7 髪を弄る
8 たよりない笑顔だったから
9 捨てられた猫のような ★5/25
11 密接空間
14 月を待たずに
15 長い睫毛
18 寂しいんだよ
22 ゲームのルールのような
24 待って
25 吹きやまない優しい風
26 空を見上げる二人
28 綺麗の秘密
29 鍵を探そう
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3 デートしようか? (第二十八章読了推奨)
全てはその一言から始まった。
「デートって何だ?」 会話に突然挟まれたアースの疑問。青葉はカウンターに突っ伏した状態で、驚きの眼差しを彼へと向けた。 「え、アース、デートを知らないのか?」 「知らん。どう記憶を探ってみてもそれらしい言葉は出てこない」 アースは憮然とした表情だった。必死に記憶の底を探っているらしく、やや眉根がよっている。青葉は勢いよく体を起こし、手をひらひらとさせた。 「まあ生まれて二十二日だしな。いや、むしろ日常生活営めてる方がおかしいのか……」 最初は冗談交じりだった青葉が、次第に声のトーンを落としていく。日常茶飯事となった食堂でのたわいもない会話ではあるのだが、しかしよく考えてみれば何だかかわいそうな気もしてきた。 自分もそうだが、この休みのない生活ではデートどころではない。 もしかしたら彼は一生デートが何たるかを知らず過ごすかもしれないのだ。 「一回ぐらいしてみてもいいよなあ」 「そのデートという奴は面白いものなのか?」 青葉が腕を組むと、アースは不思議そうに問いかけた。名前だけでは何が何だかわからないのだろう。青葉はレーナを真似て、人差し指を立てて得意そうに口を開く。 「好意を持った男女が二人で出かける、それがデートだ」 「ん? それに何の意味があるんだ? 二人でいることが重要なのか?」 「それもそうだけど……でも出かけることに意味があるんだ。一緒にご飯食べたり遊んだり……うわあ、しそうにない、あいつ」 説明しながら青葉は頭を抱えた。アースの意中のお相手は、人外の少女だ。食事をする必要性もなければ、からかい以外の楽しみを持っている様子もない。デートとは無縁そうな存在である。 「ん、レーナだ」 その問題の彼女が現れたのを、アースはすぐさま察知した。青葉も彼の視線を追って、上機嫌で入ってきた少女を見る。 何かいいことがあったのだろうか? 何にしてもチャンスのような気がする。これはうまいこといくかもしれないぞ、と彼は内心でそうつぶやいた。 たまにはいいことをしてやろうではないか。 丁度彼の気分はそんな具合だった。 「レーナ」 やや大きめの声で彼はそう呼んだ。彼女が振り返り、小首を傾げながら近づいてくる。 「どうかしたのか? 青葉。それにアースも」 「お願いがあるんだけど」 「何だ?」 できるだけ真剣な顔をし、青葉は息を整えた。ここが正念場だ。不思議そうにする彼女の黒い瞳を、真っ直ぐと見据える。次の展開が予想できないらしく、アースもただ黙って彼の言葉を待っていた。 「アースとデートしてやってくれないか?」 その頼みに、彼女は固まった。 唖然としたアースを横目に、彼は胸の内で満足そうにうなずいた。 森の中を歩きながら、レーナは小さくため息を吐き出した。鳥の鳴き声も動物の気配もしないそこには、ただ風の音だけが満ちている。 「しかしまたやっかいなことになったなあ」 彼女の数歩後ろをアースが歩いていた。だが先ほどから無言だ。無言ではあるが、痛い程に視線を感じている。今までに類を見ない程やっかいな事態に巻き込まれている気がしてならなかった。 全ては青葉が元凶だ。 突然デートしてやってくれなんて言い出すものだから。 『われだってやったことないぞ、そんなもの。そんな暇が一体どこにあったと思うんだ』 そう反撃してみても彼は譲らなかった。ならなおさらいいじゃないか、とか何とか声を上げていた。 あまりにうるさいから仕方なく承諾してみたものの、現状はこれである。一応気の乱れが激しくなっているナイダの見回り、という名目はあるが、やっていることはただの散歩だ。 「絶対デートではない」 口の中でぼやきながら、彼女は顔を曇らせた。青葉の狙いが何なのか、さっぱりわからない。 だが立ち止まってはいけない気がした。立ち止まれば『何か』が起きてしまうような予感があった。だから無言でもひたすら歩き続け、名目である見回りを続ける。 「ん?」 しかしふと何かの泣き声が聞こえてきたようで、彼女は足を止めた。視線だけで辺りを探ってみるが、それらしい姿はない。 気のせいか? だが何かが動いたのは確かだ。木々のささやきが、先ほどとはかすかに異なっている。 「レーナ」 「え?」 不意にかけられた声に、彼女は瞳を瞬かせた。背中に感じるぬくもりと回された腕とが、止まりかかった思考に警告を投げかける。 まずい。 何だかまずい。 三週間も前のことならそうは思わなかっただろうが、彼女の頭にはただその単語だけが浮かんだ。前の代であれば、そう、背後から抱きしめられることは日常茶飯事だった。だが今は違う。少なくともここ十五日程はそんなことはない。 「駄目だ、やはり四日は待てない」 「四日?」 「三日前に言われた、四日待てと」 痛いくらい力の入った腕の中で、彼女は困惑の表情を浮かべた。 あと一日で彼女は十六となる。つまり、本来の姿となる。 何となく嫌な予感だ。 「あ、アース?」 恐る恐る名前を呼ぶと、さらに腕に力が込められた。技でも使わない限りふりほどけそうにはない。体中を危険信号が駆け抜けていった。 「お前はわれのことが嫌いか?」 「え、ええっ?」 「嫌いか? 好きか?」 「き、嫌いなわけないだろう?」 耳元でささやかれる言葉に、背筋がぞくりとした。これだけ彼の体温を近くで感じるのは久しぶりだ。何だか泣きたくなるのはどうしてだろうか。 「じゃあいいのか? キスしても」 「え?」 答える前に、それは実行された。首筋に不意に口づけが落ちてきて、思考が一瞬で真っ白に染まる。 「……いい匂いがする、それに甘い」 「いやいやいやちょっと待てっ! いきなりそっちへ行くか普通!?」 頬が紅潮し、心臓が高鳴っていくのがわかった。レーナとしての落ち着きの仮面は既にどこかへ行ってしまっていた。これだから二人きりというのは困る。五腹心はしばらく動かないだろうけど、まだ何が起きるかわからないというのに。 「顔が赤いな」 「アースのせいだ……」 「予想していたよりずっとかわいいな」 「よ、予想ってどんなだ!」 ついこの間まで赤ん坊だった相手に何考えてるんだと、叫びそうになった。だが耳にしたくない答えが返ってきても嫌なので、それは堪えた。 何だか頭がくらくらしてくる。頭痛を通り越してもはや目眩だ。 「え?」 途端にそれまで体を拘束していた腕がゆるみ、彼女はよろけそうになった。だが踏ん張ろうとするのとは別の力がかかり、ゆっくりと背中から草原に倒れ込む。 「あ、あ、アース……?」 すぐ目の前には見慣れた黒い瞳があった。鼻孔をくすぐる草の匂いが体を取り巻き、暖かなそよ風が長い髪を撫でていく。 「サツバが――」 「うん?」 「デートの最後は押し倒すものだと」 「いや、それはちょっと間違ってる! いや間違ってないかもしれないがとにかく間違ってる!」 そこから逃れようと彼女は必死に抵抗したが、彼の体はびくとも動かなかった。ただ真っ直ぐとした眼差しが注がれ、早鐘のような鼓動が止まらなくなる。 「違うのか? とてつもなくかわいいものが見られるという話だが」 「あ、あいついつの間にそんなことを……油断も隙もない」 彼女はできるだけ視線を逸らしながら強く唇を噛んだ。面白半分なのか何なのかは知らないが、ものすごい迷惑だ。後で何か仕返ししなくてはと思う。 「あ、アース、あのな」 「何だ?」 「も、物事には順序ってのがあるんだ。それにデートだろう、デート。これは絶対違うから」 「そうなのか……」 名残惜しそうに顔をしかめながら、それでもアースは上体を起こした。ようやく解放されたレーナはほっと息を吐き、胸に手を当てながら彼の瞳を見上げる。 「まあこんなところじゃデートという感じでもないかもしれないが、とりあえず川にでも行こう? 確かあったはずだ」 「……押し倒すのはその後ということか」 「い、いやそこにこだわらなくていいから! ただでさえ戦力少ないのに、われを戦闘不能にする気かお前は」 彼女は頬を赤らめて、真顔のままの彼をにらみつけた。彼は苦笑しながら、その長い髪に指を絡める。 「わかった。まあわれは二人きりでいられれば今は十分なわけだしな」 ささやきに、彼女は瞳を伏せて一言、ありがとうとだけつぶやいた。 柔らかい風が、二人の間を擦り抜けていった。 帰ってきた二人を、青葉はまじまじと見つめた。いつも通り食堂でのブレイクタイムだが、気持ちはそれどころではない。 アースは何だかとても満足そうだし、レーナもこれといって普段と変わるところはなかった。二人に席をすすめた彼は、カップを口に付けながらむむむと胸中でうなる。 「で、どうだったんだ? デート」 仕方なく彼は素直に切り出すことにした。レーナはちらりと視線を上げて微笑むだけで、何も言わない。 「結局デートとやらの定義はよくわからなかったが――」 「お?」 珍しくアースが率先して口を開いた。青葉は目を見開いて、カップをテーブルに置く。何やらよいことがあった模様だ。 「満足はした」 「そ、そうか。それはよかったな」 「うむ。押し倒せたしな」 『――!?』 アースの爆弾発言に、青葉は思い切り咳き込んだ。レーナを一瞥すれば、彼女も同じように咳き込みそうになって、アースの服をぎゅっと掴んでいる。 「ちょちょちょちょっと待て、アース。お前なんで初デートでんな暴挙に出てるんだ!」 「暴挙? サツバはデートの基本だと教えてくれたが」 「いつ!?」 「お前がレーナと交渉している時だ」 頭が痛くなり、青葉は手のひらを額に当てた。ものすごく申し訳ない気分が胃のそこから這い上がってきて、うつろな目になりそうになる。 「……悪かった、レーナ」 「いや、謝らなくていいから! 何もなかったのだし」 「そうか、何もなかったんだな」 「青葉ちょっと待て、何だその憐れみの眼差しはっ」 ほんの少し頬を赤らめて、彼女は顔をしかめてきた。こんな顔が見放題なら、確かにアースも満足するだろう。 彼は息を整えながら、どうしたものかと心の中で何度かうなった。だがよい結論など出そうにない。 「と、とにかく、アースには正しい知識を教えておく」 「そうしてもらえると助かる」 「じゃないと今度はオレが梅花に怒られるからな。レーナ困らせてるだろうって」 アースの右手が彼女の髪を撫でていくのを見て、彼はあてられそうになるのを感じた。後で梅花に会いに行こうと決意し、ゆっくりとまたカップを手に取る。 「まあ何にしろ成功だったみたいだから、いいんだけどな」 二人に聞こえない程度につぶやいて、彼は微苦笑を浮かべた。 終わらない戦いを恨みがましく思いながら、もうちょっとだけな、と言い聞かせて。 外では風が、柔らかに世界を包んでいた。 おまけを読む? |