white minds

第三十六章 悲しい賭の先に‐1

 夕刻の草原を、シリウスは行ったり来たりしていた。
 レーナの話した期限――三日後の夕方が、もう過ぎようとしている。空は茜色から次第に紫色へと変わっていた。もうじき日が暮れるだろう。そうなれば、彼はこのまま神技隊たちに会いに行かなければならない。
「何か、あったのか?」
 つぶやいた声は風に飲み込まれていった。信じたくないという気持ちが大きくて、冷静に思考できない。
 気は隠してあるから、地球に戻ってきたことはまだ誰も気づいていないはずだ。いや、ひょっとすると転生神たちは察知しているかもしれないが、自分たちに用があるなどとは思っていないだろう。
「困ったな」
 あの話を彼らにしなければならない。そう考えただけで憂鬱になり、足が重くなった。とてもじゃないが一人で説明しきれるとは思えなかった。混乱させずに全員に理解させるなど、不可能に近い。
 私では駄目なのだ。
 彼は独りごちた。こういう役回りができるのは彼女だけだ。それなのに当の彼女はまだ戻ってこない。気配も何もかもが、この神魔世界から消えたままだった。
「行くしかないか」
 遠くに見える白く巨大な建物を、彼は仰いだ。いつ見てもこの草原には似つかわしくないと思う。宇宙船なのだから仕方がないが、それにしたって立派すぎる。
「どうして帰ってこないんだ」
 歩きながらもぼやきは止まらなかった。自分が着く前に彼女が戻ってくるといい、などと薄い可能性にすがりつきたくなる。
 彼女が戻ってこない、それは彼女が死んだということだ。あの男――ディーファに殺されたということだ。
 最悪だ。最悪すぎて思考が上手く働かない。ただ信じたくないという気持ちが胸を埋め尽くして、吐き気すら催す。
 近づいてくる巨大な基地が、これほど嫌だったことはなかった。薄暗い中でも白さの際だつ壁面に、拒絶感さえ覚える。それでも彼は歩き続けた。約束したのだから、役目を放り出すわけにはいかない。
 基地の前で、彼は立ち止まった。ロックがかけられてるとかで、勝手にはいることはできない。だが気配さえ殺さなければ誰かが気づいて開けてくれるだろう。
 案の定、扉はすぐに開いた。そこに立っていたのは、浮かない顔をした梅花だった。胸の奥が小さく痛む。これがレーナだったらと、咄嗟に思ってしまった。
「シリウスさん」
 まるで全てを知っているかのように、梅花は遠慮がちに声をかけてきた。彼は相槌を打つと大きく息を吐き出す。何を言っていいかわからない。どう話を切り出せばいいのか……。
「三日たちました」
「そうだな」
「でもレーナは戻ってきません」
「そうだな」
 互いの意思を確認するような応答が続いた。双方、言い出したくても口にできないのだ。その可能性の恐ろしさに、身の毛がよだつ。
「とにかく入ってください」
「ああ」
 踵を返す梅花の後を、彼は追った。背後で扉の閉まる音がして、それまで体を覆っていた風が消えていく。
「シリウスっ!」
 するとすぐ横の扉が開いて、滝が飛び出してきた。そういえば入り口のすぐ側が司令室だったなと、シリウスは思い出す。得意げに説明していたレーナの顔がぼんやりと浮かんだ。
 滝に続いて、レンカ、アースも飛び出してきた。まるで全てを知っているようだ。それならばいいのになと、シリウスは自嘲気味に苦笑する。
「シリウス、何かわかったのか?」
「レーナがどこにいるか、知っているの?」
 滝とレンカは口早に問いかけてきた。シリウスには首を横に振ることしかできないのだが、それをすると来た理由を喋ることに繋がる。
 だが彼が口を開こうとした時、梅花が声を上げた。
「あっ」
 それは小さな声だったが、歓喜に満ちあふれていた。それまで絶望の影さえ見えていた瞳が喜びの光を帯びる。
「レーナ!」
 言葉に導かれるように、彼は振り返った。そこには、先ほどまでこの世界に存在していなかった少女が、膝をついていた。
 間に合った。
 彼は心の中でそうつぶやき、窓から外を見る。既に日は暮れかかっていて、空は藍色に染められていた。けれども太陽は完全に落ちていない。ぎりぎりというところだ。
「レーナ」
「すまない、ちょっと時間がかかったな」
 立ち上がったレーナに、梅花が飛びついた。困ったように微笑するレーナを、シリウスはじっと見つめる。
 今にも倒れるのではと思う程に真っ白な肌。唇にも色はなく、まるで死人のようだった。立っているのがおかしいと感じる程に、頼りない瞳をしている。
「レーナ、お前遅すぎるぞ」
 一歩を踏み出そうとするシリウスの横を、アースが通り抜けていった。梅花が離れた隙を見逃さずに、彼はレーナの腕を引き寄せる。
「悪い、ものすごく心配かけたな」
「わかっているならもうこんなことするな」
「悪い。で、もう一つ悪いんだが、ちょっとばかり眠りたい。緊張の糸が切れた」
 レーナはふうと息を吐き出した。アースに抱き寄せられた格好で、彼女の視線がシリウスへと向けられる。
 彼女は微笑んだ。春に花が咲くように、ごく自然に穏やかに微笑んだ。こんな状況でそんな顔をするなんて、残酷だと思う。シリウスは苦笑するしかなくて、ゆっくりと相槌を打った。
「本当は、すぐにでも話さなければならないことがある」
 レーナの唇が動いた。梅花も滝もレンカも、言葉の続きを待つように彼女を見つめている。
「だが今、長話するのはわれには無理だ。だから基礎知識は、シリウスに話してもらおうと思う」
 突然の提案に、当のシリウスは面食らった。基礎知識、それはすなわちあの長々しい歴史のこと。それを彼に喋れとでも言うのだろうか。
「シリウスさん?」
 目を丸くした梅花が彼の方を向く。滝もレンカもアースでさえも、彼へと目線を向けた。
「……基礎知識とは、どこまでのことを言ってるんだ」
「ディーファが黄色き者を滅ぼそうとした辺りまで、かな。たぶんその辺りにはわれ起きるから」
 彼女は平然と言ったが、目眩がしそうだった。つまり闇歴の大半を話せと言っているようなものだ。彼女は鮮明に覚えているかもしれないが、彼はおぼろげにしか思い出していない。彼女の話を、記憶を頼りに再現するしか手はなかった。
「あー、話は司令室あたりでしてくれ。われそこで寝てるから」
 そんな彼の動揺など知らぬ顔で、彼女は朗らかに微笑んだ。だがその左手は心許なげに、アースの袖を掴んでいる。
 怖かったのだ。本当は震える程怖くてどうしようもなかったのだ。なのに彼女は一人で、あの男に会いに行った。
「わかった、まあ何とか話してみよう。だが私が話せばこいつらはさらに混乱するかもしれないぞ」
 ならばこれくらいの役目は果たしてやらなければ。
 彼は破顔した。複雑な気分だったが、その気持ちは見ないふりをしておく。今はただ、どう話せば理解してもらえるかを考えるしかない。
「大丈夫、後でわれがフォローするから」
 彼女は自信たっぷりにそう言うと、すっと瞼を閉じた。倒れるように眠ったその体を、アースが力強く抱きしめる。
 相変わらず強いのか弱いのかわからない少女だ。シリウスは振り返ると、司令室へと歩き出す。
「シリウス?」
「何をしている、とにかく仲間たちを集めろ。これからお前たちが知りたがっていた、長い話が始まるんだからな」
 そう、皆が知りたくて仕方がなかった、歴史が明らかになる。
 うまく話せることを願って、彼は口の端を上げた。

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