white minds

第三十五章 目覚めた歴史‐3

 リンは自分の遥か下に、見知った者がいるのを見つけだした。
 カイキ連合の中心付近にある中くらいの星。そこにシリウスたちカイキ連合組は待機していた。神界があると思われる小さな建物の前に、彼らは浮かない顔で立っている。
「シリウスさん!」
 リンは声を上げた。空から降りるのは目立つので好きではないのだが、緊急事態なので仕方ない。船を止める適当な場所がないため、船ごと降りることができないのだ。生身での大気圏突破は心臓に悪いので遠慮したいのだが、それも我慢してきた。
「シン先輩にリン先輩!」
 真っ先に気づいたのはアキセだった。心底嬉しそうな顔で彼は駆け寄ってくる。大地に降り立つと、リンは微笑みながら手を振った。ようやく生きた心地がするというものだ。
「地球へ連絡したら、先輩たちが迎えに来るって聞いて」
「ええ、宇宙船借りたからね。とにかく場所変えましょう、目立ちすぎたわ」
 リンは辺りに視線をやりながらアキセの背を押した。後ろからはシンが足音を立てずについてきている。無茶する人員は最小限に押さえたいから、降りてきたのは二人だけだ。
「レーナが倒れたらしいな」
「らしいですね。次向かうのがネオン連合なので、そこで現状が把握できると思いますよ」
 皆のいる建物の傍に行けば、シリウスが難しい顔で口を開いた。リンは首を縦に振りながら目を細める。
 なるほど、カイキたちはもちろんのこと彼も相当心配なのだ。ただでさえ不安要素が多いのに、それでは浮かない顔にもなる。
 彼女たちはとにかく、人のいない方へと歩き出した。宇宙船へと向かうにはまた空へと飛び上がらなければならない。人々だって突然の地震にうろたえているのだから、できるだけ彼らを刺激しないところまで行きたかった。
「あ、じゃあシリウスさん先に行ってますか?」
 リンはぽんと手を叩いた。彼は神なのだから転移が使える。一人ならば移動など簡単なのだ。
「私がか? 私が一人で行って何の役に立つんだ」
「あーそっか、アースと一緒だと敵視されまくりですもんね。でも宇宙船、狭いんですよ」
 正直に言うとシリウスは苦笑した。頬にかかった髪を指で振り払い、彼は口を開く。
「つまり人数を減らしたいわけだな。ならば私は異変の原因について調べておこう」
「えっ?」
「空間の歪みが激しいのはネオンだろう。その辺りに何か痕跡があるかもしれない」
 彼は立ち止まった。必然的に振り返ることになったリンは、目を丸くしながら彼を見つめる。二人が歩みを止めたことに気づいて、数人が首を傾げていた。全体としての歩みもほぼ止まっている。
「先にネオンへ行き、レーナが倒れたのがどの辺りなのか聞いてくる。今回の異変は今まで以上に嫌な臭いがする。早く動いた方がいいだろう」
 シリウスの言うことももっともだった。リンたちにできないことが彼にはできる。任せた方がいいに決まっている。
 彼はれっきとした神なのだから。
「わかりました。何かわかったら、地球に連絡してくださいね」
 リンはそう言うと微笑んだ。自分が無力だと感じるのはいつだって辛いが、だからといって落ち込んでるわけにはいかない。
「レーナのことは任せてくださいね。ちゃんと地球につれていきますから」
「何だか他意を感じる言い方だが……任せておこう。ちゃんと休ませてやってくれ」
 シリウスは軽く手を挙げると、口の端を上げた。と同時にその姿は一瞬で空気へと溶け込んだ。なかなか行動が早い。
「い、行っちゃったな」
「そうね」
 呆然としたシンのつぶやきに、リンはうなずいた。だが彼女たちだってのんびりしてる暇はないのだ。移動にはかなりの時間がかかる。
「じゃあ私たちも行きましょうか」
 彼女はそう言うと再び歩き始めた。
 どこからか世界の震える音が、聞こえたような気がした。




 塔を飛び出したイーストは、辺りの森をぐるりと見回した。地震は既に収まっていて、まるで何事もなかったかのように木々が緩やかに揺れている。
「いや、まだ空間が歪んでいる」
 彼は顔をしかめながらつぶやいた。近くに強い気があるのは確かなのだが、それがどの方向からなのかよくわからない。全て歪みのせいだ。
「どうしてこんなことが」
 無意識にため息がもれた。せっかく本の封印が解けたというところで、この異変だ。青き者に見つかっては困るので、ベルセーナは本を抱えたまま塔に籠もっている。だからイーストは一人で飛び出してきた。何が起こってるか確かめるためだ。
 奇妙な地震だった。大地が揺れているというよりは、まるで世界がねじれたようだった。それは今もかすかながら続き、感覚を濁らせている。
「ん?」
 何かが近づいてくるのを、彼は感じた。
 巨大な気だが、どこからくるのかわからない。だがベルセーナのものではなかった。彼は塔で気を隠しているはずだし、実際今までは感じなかった。
 不安になり、イーストは視線を巡らせた。空色の髪が頬に何度もかかり、彼はそれを邪魔そうに手でのける。とにかく落ち着かなくて、いても立ってもいられなかった。いつも気に頼っている分、それがないと心許ないのだ。
「イースト」
 しかし聞こえたのは、不安を打ち消す懐かしい声だった。幻を追うような気持ちで彼はゆっくりと振り返る。今度は安堵のため息がもれそうになった。心の内を温かい感情が埋め尽くしていく。
「バルセーナ様」
 目の前にたたずんでいるのは、彼の尊い主だった。肩口で切りそろえられた髪に落ち着いた眼差し。ゆったりと構えた男――バルセーナを、イーストは見上げた。
「どうして……封印は?」
「解けたようだ。突然空間が歪んだようでな、目の前の空間が裂けたのだ」
 つまりそれだけ強い歪みが生じたということだ。今までだって空間が歪んだことはあるが、誰かの封印が解けたなどと聞いたことはなかった。
 だがそれでバルセーナが蘇ったのならば、それは不幸中の幸いだ。頼るべき者が増えて、正直イーストはほっとする。
「それだけの何かが起きたんですね」
「何が起きたのかわからないのか?」
「はい、残念ながら。これから調べに行こうと思っていたところです」
 イーストは俯いた。本当はすぐにでも調べに行きたいのだが、手がかりが全くない。歪みの中心がどこなのか、それすらもわからなかった。
「ベルセーナやボブドーナたちは起きているのか?」
 バルセーナの問いかけに、イーストは顔を上げた。では彼はベルセーナに会おうとしてきたわけではないのだ。この歪み具合の中隠れられたら、彼だってわからないのだろう。イースト曖昧に微笑みながら首を縦に振った。
「ボブドーナ様やビレドーナ様がどうなっているかはまだわかりませんが、ベルセーナ様は今あの塔にいます」
 イーストはそう告げながら塔を仰いだ。高さのない石造りのそれは、蔦に覆われて今もひっそりとしている。
「精堂陣様の図書庫か」
「はい、そうです。そこで妙な本を発見しまして、それを守っているのです」
「妙な本?」
「青き者から隠そうとしているようなのですが……。黄色き者と我々の戦いについて書かれているようです。バルセーナ様、心当たりありませんか?」
 尋ねると、バルセーナは気難しい顔をした。記憶を探っているのか、それともいいあぐねているのか。表情からではイーストにはどちらとも判断できない。
「私はよく精堂陣様についていたが」
 一旦間をおいてから、バルセーナはおもむろに口を開いた。彼の瞳はやや斜め下、虚ろな地面を見つめている。
「残念ながら青き者も黄色き者も聞いたことはない。精堂陣様もダーク様も皆、そのような呼び方はしていなかった。名前……というか愛称だな。それで呼んでいた」
「愛称?」
 それは初耳だった。イーストたち五腹心もまたバルセーナたちも皆直接名前で呼ばれている。長い名前はあまりないので、それで十分だった。
「彼らの名前……音は、それだけで力を持つ。だから略して呼んでいたようだ」
 バルセーナの言葉に、イーストははっとした。似たようなことが精堂陣の最初の日記に書かれていた。
 彼らの名前は記すだけで力を持つから、白き主と呼ぶ、と。
「精堂陣様たちも一つの体になった時は愛称で呼ばれていた。ジーンと。だから本当の名前は知らないわけだが、そのように色で表すのは聞いたことがないな。ああ、そういえば一人だけそんなことを言っていたか」
 あごに手を当てて、バルセーナは少し声を高くした。イーストは食いつくように、そんな彼を見上げる。
「よくダーク様のところへ来ていた少女が、白の使いだと時折口にしていた。小柄な少女で、確か名前は……そう、リティとか呼ばれていたな」
 白の使い、それは本に書かれていた白の少女のことだろうか? 思い返してみれば、右腕である白の少女を使いとして出している、と書いてあった。それはバルセーナの記憶とも一致する。
「じゃあ、では、青き者とは一体誰なのでしょう? 精堂陣様はひどく恐れていたようなのですが」
 イーストはすがりつくように声を上げたが、バルセーナは悲しげに首を振るだけだった。肝心なところは、やはり闇に呑まれたままだ。
「とにかく、ベルセーナに会いに行こう」
 ため息混じりに言って歩き出すバルセーナの後を、イーストはついていった。
 静かな森が、どこか不気味なささやきを発しているように思えた。

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