white minds

第三十五章 目覚めた歴史‐6

 鼓動が早くなっているのを、シリウスは自覚していた。知らない間に握っていた拳を、彼はゆっくりほどく。
「それで、全てか?」
「これで、全てだ」
 間の前にいるレーナは微笑していた。それは今まで何度も見てきた表情だが、全てを聞いた後ではより切なく映る。
 切望していたものがもたらす痛みを、彼女は受け入れているのだ。そして彼もまた、これから受け入れなければならない。
「だからわれはあいつに、ディーファに一刻も早く会わなければならない」
「危険だろう、と聞くのは馬鹿げてるな」
「ああ」
 風に揺れる彼女の髪も細められた瞳も、全てが今までと何ら変わらなかった。話を聞いても記憶を思い出したわけではない。ただ漠然と、ああ懐かしいなと思った。この気分は懐かしい。
「このままあいつに、この世界に手を出してもらっちゃ困るんだ。ただでさえ不安定なのに、とんでもないことになる」
 地震も空間の歪みの全てディーファのせい。レーナはそう言い切った。そしてこのままこれが続けば世界が緩やかに破滅への道を進む、と。
「お前一人でないと駄目なんだな」
「そう、われ一人じゃなきゃ駄目なんだ。もっとも、われが満たされてしまった今となっては、言いくるめられる自信はないが」
 彼女はくすりと笑った。彼は、ほんの少し口角を上げた。
 全てはあの男の気分次第と、彼女は口にした。その言葉はすんなりとシリウスの胸にも落ちていった。何故かとはわからないが、それがさも当たり前のような気がする。なくしているはずの記憶がうなずいているのだ。
 全ては、まるで気まぐれのよう。
「まあでもこのままじゃあ頑張ってきた意味がないから、行くしかない。それでお前に、もう一つお願いがあるんだ」
 レーナは彼の手を握った。相変わらずだなと、思わず微苦笑がもれる。
 自然と出る仕草が人を惹きつける。いや、彼女の言葉を借りれば愛情をばらまいているだけかもしれないが。
 しかしそれも当たり前のことかもしれないな。
 彼は独りごちた。神や魔族は、どんな形であれ彼女たちに惹かれてしまうのかもしれない。足りないものを、欲するかのように。
「聞いてるか? シリウス」
「ああ」
 黙っていたせいか、怪訝そうに彼女が顔を覗き込んできた。彼は苦笑を押し殺しながら相槌を打つ。
「あちらとこちらでは時間の流れが違う。だから話が長引くことはないと思うのだが、三日待って欲しい」
「三日?」
「三日待って、われがこの世界に戻ってこなかったら。そうしたら今の話をレンカたちにしてやってくれ」
 固唾を呑んで、彼はうなずいた。
 戻ってこない、すなわち言いくるめるのに失敗した場合、ディーファの動きを止めることはもうできない。
 手段はただ一つ、強制的にでも白き主を目覚めさせるしかないのだ。
「それを、頼みに来たんだ」
 レーナはゆっくりと手を離した。すぐにでも彼女は向かうのだろう。被害が広まらないうちの方がいいに決まっているのだから、一刻でも惜しい。
 だがそれでも呼び止めたくて、彼は口を開いた。
「名前」
「え?」
「お前の名前は何だ?」
 尋ねると、彼女は一瞬きょとんとした顔をした。下げようとした足を止めて、瞳を瞬かせている。
「ああ、そういうことか」
 だがすぐに意味がわかり、彼女は笑った。人差し指を口先につけて、いたずらする子どものように目を細める。
「われの名前にも力があるから、だから全部はなしな。呼び名、っていうんだろうか。それなら言える」
 シリウスはもう一度うなずいた。それでもいい。何か糸口があれば、自分の内に眠る記憶を呼び起こすことができるかもしれない。記憶が戻れば、少しは役に立つことができる。
 彼女の唇がなめらかに動いた。
「われの名はリティ、アビリティだ」




 草原に着陸した宇宙船を、青葉は遠くから見つめた。大分距離があるというのに、吹き付ける風に目を開けているのが辛くなる。
「着いたな」
 隣にはアルティードが立っていた。宇宙へ旅立った仲間が戻ってくると教えてくれたのは彼だ。そろそろ着く頃だろうと言われて三十分後、ようやく宇宙船が降りてきたのである。
「ですね。にしても小さい宇宙船だなあ。基地の四分の一もない」
「中は相当狭いだろうな」
 出迎えに出ていたのは二人だけだった。正確には初めはさらに五人程いたのだが、待ちくたびれて戻ってしまった。まだ回復したばかりの者には厳しかったのだろう。今は基地で休んでいるところだ。
「あ、開いた」
 風がやや弱くなったところで、鼠色の船体の一部が動いた。扉が開くと同時に階段が飛び出してくる。そこから最初に顔を出したのは、辺りをうかがうシンだった。彼は華奢な階段をゆっくり下りてくる。
「シンにいー!」
 青葉が大声で叫ぶと、シンは気づいたようだった。小さいながらも、手を振ってくる様子が見える。
 すぐに青葉は走り出した。全速力とまではいかないが地面を強く蹴り出せば、不思議なくらい体が軽くなる。前よりも速くなったようだ。いや、無意識に技を使うようになったと言うべきか。
「青葉」
「シンにい、レーナが倒れたとか空間が歪んだとか聞いたんだけど」
「ああ、それは今から話す。とにかくみんなここから出してやらないとな」
 青葉はまくし立てる勢いでシンの袖を掴んだが、シンはいなすように相槌を打った。彼が後ろを振り返ると、扉から次々と仲間たちが顔を出してくる。この狭い宇宙船によくこの人数が、と思うくらいだ。
「あれ? 当のレーナは?」
「それがね、途中で起きていなくなっちゃったのよ」
 全員が出たところで人数が欠けていることに気づき、青葉は首を傾げた。すぐさまリンが説明するが、さらに混乱するばかりである。
「い、いなくなった!?」
「空間の歪み止めなくちゃ、とか、一人じゃなきゃ駄目だ、とか言って。転移で消えちゃったから追いかけることもできないしね。困ってるのよ」
 リンはため息をついた。なるほど、どうりで一番後ろにたたずんでいるアースの機嫌がすこぶる悪いわけだ。青葉が何と答えるべきか困っていると、背後からアルティードの足音が聞こえた。
「あ、アルティードさん」
「ご苦労だったな、神技隊」
 振り返ればアルティードは柔らかな笑みを浮かべていた。転生神だとわかっても態度を変えないのが、正直言って彼らには嬉しい。
「ところで倒れたという張本人がいないようだが」
「そうなんですよ。起きたと思ったら歪み止めるために一人で出ていったんです。三日後くらいに戻るって言って」
 リンが顔をしかめると、同じようにアルティードも眉根を寄せた。予想外な状況にも程がある。だがその言葉が本当なら、レーナは歪みの原因を知っているということか。
「梅花がいれば、今レーナがどこにいるかわかるかもしれないのになあ」
 青葉が嘆息すると、シンとリンは目を丸くした。それで青葉は、何も説明していないことに思い至る。慌てて彼は口を開いた。
「あーいや、別に倒れたとか死んだとか捕らわれたとかそういうのじゃなくて。今歪みのせいで弱くなった結界補強しに行ってるんで」
「一人で?」
「ついてこうとしたら、拒否されました。基地や桔梗のこと頼むって」
 リンが続けて尋ねると、青葉はがくりと肩を落とした。梅花にしろレーナにしろ一人で動くのが好きなようだ。困った傾向である。
「じゃあ梅花が戻ってきたらレーナの居場所感知してもらうってところだな。あとは今のところオレたちに打つ手はない」
 シンの言葉が、全てを表していた。何かが起こっているのは確かなのに、彼らにはどうすることもできない。
「待つのはいつものことだけど、そろそろ飽きてきたわよねえ」
 リンが髪をかき上げて微苦笑を浮かべた。
 そう、いつものことだ。神技隊に選ばれてからずっと続いてきた、ただ翻弄されるだけの日々。それはもうしばらく続くらしい。
 慣れてもいいはずなのに、まだ辟易とする。
「この宇宙船、どうしようかしら?」
 リンが背後を仰ぎ見た。最新式という噂の小型宇宙船は、揺れる草原の中では異物でしかない。一般人に見つかるとやっかいだ。もっとも、しばらく続いた謎の騒ぎに、彼らも適応してきているかもしれないが。
「ロックをかけておけば問題ないだろう。これを移動させるとなると、骨が折れるからな」
 アルティードはそう言うと踵を返した。むしろ長居をしない方がいいかもしれない。一般の技使いの注目を集めても困りものだ。
 ぞろぞろと、青葉たちも歩き出した。誰も口を、開かなかった。

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