white minds

第三十七章 羽ばたく白‐3

 あらかたの話を聞いたホワイトは、おもむろに辺りを見回した。一人一人の顔を確かめているらしい。その動きにあわせてゆらゆらと白い髪が揺れている。
 しかし目を合わせた瞬間、鼓動が跳ねた気がして青葉は胸元を手で押さえた。
 わき上がったのはよくわからない感情だ。懐かしいような怖いような悲しいような嬉しいような。
 それとも苦しい?
 青葉は息を呑んだ。記憶がうずくとはこのことだろうか。自分の奥底にある何かが刺激されているようだ。
「ホワイト様、そろそろ」
「ええ」
「あの、ちょっと待ってください」
 だが勝手に事を運ぼうとする二人を梅花が制止した。桔梗を抱いたままの彼女は、真顔で二人の方へと歩み寄る。
「レイン」
 すると間をおかずにホワイトの手が動いた。彼女は柔らかく微笑むとそっと梅花を抱き寄せる。ゆっくりとした動作で、しかし抗いがたい力で腕に閉じこめ、ホワイトは一度瞼を閉じた。
「生きていて安心したわ。よく無事で」
「えーと……」
 逃れたくとも逃れられない梅花は、困惑した様子だった。彼女の視線がちらりと彼へ向けられる。救いを求めるような瞳に、しかし青葉は首を横に振ることしかできなかった。今ホワイトを引き剥がせる者は、少なくともここにはいない。
「ホワイトさん」
「ホワイト、でいいんだけれど」
「じゃあホワイト、その、ケイファに聞きたいことがあるので」
 助けを求めるのは諦めたのか、身じろぎを止めた梅花は伝えたいことを口にした。相手が誰であろうと物怖じしない姿勢はすごいと思う。
 いや、すごすぎだろう。
 青葉は胸中で感嘆のため息をついた。誰もがホワイトには近づけなかった。滝でさえも、だ。目覚めた当初の輝きこそ薄れたものの、やはりホワイトの存在は別格だ。白をまといし人外の者として、ただ目の前にいるだけでも鼓動が早くなる。
「私に聞きたいことですか?」
 すると梅花の言葉が聞こえていたのか、不思議そうにケイファが尋ねた。彼女の言葉を契機にしてホワイトが腕の力を抜く。ようやく解放された梅花は首を縦に振った。
「はい。名前を呼んで無理矢理記憶を引きずり出した場合、どうやらそれまでの記憶は引っ込んでしまうようなので」
「はあ、そのようですね」
「だからセインの名前を呼ぶ前に確かめたいんです」
 梅花は、はっきりと言った。
 確かにこのままではまずい。昔のことだけを知る者と今だけを知る者、その橋渡しをする者がいなければこの場は混乱するばかりだった。まず名前が違うのが問題だ。どの名が誰を指すのか、全てを記憶するのは難しい。
「セインの記憶が戻った場合、それは他の神も影響しますか? 皆が引きずられる、とかありませんか?」
 梅花の問いかけに青葉ははっとした。そうだ。セインの引きずられて他の上位の神は核となって消えたのだ。同じように引きずられて皆元に戻るという可能性もある。一気に多くの者が、蘇る可能性も。
「そうですね……その可能性は高いですね。名の力は大きいですし。ですがレインが引きずられることはないと思います。あなたは、白き者ですから」
 だが何故問いかけたのか気づいたのか気づかなかったのか、のほほんとした声でケイファは答えた。梅花はほっとしたように微笑む。しかし青葉の心は穏やかではなかった。
 オレの記憶が消えるかもしれない。
 考えるだけで背筋が凍りつく。そんな心の準備も覚悟も何もかもがなかった。命をかける覚悟はしたというのに、記憶を失うとなると動揺が走る。
「やはり無理矢理引き出すことで記憶の統合が取れないんでしょうね。いや、同化が追いつかないと言いますか」
「同化?」
「別の人格が合わさって一つの人格となる、ということです。ホワイト様とリシヤ様が同化する時は、それは大層時間がかかりました。いくら生まれ変わりでも、別の記憶を受け入れるということはそれに近いのだと思います。知らない自分を受け入れるのですから」
 付け足されたケイファの言葉に、彼ははっとした。記憶が戻るとはそういうことなのか、と。今までは漠然としていたものが目の前に突き出された気分だった。
 青葉は手を握り、それを見つめる。では受け入れるまでは皆ホワイトの様なままなのだろうか。まるで別人のようなままで、過ごすのだろうか。
「わかりました。じゃあ私の名を呼ぶのはリティが戻ってきてからにしてください」
 梅花は凛とした声でそう言った。ケイファは瞳を瞬かせ、ゆっくりと首を傾げる。
「どうしてですか?」
「この場を混乱させないためです。リティが戻るまで私が橋渡し役になりますから、今の記憶に引っ込まれると困るんです」
 梅花ははっきりと言いきった。強いと、青葉は心でつぶやく。梅花は強い。前から思っていたがやはり強い。
 そうだ、その役目は彼女にしかできないはずだ。異常な記憶力を持つ彼女ならば、きっとこの間話に出ていた名前も全て覚えているだろう。そうでなければその役目は果たせない。他の者には無理だ。
「さすがはレインですね。わかりました。ではあなたの名前は最後にしましょう」
 ようやく梅花の意図を理解したか、微笑むとケイファはホワイトを見た。成り行きを見守っていた彼女も、今は穏やかな微笑を浮かべている。
 こういった表情は、レンカそのものだ。今まで見慣れていた顔と何ら変わりない。
「それではホワイト様」
「ええ」
 ホワイトはうなずいた。彼女はすぐ横にいる滝へと目を向け、その手をそっと取る。
「セイン」
 呼びかける声は優しかった。揺れる白い髪と薄青の瞳さえ意識しなかったら、きっと滝だって笑い返せただろう。
 だが滝は小さくうなずくと、堅く唇を結んだ。覚悟のできた顔だった。
 強いなと、もう一度青葉は心でつぶやく。どうしてこうも周りは強い者たちばかりなのか。動揺してる自分が小さく、惨めに思えてくる。それでも瞳は逸らさずに、彼は真っ直ぐホワイトを見た。
「あなたにはまた辛い思いをさせるけれど、でももう少しだけ我慢してね」
 彼女の唇からこぼれたのは淀みのない言葉。初め感じた恐怖が消え去っていった。とんでもない存在であるのは確かだ。だが、それでも確かに彼女はレンカだった。その片鱗が今でもきちんとある。
 ホワイトは滝を、滝はホワイトを真正面から見つめた。
「目を覚まして、セイントィバードゥ」
 彼女の口から、滑らかに名前が紡ぎ出された。やはり名前と呼ぶにはやや不可思議な、まるで何かの音色のような声だった。
 体が震える。けれども異変が起きたのは視覚だけだった。周りの景色が揺らぎ、全てが赤に覆われ、世界が夕闇に包まれたようになる。炎のように赤から橙、そしてふと突然赤紫へと揺らぐ光が満ちた。
 一瞬、何か鳥のようなものが羽ばたくのが見えた。それは知識にある鳥よりは遙かに大きくて、空間からかろうじて浮き上がり、揺らめき、そして消えていった。
 その先に、代わりに現れたのは一人の男性。
 いや、滝だ。
 顔は変わらない。髪の色も瞳の色もほぼ同じだった。違うのは服装だけで、装飾が多いのを除けば普段の彼とそれほど変わったようには見えない。だがそれでもセインなのだろう。放つ気の強さが、体を芯から揺さぶっている。それは決して今まで知っていた滝のものではなかった。
 光は、唐突に止んだ。
 すぐに見慣れた景色が戻ってきた。安堵の息をこぼしながらも、青葉は口の端を上げる。
 あれがセイン、神の頂点。これでディーファも文句を言えないはずだ。彼は記憶を取り戻し、こうして今ここにいるのだから。賭は、ディーファの負けだ。
 周囲の目線を受けながらも、セインはおもむろに視線を巡らせた。
「ここは? ホワイト?」
「セイン、あなたを捜してたの」
「ホワイト?」
 そんなセインの手をきつく握ってホワイトは笑った。だが彼は何が起こったのかよくわかっていないようだ。そうだ、彼は自分が核となって飛び立ったことも知らないのだ。それを追ったホワイトは知っていても、彼自身は全く知らない。
「捜していた?」
 だが、問い返すセイン声が小さくなったように感じられた。彼の眼差しは真っ直ぐホワイトへと向けられている。ホワイトの眼差しも、彼へと向けられていた。
 あれ?
 青葉は首を傾げる。違う、おかしいのは自分だ。ホワイトの口が動いているのに、その声が全然聞こえなかった。二人は確かに何か言葉を交わしているというのに。
 まさか。
 嫌な汗が拳ににじみ、それを彼は自分の胸に押しつけた。鼓動が早くなっている。心なしか胸の辺りが熱い気がして、息が苦しいように思えた。
「いくらなんでも早すぎるだろ」
 自分の声も、ほとんど聞こえなかった。だが思い当たるふしはあった。ブレードはセインをもとに生み出された、最初の神なのだから。
 それにしたって早すぎる。
 彼は毒づきながら膝をついた。体が熱くてたまらない。嫌な汗が、どっと噴き出る。
 視界がかすんで、唐突に全てが暗やみに包まれた。だが倒れる直前に誰かの腕が伸びてくる感触があった。温かで、頼りになる、慣れた感触だ。
 先、行く。
 彼は安堵の息を吐き出して、そして意識を手放した。
 心は得体の知れない闇へと深く深く、沈み込んでいった。

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