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7 髪を弄る
8 たよりない笑顔だったから
11 密接空間
14 月を待たずに
15 長い睫毛
18 寂しいんだよ
22 ゲームのルールのような
24 待って
25 吹きやまない優しい風
26 空を見上げる二人
28 綺麗の秘密
29 鍵を探そう
6 この手を伸ばせば・・・ (第五章あたりまで読了推奨)
 テレビからは絶え間なくニュースの声が続いている。凶悪事件や謎の火事についてひとしきり騒いだ後は、名も知らぬ芸能人のスキャンダルについて熱く語っていた。それをぼんやりと聞き流しながら、シンは欠伸をかみ殺した。
 眠い。昨日は明け方近くまでの仕事だったから、さすがに眠気を堪えるのは無理だった。座卓で向かい合ったリンが瞼が落ちていたとしても、声をかけられないくらい彼も眠い。
 昨夜の違法者の動きを、彼女が感じ取ったのは奇跡と言ってもよかった。ただ平日だとサツバはいないし、何度たたき起こしても北斗やローラインは目覚めてくれない。結果シンとリンは二人だけで、違法者たちと対峙するはめになった。
 これで相手の人数が少なければ何の問題もないのだが、あいにく今回のは集団。結局捕らえるのに朝方までかかり、しかも火の手が上がるという嫌な事態まで引き起こしてしまった。リンが早々と消火しなければ、今ごろ大変なことになっていただろう。
「報告書、明日に回せたらいいんだけどなあ……」
 本当なら今すぐ横になりたいくらいだ。しかしすぐに収まったとはいえ火事という公の事件が起きたとなれば、報告書が必要。そんなわけで彼らは仕方なく部屋で座卓に向かっていた。もっとも回らない頭では書類が埋まるわけもなく、先ほどから一文字も進んでいない。
 これは一度寝てから書くべきだろうとシンが決意した途端、向かいのリンがのろのろと頭をもたげた。
「しまった、寝てたわ」
「うん、寝てたな」
 彼女は眉根に人差し指を当てて、大きく息を吐いた。何だかんだ言いながら真面目な彼女は、こういう時あっさり諦めるということをしない。負けず嫌いなのだ。ともすれば落ちる瞼に抗って彼女は軽く唇を噛む。その眼差しは机の書類に落ちてはいるが、文字を追っているのかどうかは怪しかった。
「リン。一旦寝ないか?」
「駄目。今寝たらあの感覚とか火事の規模とか忘れそう。うるさいのよねー上って」
「それはそうだけど」
「寝るならシン、先に寝てて。忘れそうなところだけでも先に埋めておくから」
 彼は思い切って提案してみたが、予想通り彼女は首を横に振った。技を公にしたくない上は、こういった騒ぎが生じた時は特に細かいのだ。それは彼もわかっているから、無理矢理寝かしつける気にはなれない。そもそもそんなことは無理だろう。
 かといって先に寝るという選択肢も、彼にはなかった。仕方なくため息を吐いてから、彼も書類へと視線を戻す。彼の方の一枚はそのほとんどが事務的な物だ。頭さえしっかりしていればあっという間に埋まるはずの書類。
 しかし文字を追おうにも何度も同じ行を行ったり来たりするだけで、内容が頭に入らなかった。間違えるとこれまた上はやはりうるさい。嫌味とともに書き直しさせられる事態だけは避けたかった。
「コーヒーでも淹れよう」
 そこで名案が浮かび、彼は立ち上がろうと顔を上げた。そして視界に入った彼女の瞼が、再び落ちているのを目撃した。今にも机に突っ伏しそうな不安定な状態で、それでも器用に頬杖をついている。その小さく開いた唇から吐息が漏れると、何故か彼はそれ以上動くことができなくなった。
 普段はずっと気にしないふりをしてる。一緒に生活しているという事実から、あえて目を逸らしている。だがこういう時は無理だ。手を伸ばせば頬へ触れることだって容易い距離なのだと、思い出してしまうと誘惑に駆られる。
 無防備なのは信頼されているから。見知らぬ世界で秘密を共有している仲間だから。それ以上の理由はないはずなのに、期待してしまうのは嫌な性だった。一歩踏み出せば崩れる関係を維持するのは難しい。それでも時々、踏み越えてしまいたくなる。
「リン」
 彼は小さく名前を呼んだ。これで起きてくれれば、彼は笑顔でコーヒーを淹れに行くことができる。誘惑と戦わなくて済む。しかし非情にも彼女が反応することはなく、代わりに聞こえたのは小さな寝息だった。彼は眉根を寄せるとそっと彼女の肩へと手を伸ばす。
「おい、リン」
 起こすために揺するだけで、それ以上の意味はない。自らにそう言い聞かせながら、彼は指先でまず彼女の肩先を叩いた。心臓が高鳴っているのは気のせいだと思いたい。こんなことで緊張しているようでは身が持たない。彼は数回深呼吸をして、頭を左右に振った。
「リン」
 頬杖をついている手に、彼は指先で触れる。この手を外せばきっと彼女は目覚めるだろう。それはわかっているのだが実行できなくて、彼は苦い笑みを浮かべた。起きて欲しいのか欲しくないのか、彼自身もよくわからなくなっている。もう少しだけ触れていたい気もするし、それは危険だという予感もある。
「ん……」
 しかしそれ以上彼が何か行動を起こすことはなかった。小さく身じろぎをしてから、彼女はゆっくりと瞼を持ち上げた。そしてぼんやりとした視線を辺りに彷徨わせてから彼を見上げる。見つめ合っていたのは、おそらく数秒程だろう。彼女はばつの悪そうな微笑を浮かべると頭を傾けた。
「また寝ちゃったみたいね」
「大した時間じゃないけどな」
 さりげなく彼女から指先を離すと、彼は壁掛けの時計を見上げた。ニュースは目まぐるしく変わっているが、時間はさほど経っているわけではない。彼女の視線を感じながら彼はおもむろに立ち上がった。
「シン?」
「コーヒーでも淹れるか」
「あ、それいいわね。よろしく!」
 きっと彼女は満面の笑みを浮かべているのだろう。けれども今はそれを直視できなくて、彼は軽く手を振ると台所へ向かった。足取りは重くとも、ため息を吐くことだけは何とか堪えることができた。