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7 髪を弄る
8 たよりない笑顔だったから
11 密接空間
14 月を待たずに
15 長い睫毛
18 寂しいんだよ
22 ゲームのルールのような
24 待って
25 吹きやまない優しい風
26 空を見上げる二人
28 綺麗の秘密
29 鍵を探そう
19 三日後の返事 (第二十二章読了推奨)
 突然現れた少女が気を失ってから、三日がたった。魔族との戦いを繰り広げながらも彼女が気になっていたシレンは、結局今日もこの部屋にやってきていた。彼がいる間は誰もここには来ない。そのことに感謝しながらも、彼は部屋の中へと足を踏み入れた。
「まだ、起きてないな」
 ひたすらに白い部屋の中、寝台の上には少女が横たえられていた。彼女が何者なのかはおろか、名前すら彼は知らない。いや、彼だけではなく皆が知らなかった。しかしその気は確かに神のものだったから、誰も彼女を追い返そうとはしていない。故に彼女は今日もここに、固く目を瞑ったまま眠っていた。
 いや、理由はそれだけではない。この三日でいつの間にか沸き起こった一つの噂が、彼女をここに繋ぎ止めていた。彼女があの転生神ではないかと、そういう希望にも似た噂だ。
「馬鹿馬鹿しいよな」
 眠る彼女の顔を見下ろして、彼は苦笑を漏らした。華奢な少女は赤い衣を身に纏い、白い寝台の上で眠っている。そこからはとてもではないが、転生神の威厳は感じ取れなかった。そもそもその噂が真実ならば、彼も同様に転生神ということになる。
 そんなことがあるだろうか? 強さだけで性格は荒いと疎まれてきた彼が、皆の希望の象徴である転生神だというのだろうか? 考えるだけでも吐き気が込み上げてきて、皮肉な笑みが浮かんだ。彼は寝台の傍らに膝をつくと、彼女の顔を覗き込む。
「お前は誰なんだ?」
 問いかけても、無論答えは返ってこなかった。よかった、追いついて。また、会えてよかったと。あの時彼女はそう言った。突然何もない空間から姿を現して、そう囁いて倒れた。彼女は自分を知っているのだろうか? どこで知ったのだろうか? けれどもそうやって考えても、何も答えは得られそうにない。それこそ皆の馬鹿馬鹿しい噂に、結局は辿り着くだけだった。
 彼はそっと手を伸ばすと、彼女の髪を梳いた。木肌に似ているその髪は、肩より少し長い程度だ。しかしそれは手触りのよい布地のように艶やかだった。自然と上がっていた口角を自覚して、彼は慌てて視線を逸らす。
「だ、れ?」
 刹那、左の耳に小さな声が届いた。はっとした彼が彼女の方を振り返ると、ゆっくりと瞼が開かれる様が目に映った。あの時一瞬だけ見た榛色の瞳が、真っ直ぐに彼へと向けられる。思わず息を呑んで彼は目を見開いた。そして髪に触れていた手を慌てて離す。
「き、気づいたのか?」
 今すぐにでもあらゆる疑問を口にしたい。そんな衝動を抑えて、彼はそう尋ねた。彼女は不思議そうに瞬きを繰り返し、彼の顔を見つめている。それはあまりに遠慮のない眼差しで、鼓動が不必要に高まった。よく考えたらかなり距離も近かった。それなのにこれでは目線をずらすこともできない。
「気づいた? ……私、倒れたの?」
「覚えてないのか?」
「うん、全然。ここがどこかもわからないし」
「ここは地球の神界だ。お前突然現れて、それで倒れたんだ」
「そう、だったの」
 ともすれば早口になりそうだったが、シレンはできる限りゆっくりと言葉を口にした。目の前の少女は最初に会った時の印象よりも、幾分か幼く思える。あの時は見た目こそか弱いのに、そこに想像できない程の深みを感じたのだ。しかし今、目の前の彼女にそれはない。ただ単に混乱しているだけかもしれないが、何故だか保護欲をそそられた。とにかく頼りない。
「――名前は?」
 しかしこのままでは呼びかけにくいと、彼はまずそう問いかけた。すると途端に彼女の瞳が揺れて、その綺麗な眉がひそめられる。何だか嫌な予感がして、彼は固唾を呑んだ。普段は滅多に感じないことだが、感じた時はそれはまずだいたい当たってしまう。嫌なことだ。
「覚えて、ないみたい」
「そ、そうか。どこから来た、とかもか?」
「ええ、それも記憶にないの。どうしてここにいるのかも、全然わからないのよ。ただ――」
「ただ?」
 やはり予感は的中した。どうも記憶を失っているらしい。だが幸いかな、それだけでもないようだった。不自然に言葉を切った彼女は、彼の瞳を覗き込んでくる。そこに温かな色が宿っているようで、不思議と苛立ちも収まっていった。
 いつだって何が原因かはわからないが、常に苛々としていたのだ。またそんな漠然とした不快感を意識したくなくて、とにかく魔族と戦ってきた。しかし今はそれがない。不思議なくらいの安堵感があって、油断すると笑みがこぼれるくらいだった。無意識に伸ばしていた手で彼女の頬に触れると、榛色の瞳が優しく細められる。
「あなたの気は、安心する」
 彼女の口からこぼれたのは、そんな言葉だった。それは彼の鼓動を跳ね上がらせるには十分な力があって。彼はどうしたらいいのかわからず、ひたすら視線を彷徨わせた。
 こんなことを言われたのは初めてだ。誰もが彼を遠巻きに眺めていて、決して近づいてはこなかった。それなのに会った途端あんなことを口にして、そして目覚めた途端これだなんて反則だ。無視できるわけがない。嫌いになれるわけがない。好きにならない、わけがない。
 彼は内心でため息をつくと、彼女の額へと手のひらを移動させた。そして前髪をかき分けると、そっと軽い口づけを落とす。
「……え?」
「オレも、お前の気は好きだ」
 真上から見下ろしながら、彼はそう囁いた。わけがわからないといった様子の彼女は、何度も瞬きを繰り返している。反則技な発言をしたにもかかわらず、その効果は理解していないらしい。彼は苦笑するとその手をのけた。そして自身の深緑の髪を乱雑に掻き上げて、落ち着きを取り戻そうとする。
「オレはシレン」
「シ、レン?」
「オレも、お前に会えてよかった」
 たぶん覚えてないだろう三日前の言葉に、彼はそう返した。ただどうしても伝えたかった。これから何かが変わる気がするから、今とてつもない何かを手にして気がするから。だから伝えずにはいられなかった。
「うん」
 理解しているのか否か、わからないが彼女はうなずいた。そこに浮かぶのは眩しく感じる程の、柔らかな笑顔だった。