white minds

第三十六章 悲しい賭の先に‐5

「あと二十五日で滝にいが記憶を取り戻さなきゃまずいんだよな。でも、じゃあどうやって取り戻すんだ?」
 静まりかえる中で、声に苦々しさを込めながらも青葉が口を開いた。彼の視線はレーナへと向けられている。彼女は肩をすくめると、ゆるゆると首を横に振った。
「今考えているところだ。話を聞いて少しでも反応があればましなんだが……どうやらないようだしな」
 彼女の瞳は苦悩の色をたたえながら、それでもしっかり滝を捉えていた。凍り付いた者たちの中で、滝は力無い微笑を浮かべている。しかし思い出している様子もないし、何か引っかかる部分すらなさそうだ。当人もそれが辛いのだろう。笑みが自嘲気味だ。
「最低限、ホワイトとセインの記憶は何とかしなければならない」
 深々と息を吐いて、レーナは静かに言った。自分の名前が出たことで、レンカは不思議そうに自らを指さして首を傾げる。
「私も?」
「そうだ、レンカもだ。この賭に勝ったところで安全が保証されるわけでもない。魔族と神の戦いが始まった辺りで、われとホワイトはある決心をした。ディーファと決着をつける決心を。そのためには、ホワイトの力がいる」
 決着。それはつまりディーファを倒すという意味だろうか? 動揺からか周囲はざわめき、レンカ自身も不安そうに眉をひそめている。
「そんなこと……」
「ホワイトの持つ『海の力』があれば可能だ。あの海は全てを生み出したもとだが、同時に全てが帰る場所でもある。海の力があれば、ディーファを無に帰すことができる。もちろん、そのためにはできるだけ仲間がいた方がいいわけだが」
 レーナは言いながら苦笑した。つまり、セインとホワイトというのは本当に最低限ということだ。できる限り譲歩した結果。だがしかし、それすらも今は危うい。
 ざわめきは静まり、今度は重い沈黙が訪れる。
 記憶を取り戻すためのきっかけ。それはレーナであればディーファの目覚めだったが、滝には全く影響がなかった。レンカにも、だ。
 では一体どうしたらいいのか?
 答えを出せる者はいない。他に一体どういう手段があるのか、全く予想ができなかった。
「そう言えば、シリウスは少しは記憶を取り戻したのか?」
 そこでふと思い出したように、レーナはシリウスを見た。突然話をふられた彼は顔を上げ、苦笑しながら小さくうなずく。
「少しはな。おぼろげにだが所々思い出せるようになった。全部とはいかないが」
「そうか。で、きっかけとかは?」
「……何だろうな。私にもよくわからない」
 期待の込められた問いかけにも、彼は首を横に振った。あちらこちらから落胆した声がもれる。少しでも手がかりになればと誰もが思ったのだ。それさえも、今音を立てて崩れ去ってしまった
「だが私も、話を聞いただけでは思い出せなかった。それは確かだ」
「うーん、それじゃあよくわからないな。結局は手がかり無しか」
 二十五日というのは、待つだけなら長いだろう。しかし何かをなそうと思えば短かった。まるで真綿で首を絞められているようだ。じわじわと迫る感覚に、背筋が凍る。
「ともかく焦ったところで事態は好転しない。お前たちはそろそろ夕食の時間だろう? 悩むのはそれからにしよう」
 レーナの言葉に、応える声は全くなかった。
 それでも彼女は颯爽と歩くと、司令室を後にした。




 集った者たちをイーストは見回した。
 見慣れた顔がある、懐かしい顔がある。そして見慣れない顔がある。だが誰もが強い気の持ち主で、そして重い表情をした者たちだった。
「今のところはこれくらいか」
 先に口を開いたのはバルセーナだった。彼もそこにいる者たちを順繰りと見る。まるで今ここにいることを確かめるように。
「封印が解けたのは私とベルセーナ、そしてウィザレンダとマトルバージュか」
「みたいだね、バルセーナ。あとここにいる三人は君たちの部下だろう?」
 バルセーナの言葉にあわせて、くせ毛の男がイーストたちを見た。彼の名前はマトルバージュといい、聞くところによると陽空陣の右腕らしい。つまりバルセーナと同じ、七つ子直下に位置する者だ。その隣にいるのがウィザレンダで、彼は幻麗陣の右腕だ。
「そうだ」
 バルセーナもイーストたちを見た。とりあえず空間の歪みが弱くなったので、皆戻ってきたのだ。イーストとラグナ、そしてレシガ。こうして顔を合わせるのも何だか久しぶりな気がする。ここしばらく慌ただしすぎて、ずいぶん長い時間が過ぎたかのようだ。実際はそれほどたっていないのだが。
「残念ながらゲンレイ殿たちの封印は解けていないようだからな」
 ウィザレンダがそう言ってため息をついた。逆立ったような不思議な髪型をした彼を、イーストも昔にちらりと見かけたことはある。浅黒い肌に無愛想な顔が寄せ付けない雰囲気をかもし出しているが、実際はただ忙しいだけのようだった。幻麗陣のただ一人の部下のため、いつも気忙しいのだ。
「そうそう、ヨウクウ様もだよ。まあ封印されたんだから七人一緒だろうけどね。ダーク様もいないし、本当困っちゃうよな」
 マトルバージュもそう続けて嘆息した。
 突然の空間の歪み、それがきっかけとなって蘇ったのはバルセーナだけではなかった。しばらくいてウィザレンダの、そして続けてマトルバージュの封印も溶けた。
 その後歪みが弱まったことで、彼らはバルセーナたちの気を探し当てることができたらしい。だからこそ今こうして顔を合わせることができたのだ。
「誰に封印されたか、覚えているのか?」
 バルセーナは不意に問いかけた。するとマトルバージュは首を横に振り、苦笑しながら肩をすくめてみせる。
「いいや、覚えてない。よくわからない攻撃受けて気を失ってたみたいでさ、気づいたら封印されてた」
 マトルバージュの答えに、バルセーナたちは落胆の息をもらした。得られるかもしれないと思った手がかりが、また一つ消えてしまった。
「何、マトルバージュは覚えてないのか?」
 だがそこで、驚いたように割って入る声があった。ウィザレンダだ。彼は心外そうに目を見開いている。マトルバージュは顔をしかめて彼の方を見た。
「そう言うウィザレンダは覚えてるっていうのかい?」
「当たり前だ。オレを封印したのはリティだ。それは間違いない」
 リティ。
 聞き覚えのある名前にイーストは息を呑んだ。確か前にバルセーナが口にしていた白の使いの少女だ。しかし何故彼女がウィザレンダを封印するのか疑問が残る。
「リティ? 何でまた彼女が? おかしいだろう」
「ディーファに殺されるから黙って封印されろ、と無茶なことを言ってきたんだ」
「それで封印されたの?」
「彼女がそう言った次の瞬間、傍にいたレザーファが殺された。空から降りてきた光の柱に打ち抜かれてな。一瞬のことだった」
 ウィザレンダの言葉に、マトルバージュは言葉を失った。それはバルセーナもベルセーナも同じだった。信じられないと言いたげに、青ざめた顔で立ちつくしている。
「そんなっ、あいつが一瞬でやられるなんて!」
「ディーファの力なら考えられる。立ち止まったオレを、有無を言わさずリティは封印した」
 どんどん話は進んでいく。だがイーストはその流れについていけなかった。レザーファとは何者で、ディーファとは何者なのだろう? ちらりと横に目をやればそれはベルセーナも同じらしく、眉根を寄せてうなっている。
「悪いが、そのディーファというのがわからないのだが」
「はっ? あーそうか。ベルセーナはあっちの世界あんまり行ってないんだっけ。僕らの天敵で、とんでもない強い奴だよ。青の海にしかいられない、恐ろしい奴さ」
 当たり前のように説明するマトルバージュ。しかしその響きに心当たりがあり、イーストははっとした。
 それはまさか、精堂陣の恐れていた青き者のことではないだろうか?
「そいつが、青き者、か?」
「そうそう、そう呼んでたりもしたね。全部青いらしいよ、髪も服も。そっか、レザーファはやられたのか。ユウトウ様、蘇っても寂しいだろうなあ」
 ではやはりディーファというのが青き者であり、彼が皆の恐怖の対象らしい。レザーファというのは今の口振りからすれば、七つ子の一人である悠到陣の部下だろう。
「ってことはこのよくわかんない状況も、全部ディーファのせいってことだろうね。そう言えば彼今どうしてるんだろう。僕らがいるってわかったら、攻撃してこないんだろうか」
 ぼそりと、マトルバージュがつぶやいた。それは恐ろしいつぶやきだった。
 もしウィザレンダの話が本当なら、また彼らを狙ってきたとしてもおかしくない。たとえ今突然、光の柱が空から落ちてきたとしても。
「ではなおさらここに固まっているのは危険だな」
 嘆息してバルセーナがそう言った。その顔からは恐れも驚きも感じられない。そのことがイーストたちの動揺を落ち着かせた。彼がいるなら大丈夫、そう思わせてくれる。
「ではとにかく守りのしっかりしたところへ、残っている魔族を皆避難させよう。その合間に誰かの封印が解けていないか調べればいいな。その男の狙いが何なのかわからないが、死んでしまっては意味がない」
 彼がそう告げると、皆はうなずいた。そう、ただ立ち止まっているだけでは駄目なのだ。
「じゃあ僕とウィザレンダが一緒に行くよ。バルセーナとベルセーナは部下たちと行くといい。僕らは北を、君たちは南を。手分けして動こう」
 提案するとすぐさまマトルバージュは踵を返した。断られることなど想定していないらしい。ウィザレンダは黙ってその後を追っていく。
 すぐに二人の姿はかき消えた。同時に、その気がどこにあるかも全くわからなくなった。隠したのだ。
「我々も行こうか」
 それを確認して、バルセーナは静かに言い放った。彼の声は沈みかけていた心に、小さな力を与える。
 事態は決して好転しない。だがそれでも歩かなければならない。
 語るような背中をイーストたちは追いかけた。ひっそりと、安堵の息をこぼしながら。

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