white minds

第三十五章 目覚めた歴史‐2

「とにかく神界へ行きましょう」
 動揺が走る中、ジュリは凛とした声で言い切った。レーナを抱きかかえたアースが、はっとしたように顔を上げる。
「レーナさんが行くと言ってたのですから、意味があるはずです。それにここは空間の歪みがひどくなってます。このままでは危険です」
 驚きのあまり立ちつくす仲間たちに、彼女は視線を向けた。
 突然レーナが倒れたと同時に、大地が揺れた。否、それが大地だったのかすらわからなかった。ベルセーナが蘇った時のように、空間その物が震えているように思えた。今も周囲には異様な気配があり、ともすれば軽く目眩が起きそうだ。
「そうですね、行きますか」
 よつきが答えると、弾かれたように陸とすずりが硬直を解いた。ジュリは微笑みながらうなずき、アースへ目で合図する。
 彼女たちはすぐに走り出した。滅多に地震など起こらないためだろう、怯えた人々は家の壁に張り付いていた。ざわめきの中をひたすら駆け抜け、レーナの指さしていた教会を目指す。
「入れるんでしょうか?」
 陸が不安げに声をもらした。彼はどの神界にも足を踏み入れたことがないのだ。ジュリは首を縦に振り、安堵させるように口の端を上げる。
「大丈夫です、突然お邪魔するのは慣れてますから。困った時は転生神の名前かアルティードさんの名前でも出しておきましょう」
 教会はすぐそこにあった。どうやら無人のようで、入り口の前にも中にも人の気配はない。皆は顔を見合わせると、静かにそこへと足を踏み入れた。冷たい石の上を歩けば靴音が反響する。空気も冷え切っていて、とても夏とは思えない程肌寒く感じた。
「どうやらこの階段の上らしいですね」
 隅へ視線をやれば、人目に付かないようひっそりと階段があった。その先は暗闇でどうなっているかわからないが、進むしかないだろう。
「ではわたくしが先に行きます。次が陸さんとすずりさん、続いてアースさん、最後はジュリでお願いします。また何かが起こるともわかりませんから、用心してくださいね」
 するとよつきが一歩前へ出て、振り返った。その金髪が薄明かりの中淡く輝いて見える。皆が同意するのを確認すると、彼は階段を上り始めた。続いて彼女たちはぞろぞろと足を進め始める。
 何が起こったのだろう。
 疑問は胸を渦巻いていた。レーナが突然倒れ、地震が起こり、空間が歪み始めた。何かが起きているのは確かだが、それが何なのかがわからない。
「神界に入ったら、まずは連絡を取りましょうね」
 不安をうち払うように、ジュリはそう声をかけた。何故レーナが神界へ行こうとしていたのか、この状況を考えればそれくらいしか思いつかない。
「なるほど、確かに我々にはここ以外連絡手段はないからな。こいつがいなければ、満足に移動もできない」
「はい、そうなんですよね」
 振り返ったアースに、ジュリはうなずいてみせた。アースの腕にはぐったりとしたレーナが収まっている。彼が段を上るたびに長い髪や細い足が揺れるが、それすらどこか病的に思えた。気があまりに小さいのだ。いつもなら覇気さえともなって見えるというのに、今は不安になる程弱々しい。
「朝から様子がおかしかった。嫌な予感というのは、このことをさしてたんだろうな」
 自嘲気味なアースの声が響く。暗かった階上から光がわずかに降り注ぎ、彼の横顔を浮き上がらせた。重い表情だ。
「そうだったんですか……あ、出口が見えてきましたね」
 ジュリはできるだけ軽やかな声音でそう言った。よつきはどうやら到着したらしく、高い足音が一つ減っている。
 階段を上りきれば、そこには灰色の世界が広がっていた。今まで見た神界はどこも白かったから、驚かなかったと言えば嘘になる。
「ここが」
「神界、ですね」
「でも誰もいないようですね」
 だがそこには神の気配が全くなかった。辺りを見回せどあるのは小屋くらいだ。石で作られているが、その中には何の気も存在していない。皆は顔を見合わせると、おそるおそるそこへ近づいていった。
「やっぱり誰もいませんね」
 中を覗いてみても、やはり神の姿はなかった。教会だけでなくここも無人ということか。しかし幸いにも小屋の中にはモニターらしきものが置いてあった。ひょっとするとこの神界は連絡のためだけに存在しているのかもしれない。思い返せばファラールでシリウスが出入りしていた部屋も、似たようなものだった。
「常に誰か置いておくだけの余裕はないってことですかね。でもこれでとりあえず連絡が取れます」
「そうですね。まずは地球へ」
「ええ、他の宇宙組も気づいてるかもしれませんしね。まあどこにいるかわからないので、結局は地球を中継地点とするしかないんですが」
 ジュリとよつきはうなずき合った。モニターの下にあるコンソールを見れば、基地にあるものとよく似ている。おそらく使い方も同じだろう。どの星へ繋がるのかはよくわからないが、とりあえず使ってみなければ始まらない。
「じゃあやりましょうか」
 よつきはコンソールへと手を伸ばした。




 慌てて神界へと駆け込んだリンは、目を丸くする神を一人掴まえた。何に対して驚いてるかは定かではないが、彼は口を何度もぱくぱくとさせている。どうやら声が出ないらしい。
「お願いがあるんだけど」
「レ、レイス様の頼みとあれば何なりと!」
「いいから落ち着いて、地球と連絡が取りたいの」
 彼女がそう言うと、ようやく背後から仲間たちが近づいてくる気配があった。追いついてきたようだ。即行動が優先と走り出したのだから、かなり慌てただろう。それでもちゃんとやってくるのだから、ありがたいとリンは思う。
「は、はい、わかりました。どうぞこちらへ」
 完全に冷静さを失った男は、ふらふらと歩き始めた。不安になりながらもリンは彼についていく。シンたちも同様に、顔をしかめながら後を追ってきた。ちゃんと案内できるのだろうか?
「まさかこんなところへレイス様たちが来るとは思わなかったので」
「魔族を追いかけて近くまで来てたの。それで急にこんなことになったから」
 リンはため息をついた。暴れていた魔族を倒してほっとしたのもつかの間だった。不自然な地震と吐き気を催すような空間の歪みが、突然やってきた。
 何かがある。
 それが予感というものなのか確かではなかったが、彼女はそう思った。これは危険だ、放っておいてはいけない。他の星の様子も確認しなくては、と。
 男に続いて歩いていけば、ざわめいた神々の視線が彼女たちの方へと向けられた。この異変に動揺していたところへ転生神の到来だ。皆驚き、その場をおろおろとしている。
「ここです」
 しばらく歩いたところで、白い小さな建物の中へと案内された。中を覗けば簡素な作りになっていて、右の壁際に小さなモニターが用意されている。
「地球でしたよね?」
「ええ、お願い」
 男は真っ直ぐモニターへと近づいていった。黒い画面の周りは白く覆われている。モニターの下には白いコンソールがあって、基地にある物の小型版のようだった。彼はそのパネルをゆっくりと押していく。緊張しているらしい、指先が震えている。
「こちらアース連合、地球です」
「あ、こちらはイレイ連合ダマウスです。レイス様がいらして、連絡を取りたいと」
「レイス様が? え? ああ、アルティード様! あーはい、そうです、イレイからの通信です」
 地球もやや混乱しているようだったが、アルティードという名にリンはすぐ反応した。戸惑う男の横から顔を出して、画面の中を覗き込むようにする。
「アルティードさん!」
「ああ、私だ。先ほどネオン連合やカイキ連合から連絡があってな。そのうち他も来るだろうと待機していたのだ」
「なるほど。それは本当助かります」
 リンは安堵の息を吐き出した。アルティードという名を聞きつけて、シンやホシワ、ミツバらも嬉しげに駆けてくる。その後をゆっくりと雷地、マツバがついてきた。リンは彼らを一瞥するとまたモニターを見る。
「異変はこちらにも波及してるが、ネオン連合がひどいようだ。レーナが倒れた」
「レーナが!? ……じゃあ簡単に合流できませんね」
「そうだ。だが何とか戻ってきてくれ、と言うと無謀かな」
 アルティードは画面越しに苦笑した。転移ができなければ移動することも難しい。少なくとも他の神のように宇宙を長時間飛ぶ経験など、彼女たちにはないのだ。
「えーと、何とかします。宇宙船借りてるんで、他の連合に行ってる人も拾って帰ります」
「宇宙船?」
「最新式ですから。ちょっと人数オーバーですが、何とかなりますよ」
 リンは朗らかに微笑んでみせた。まさかこんなところで宇宙船が活躍するとは思わなかった。転移と違って時間はかかるだろうが、立ち往生するよりはずっとましである。
 これも人徳のなせる技ねと、彼女は胸中でつぶやいた。生まれ変わる前の話だが、こんな時には感謝したくなる。
「そうか。ではまた連絡が入ったら待つようにと伝えておく」
「お願いします。あ、どの星にいるかだけ教えてもらいませんか? 名前がわかれば行けるので」
 リンの言葉に、アルティードはうなずいた。最新式なので、名前さえ入力すれば勝手につれていってくれるのだ。なんとも利口な宇宙船だ。
 でもこれからが問題よね。
 リンはそっと独りごちた。レンカではないが、彼女にも嫌な予感というものが理解できるような気がした。胸騒ぎがして、鼓動が早くなる。
 とにかく皆と合流しなければ。
 彼女は一度目を閉じた。落ち着くようにと念じて瞼を開けると、深く息をする。すると薄い紙を見るアルティードの姿が瞳に映った。メモしていたのだろう。
 皆無事でいてと、何故だか彼女は祈りたくなった。何に対して祈るのかはわからない。それでも祈らずにはいられなかった。
 どうかこれ以上何事も起こりませんように、と。強く強く。

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