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7 髪を弄る
8 たよりない笑顔だったから
11 密接空間
14 月を待たずに
15 長い睫毛
18 寂しいんだよ
22 ゲームのルールのような
24 待って
25 吹きやまない優しい風
26 空を見上げる二人
28 綺麗の秘密
29 鍵を探そう
1 今、会いたい (第二十四章読了推奨)
 音を立てて開いた扉を、アスファルトは一瞥した。普段は絶対開かないはずの灰色の扉、それが勝手に開く理由は一つしかない。
「アスファルト!」
 そこには予想通り、壁に手を着いて立つユズの姿があった。明るい茶色の髪に上下の繋がった青い服。不機嫌なのを堪える表情は見慣れたもので、彼は口の端を上げた。
「どうかしたのか?」
「どうもこうもないわよっ」
「何か用事か?」
「ただ、会いたくなっただけ!」
 わざと足音を響かせながらやってくる彼女は、怒りを押し殺してるようだった。
 また何かあったな。
 彼はすぐに気づくが、あえて聞かない。彼女が言うまで問いかけない方がいいのを、経験上知っていた。
 弱音を吐くのが嫌いな彼女は、あまり他人に愚痴を言わない。彼女がこの研究所を訪れる、その三分の一は、溜まった弱音がどうにもならない時だった。
 彼は書類を灰色の机に放り投げて、座ったまま彼女を見上げる。感情豊かな茶色い瞳が今は濡れていた。真っ直ぐ視線を合わせて、彼は頭を傾ける。
「で、会ったら機嫌は直ったか?」
「それだけで直るわけないでしょう」
「そうだな」
 彼は彼女の手を引き寄せるとその体を横抱きにした。彼女は一瞬何が起こったかわからない顔をして、瞳を瞬かせる。
「あれ?」
「どうしてそこでそういう声が出るんだ、お前は」
「うーん、いや、何でだろう。というか何で今日はアスファルト優しいのよ。いつも研究の邪魔だって怒るじゃない」
「怒ってる奴に怒っても、長引くだけだからな」
 さらりと答えてやれば、ムッとしたように彼女は口をつぐんだ。彼女はそれほど華奢というわけではないが、彼の方が圧倒的に大きいためすっぽり腕の中に収まる。時折ずるいと意味不明なわめきを発することもあるが、今日はそれはなさそうだった。
「私はね、悪魔に魂を売ったんだそうよ」
「悪魔じゃなくて魔族だろ」
「同じようなものだってさ。自分は正義だって疑ってないのよね。本当馬鹿みたいで腹が立つ」
 不機嫌な理由はそれのようだった。胸の奥がちくりと痛むが、気取らせまいと彼はからかいの笑みを浮かべる。
 彼といることで、彼女は蔑視される。だがそのことで彼が負い目に感じれば、彼女はさらに傷つくだろう。
 あまりに不安定で、微妙な関係。まるで綱渡りのようだ。
「聞いてる? アスファルト」
「ああ、聞いてる」
「嘘。今別のこと考えてたでしょう。また私をごまかそうとしたわね」
 彼女の指先が彼の胸を突っついた。ふざけたような仕草だが、本当は全て見抜いているに違いない。
 あらゆる感情に、思いに、聡い神。ごまかすのは至難の業で、それでも傷つけたくないから彼は必死に理由を考える。
「お前がおとなしいから」
「ん?」
「これからどうしようか考えてた」
 いたずらっぽく微笑めば、彼女は再び目を瞬かせた。それから頬を染めて、突然バタバタと暴れ出す。
「ちょっと何よどうしようって、この変態、放せー」
「本当に逃げたいなら逃げればいいだろう?」
 じたばたする彼女へ、彼はそう言って笑った。神や魔族は、瞬時にその場から消えることができる。通常転移と呼ばれる技だ。だから本当に逃げたければ逃げればいい。気絶させられるか混乱しているか精神が足りない状況でなければ、簡単に逃げ出せるのだ。
「アスファルトの意地悪」
「何がだ」
「すぐそうやってごまかすのね」
「お前もな」
 明るい茶色の髪を一房、彼はすくった。彼女は口をつぐんだまま、目だけで彼を見上げる。
「アスファルト」
「何だ?」
「また会いたくなったら来てもいい?」
「お前なら、勝手に入れるだろ」
 彼女にだけは、この研究所にかかったロックのはずし方を教えていた。それは彼なりの意思表示の一つだ。彼女は口角を上げて、白衣の襟を掴む。
「ありがとう」
 願いの籠もった言葉を、アスファルトは笑顔で受け取った。
 不安定でも綱渡りでもいい、ただそれができる限り長く続くようにと、そっと祈りながら。