7 髪を弄る
8 たよりない笑顔だったから
9 捨てられた猫のような ★5/25
11 密接空間
14 月を待たずに
15 長い睫毛
18 寂しいんだよ
22 ゲームのルールのような
24 待って
25 吹きやまない優しい風
26 空を見上げる二人
28 綺麗の秘密
29 鍵を探そう
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2 幸せな朝の目覚め方 (第二十七章読了推奨)
まどろみの中で耳にする鳥のさえずりに、シンは眉根を寄せた。すぐ側で聞こえるよう頭に響く高音が、今が朝であることを如実に告げている。
もう、朝か。 そう理性は承認しても、しかし体はいうことを聞いてくれなかった。もう少し惰眠を貪りたいと主張して、瞼すら持ち上げることができない。 だがそれも仕方のないことだなと彼は理解していた。ついこの間まで、この体はとんでもない状況にあったのだ。魔族の、ブラスト情報を埋め込まれて不安定になるという、通常は考えられない事態の中に。 だからもう少し寝ていよう。 彼はそう決心するとずれかけていたシーツをたぐり寄せた。柔らかい布は触り心地も良い。だから口元まで潜りながら、彼はその肌触りを堪能した。生きているという感覚だ。きっとこれが幸せということなのだろうと、ぼんやりと頭の隅で考える。決して堕落というわけではないはずだ。 「ん?」 だが彼の意識が再び眠りへと誘われる前に、扉を叩く音がした。最初は控えめに、次はもう少し強く、乾いた音が響く。 「開いてる」 誰かはわからずも、否、誰かは予想できていたが確証がないものの、彼はそう答えていた。不調のため気を感知する能力が鈍っているのだ。全てが薄いベール越しにしか感じられず、いつももどかしさを覚えている。だがこの基地の中に入り込める者に、少なくとも命の危険性を感じることはないはずだった。シーツの中から顔だけを出して、彼は扉の方をうかがう。 「あ、起こしちゃった?」 すると扉から顔を覗かせたのは、やはりリンだった。朗らかな笑顔に悪戯っぽい声音は、見る者に怒る気をなくさせる力がある。足音を立てずに近づいてきた彼女を彼は見上げた。ここしばらく彼女はこうして彼の部屋を訪れている。しかし数日おきに現れる彼女と、ベッドの中で対面するのは初めてだった。大体彼の方が先に目を覚まして、動く気にはなれないがそこに座り込んでいることが多いからだ。 「いや、もう鳥に起こされてたから」 彼はそう答えた。実際は二度寝に挑戦しようとしていたところだが、説明するのも面倒なので隠しておく。すると彼女はにこにこしながら近づいてきてベッドの端に腰掛けた。手を伸ばせばその腰を容易に掴まえられる距離だ。 「体は大分楽になった?」 「まあ、前よりは、かな。そういうお前こそどうなんだよ」 「私? 私はこの通り元気よ」 問い返せば彼女は手をひらひらとさせてまた笑った。けれども本当はまだ傷が痛むのだろうと彼は推測する。表情には表れていないが、動作の端々にかすかにぎこちなさを感じるのだ。彼自身も動くたびに小さな痛みを感じているからこそ、理解できる痛み。しかしそれを悟らせまいとする強さが彼女にはあった。そんな些細な気遣いが嬉しくて、置かれていたもう一方の手を彼は取る。 「シン?」 「オレさ、本当はもう一度寝ようと思ってたんだよな」 続く彼の言葉に彼女は小首を傾げた。時折握られている手に目を落として、不思議そうに瞳を瞬かせている。 「で、それを邪魔されちゃったわけ」 「あーそうだったんだ。ごめんね、じゃあ私出るから」 「いや、出なくていい」 彼は握った手に力を込めた。覗き込んでくる彼女はますます怪訝そうで、彼の言わんとすることなど全く気づいていないようだ。 「だから邪魔した罰ってことで、傍にいて」 「……はい?」 笑いながらそう言えば、彼女は眉をひそめて瞬きを繰り返した。まだわかっていないらしい。仕方なく握った手を軽く引き寄せると、バランスを崩した彼女の上体が彼の上に覆い被さってくる。 「ちょっと、シンっ」 「添い寝って奴?」 「からかわないでよね。確かに、まだ、朝食には早いけど」 間近で見る彼女の黒い瞳は困ったように揺れていた。どことなく甘えた子どもを見守る母のようで、しかしかすかに戸惑いを含んでいる。 確かに甘えてるなと彼自身もわかっていた。今までこんなことなんて言ったことないし、そうしようと思ったことすらなかった。だが今は無性に恋しいのだ。彼女が傍にいるのだと、実感したくて仕方がない。 「大丈夫よ」 大きく嘆息すると彼女はそう囁いた。頭を傾けるとその柔らかい髪が揺れて、シーツの上を滑っていく。 「私はどこにも行かないから。シンこそ逃げないでよね? 私あなたがいないと駄目なんだから」 彼女は泣きそうな顔で笑った。何も言わなくても思っていることが伝わっているような、そんな温かな響きに胸が熱くなる。 この基地の中に、再び彼の居場所を作ってくれてのは彼女だ。戻ってきて欲しいと言い続けてくれたのは彼女だ。彼女を傷つけたのに、それなのに傍にいてと言う。嬉しくて嬉しくてどうしようもないことだった。 だから彼女を感じたかった。傍にいると、二人とも生きているのだと確かめたかった。 「オレは逃げないよ」 「本当? それなら朝食の時間まで添い寝してあげてもいいわよ?」 彼女は悪戯っぽく笑った。 今幸せの中にいるのだと、彼は言い様もなく実感していた。 |