へ行くわ。私が行った方が、戦闘も収まりやすいでしょうし」
 言いながら彼女はフェウスの横を通り過ぎた。慌てた彼の気配が、背中越しにも伝わってくる。
「あなたはイーストのもとへ戻りなさい。私が目覚めたと伝えれば、満足するでしょう」
 彼女は振り返らずに言い放つと、灰色の廊下をゆっくりと進んだ。動けば動く程体が悲鳴を上げるが、今は無視だ。
 もうしばらくは、私も仕事する必要があるようね。
 彼女はぼんやりとそんなことを思った。薄暗い廊下が、やけに長く感じられた。

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