white minds

第三十七章 羽ばたく白‐1

 神技隊らが集まったのは、いつもの司令室ではなく修行室だった。広々とした白い空間の端に彼らはじっと立っている。窓があれば朝日が見えたことだろう。だが修行室にはなかった。床も天井も壁も、全てが白に覆われている。
「これからの予定を話そうと思うの」
 彼らの中心にいるのはレンカだった。凛とした声にたたずまいは、あの話を聞いた衝撃を微塵も感じさせない。
「予定、ですか」
 予想外の言葉に、傍にいたシンがそう問い返した。レンカはうなずいて微笑みを向ける。誰もが見慣れたその表情からは、やはり戸惑いすらうかがえなかった。
「そう。あと二十五日……いえ、レーナがディーファと話をしたのが六日だから、今日を入れて二十二日ね。その期間で記憶を取り戻すために、黄色の世界へ行こうと思うの」
 彼女が何でもないことのようにさらりと告げると、周囲にざわめきが生まれた。あまりに突然のことで動揺してるのだろう。皆それぞれ不安げな顔で、近くの者と顔を見合わせている。
「黄色の世界に?」
 次に尋ねたのはシンではなく青葉だった。白い壁にもたれかかりながら、彼は顔をしかめている。
「そうよ。本当の名を告げるために行くの。名前の力で、もしかしたら記憶が戻るかもしれないから」
 レンカは穏やかに答えた。
 名前の力、その効力は実は彼女自身も知らない。だが試す意味はあった。アビリティだけでも影響力があるなら、略さず声に出せば何かしら変化が起こるかもしれない。手がかりがない中での、ほんのささやかな希望だ。
「なるほど。で、それって今すぐですか?」
 身を乗り出して青葉はもう一度口を開いた。朝集合をかけたのだから急いでると考えたのだろう。もっともな考えだがレンカは首を横に振った。
「いえ、準備が必要みたいよ。黄色の世界へ行くには幾つか空間を越えて行かなくちゃいけないから、この基地ごと移動するわ。そうよね? レーナ」
 彼女は説明しながら隣にいるレーナへと顔を向けた。自然と皆の視線はレーナへと集まり、その唇が動くのを待つ。彼女は神妙な顔でゆっくり首を縦に振った。
「ああ、この基地の準備が必要だ。出発は……四日後辺りだな」
 そう答えて彼女は指先を頬に当てた。四日とは皆が予想していたよりもかなり後だ。たった二十二日しかないのにと考えれば、焦りもつのる。またざわざわと、戸惑ったようなささやきがもれた。
「あーそれと。黄色の世界まで送り届けたら、われは一度魔族界に行こうと思う」
 しかも追い打ちをかけるような言葉を、レーナは放った。さらに動揺が生まれて、周囲に嫌な空気が漂い始める。頼りになる者が欠けるのは心細い。それが見知らぬ世界であればなおさらのことだった。
「魔族界に?」
 けれども、そう聞き返すレンカの声は落ち着いていた。まるで既にホワイトとしての貫禄が宿ったかのようだ。それが事実を受け入れたからかどうかは、定かではないが。
「ああ。ジーンとダークが目覚めたようだから、会いに行こうと思う」
 そこでレーナが口にした名前に、ざわめきが一瞬で凍り付いた。
 ダーク。それは何度か話に出てきていたから誰もが知っていた。黒き者――魔族の頂点。その名前がダーク。今まで何度となく戦った魔族、その頂点だ。
「それは、危険ではないのね?」
「別に敵じゃあないからな。会うまでがやっかいと言えばそうだが、今のわれなら問題はないと思う」
 だから確かめるようにゆっくりとレンカは問いかけた。しかしレーナは軽い声で答えていつも通りに微笑む。その姿は本当いつも通りで、何ら変哲もなかった。頼もしいとされる、魔族に恐れられる、皆の意識にあるままの人外の少女だ。
「名前だったらそこにいるケイファが知っているから大丈夫だろう。昔の事情も彼女があらかた理解してるから問題ないはずだ」
 そう付け加えてレーナは隣にいる金髪の女性へと目を向けた。おそらくジュリと同じかそれ以上の長身の女性――ケイファ。皆の視線が集まって、彼女は小さく会釈した。
「えーと、どうも初めまして皆さん。ケイファです」
 周囲の奇異の視線など気にせず彼女は挨拶した。あまりに簡単な自己紹介だったので、皆は、はぁとだけ声をもらしている。それだけでは彼女が何者かわからない。反応の仕様がなかった。
「彼女は黄色き者で、無論黄色の世界にも詳しい。われが戻ってくるまでは彼女に頼ってくれ。もっとも、そんな心配もなく記憶が戻ればいいんだがな」
 言って悪戯っぽくレーナは微笑んだ。確かに彼女の言う通りだ。滝やレンカの記憶が戻れば、昔の事情や異世界でのことなど心配する必要はない。
 うまくいきさえすれば、何ら問題はないはずだった。
「あれ? シリウスさんは?」
 そこでもう一人、事情に通じている者がいるのをシンは思い出した。説明係の一人だった彼だって、それなりに思い出してるはずだ。
「シリウスにはこの神魔世界で待機していてもらおうと思う。何かないとも限らないから、中継役だ」
 説明するレーナの声が軽やかに響く。皆は辺りを見回したが、既にシリウスの姿は修行室にはなかった。ひょっとしたらもう様子見に行っているのかもしれない。さすが行動が早いといったところか。
「そういうことらしいから、だからみんなも心の準備をしておいてね。見知らぬ世界に行くんだし。あ、それと食料の買い込みもしないとね。忘れてたわ」
 そこでぽんとレンカが手を打った。場にそぐわない気楽な声に、緊迫していた空気からふっと力が抜けていく。世界がどうなるかどうかの話で、食事の心配とは彼女らしい。しかしそれがなければ困るのも事実だった。彼らの大半は人間で、何も食べなくともいい者たちとは違うのだから。
「じゃあそろそろ朝ご飯にでもしましょうか」
 レンカは笑顔で歩き出した。余裕すら漂うその様を、皆はただ呆然と目で追った。




「レイン!」
 背中に声が降りかかり、梅花は振り向いた。確か自分の生まれ変わる前の名前だったはずだと、頭の隅で考える。別の名で呼ばれるのには慣れていたので、それほど動揺はしなかった。だから近づいてくる女性へと、自然と微笑みを向けることができる。
「ケイファさん。どうかしましたか?」
「さんは止めてください、レイン」
「はあ……」
 そういわれて梅花は困った。彼女としてはほぼ初対面なのだが、相手は違うらしい。その辺りをあちらはまだ上手く飲み込めていないようなのが、実は気がかりだった。だがここで言っても仕方がない。うなずいた梅花はケイファを見上げた。
「じゃあわかりました。それでケイファ、どうかしたんですか?」
「ええ、リティのことを聞こうと思いまして」
 リティ。梅花はその名を口の中で何度かつぶやいた。それは確かレーナの名前だったはずだ。慣れない名前が飛び出して来るのは困りものだが、そこは自分の記憶力を信じることにする。梅花は頭を傾けた。
「リティのことですか?」
「ええ、ダークと何かあったのかなと思いまして。レインは知ってますか?」
 聞かれて梅花は正直困った。記憶が戻ったかのような扱いを受けても知らないものは知らないのだ。だがレーナがその名前を気にしているのは、梅花も知っていた。最近はレーナの感情がよくわかるのだ。表情が変わらなくても声音が変わらなくても、何故だか気持ちが伝わってくる気がする。
「私は記憶を取り戻してないので詳しくはわからないのですが。何かあったことは確かですね」
 だからそう答えるのが精一杯だった。そうですか、とだけつぶやいて、ケイファはわかりやすくうなだれる。
「ダーク様が何かなさったのかとドキドキしてたのですが」
「はあ」
「ついに思い切って告白なされたのかと」
「え? ええっ?」
 梅花は耳を疑った。今、とんでもないことを聞いた気がする。しかしとんでもないつぶやきはさらに続いた。ため息をついたケイファはぼんやりとした目を彼女へと向け、ぼそぼそとつぶやき始める。
「違うみたいですね。ああ、グレイス様のことがあってからやっぱり腰が引けがちでしたものね。仕方ありません。でもそろそろグレイス様のこと吹っ切ってもよいと思うんですよ」
 慌てて梅花は辺りを見回した。もしアースにでも聞かれたら大変だった。幸いにも姿は見えなかったが、鼓動が早くなっている。
 そうなのだ。昔の関係というものが念頭から抜けていた。考えてみればレインが他の者とどう付き合っていたのかも、セインがどんな性格だったかも、ホワイトがどう振る舞っていたかも全てが謎だった。無論リティが誰とどんな関係だったかも知らない。今と同じとは限らないのだ。
「ケ、ケイファ」
「そうですよね、期待した私が馬鹿でした。ここにはクーディもいるんですし」
「あのー」
「あ、そういえばレインはブレードとどうしてます? ちゃんと仲良くやっていますか?」
 ブレード。その名前を梅花は記憶の中から引っ張り出した。確か青葉の名だ。だが何と答えたらいいのだろうか。困っているとあーあ、とつぶやいてケイファは小さく息をこぼした。
「その様子だとブレードに押し切られてるみたいですね。いいです? 嫌ならつっぱねた方が後々楽ですよ? 調子に乗りますから」
 どうやらケイファは心配してくれているらしい。それはありがたいのだが問題もあり、梅花は小さくうなった。
 記憶がないというのは困る。いや、記憶があるような前提で話されるのが困るのだ。リティの記憶が戻っているために、レインも同じはずだと思いこんでるに違いない。
 やっかいだ。
 つまりこんなことがしばらく続くのだろうか? 梅花は胃が痛むのを感じながらこっそりため息をついた。
 だがそこに――
「梅花っ!」
 さらに話をややこしくさせる人物がやってきた。いきなり背後から抱きしめられて梅花は閉口する。
「あ、青葉……」
「あらブレード、ずいぶん積極的ですね」
 青葉を見てケイファは笑った。梅花はどう返答すべきか悩み、とにかく微苦笑を浮かべる。ごまかす時は笑顔だとここ一年で学んでいた。困ったら笑顔だ。
「積極的?」
「あ、青葉、話の途中だから離して」
「嫌だ。せっかく桔梗がいないんだからこういうのくらいいいだろう?」
 それでも青葉は離れようとしなかった。どうやら不満が溜まっているらしい。考えてみればここしばらくずっと桔梗を抱いたままか、そうでなければ結界の強化だった。今桔梗は修行室でメユリが遊び相手になっているため心配はないが、そろそろ迎えに行かないと寝ぐずる頃だ。
「安心しました、仲良さそうで。ではお邪魔にならないよう、私は失礼しますね」
 しかし何かとんでもない発言をするはずのケイファは、満面の笑みを浮かべて手を振ってきた。そのまま去っていく背中へ、梅花は軽く手を振り返す。
 黄色の世界でこんな人たちばかりに出会ったらどうしよう。
 悩みは尽きそうになかった。

◆前のページ◆   目次   ◆次のページ◆

このページにしおりを挟む