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7 髪を弄る
8 たよりない笑顔だったから
11 密接空間
14 月を待たずに
15 長い睫毛
18 寂しいんだよ
22 ゲームのルールのような
24 待って
25 吹きやまない優しい風
26 空を見上げる二人
28 綺麗の秘密
29 鍵を探そう
10 そっと撫でる (第二十三章読了推奨)
 真っ白な廊下を歩いていた青葉は、目の前に小さな背中を発見して駆けだした。本当は足音を立てない方が気づかれないのだろうが、気を隠さない限り彼女にはわかってしまうのでこの際無視だ。
「青葉?」
 彼女が振り返ろうとするのと、彼が彼女を抱きしめようとしたのはほぼ同時だった。それでも腕の中に収めることに成功した彼は、満足そうに微笑む。
「おはよう、梅花」
「私起きてからだいぶたつんだけど……」
「普通はおはようの時間だ。お前が起きるの早すぎるだけで」
 首を傾げる梅花に、青葉はきっぱりと言い放った。
 転生神だという妙なお墨付きを得た彼女は、ますます睡眠時間を削っているらしい。もともと早起きだったのに、今は寝ているのか疑問なくらいだ。時折強制的にレーナが寝かしつけてたりするが、それは精神の使いすぎた時だけ。つまり普段はどんどん人間離れしているわけで。
「そんなに早いとは思わないんだけど」
「早い。四時前に起きるな、まだ外暗いだろ、それは断じて朝とは呼ばせない。夜だ、夜中だ。だから今がおはようで適当なんだ」
 だから断固として拒否し、青葉はまくしたてるようにそう言った。抱きしめられたままの梅花はそれでも釈然としない瞳で、彼を何とか見上げようとしている。
 かわいいと、つぶやきそうになるのを彼は堪えた。最近でこそようやく抱きしめても突き飛ばされなくなったのだ。それでも恥ずかしがらせるようなことをすれば、言えば、真っ赤になって拒否されるに違いない。
 衝動を抑える代わりに、彼は彼女の背中を軽く撫でた。長い髪を時折指に絡めながら、華奢な背中を背の平に感じる。本当は頭を撫でたいところだが、そうすると腕から逃れられてしまうので仕方なく我慢する。
「青葉……苦しいから放して欲しいんだけど」
「嫌だ」
「これから朝食じゃないの?」
「そうだけど、梅花が一緒に行くって言わない限り放さない」
「何その我が侭」
 身じろぎしながら、彼女は呆れたような声を上げた。だがこれでめげていては全く進展しないので、彼は諦めずにさらに腕の力を込める。
 柔らかくて、いい香りがして、このままなら幸せなのになあとつぶやきそうになった。このまま戦いなんてせずに、神とか魔族とか考えずに暮らしていけたらどれだけいいか。決して叶わないだろう夢を思い描きながら、彼はそっと彼女の耳元に唇を寄せる。
「一緒に、行ってくれるよな?」
「……っ」
 囁けば、彼女の体が小さく震えるのがわかった。きっと頬は染まっているだろうけどそれはあえて見ないでおく。見てしまえばかわいいと囁きたくなるに決まっている。そんなこと口走れば今度こそ全力で突き放されるだろう。技まで使われるとは思えないが、可能性がないとは言い切れない。
「青葉の、馬鹿っ」
「何が?」
「私のこといじめて楽しんでるでしょう」
「まさか」
 彼はほんの少しだけ腕の力を緩めて、彼女の泣きそうな瞳を覗き込んだ。黒曜石のような瞳が今は濡れて揺れている。今までが今までだったためにどうにも好意が受け入れがたいのだ。もっとも、慣れてないせいというのもあるが。
「アースじゃないし別にいじめる気はない」
 断言しながら彼はそっと彼女の頭を撫でた。赤ん坊をあやすように、傷を癒すように、愛しさだけを込めて優しく撫でる。
 彼女の体からほんの少し緊張が緩んだ。昔は嫌がっていたが、最近は素直に嬉しそうに撫でられることが多い。撫でられるのは好きだというレーナの言葉も間違ってはいなかったわけだ。無論、さらに調子に乗れば突き飛ばされるのだろうが。
「アースがレーナを? 反対じゃなくて?」
「あれは絶対こっそりいじめてるぞ、オレは断言する。無茶なこと言って困らせてるに違いない。そりゃあかわいい顔されたら言いたくなるのもわかるけど……って、あ」
 聞き返された言葉に思わずうなずきながら答えれば、腕の中から温かみが消えた。はっとするも遅く、梅花はやや離れたところで醒めた目を彼に向けてきている。昔よく見ていた表情だ。
「やっぱりそうなのね」
「いや、違うって、違うから。だからっていじめねぇよガキじゃあるまいし」
「ふーん。じゃあ一人で食べてきてね。私司令室に行ってるから」
「んな、ちょっと、ちょっと待てって!」
 歩き出す彼女へと手を伸ばし、慌てて彼は追った。だが冷たい視線を向けられて、思わず立ち止まってしまう。これも見覚えのある瞳だった。
 距離は縮まってるのか、縮まってないのかわからない。手を伸ばしても触れられない蜃気楼のように、まだ彼女には届かないのだ。
「もうちょっとなんだけどな」
 彼はつぶやいて、歩き出した。既に廊下の向こうへと消えた小さな背中を思いながら、それでも柔らかに微笑んで。