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7 髪を弄る
8 たよりない笑顔だったから
11 密接空間
14 月を待たずに
15 長い睫毛
18 寂しいんだよ
22 ゲームのルールのような
24 待って
25 吹きやまない優しい風
26 空を見上げる二人
28 綺麗の秘密
29 鍵を探そう
23 目を瞑れば (第五章頃まで読了推奨)
「そろそろ寒くなってきまぁーしたよねー」
 特別車から顔を覗かせたアサキが、空を見上げてつぶやいた。その台詞が、ことの発端だった。
 夏が終わりを告げ、秋も深まってきたというころ。確かに肌寒さを感じることが最近は増えていた。特別車を使った店に来る客の服装も、気づけば秋らしいものに変わってきている。昼間はよくても夜になるとそれなりに冷えるのだ。もちろん、今日のように朝でも冷え込みを感じることもある。
「そうね。そろそろメニューも変えないといけないかしら」
 テーブルを拭いていた梅花が、そう答えて顔を上げた。彼女の意識は大概仕事か店のことくらいにしか向いていない。そのことに密かに苦笑しながら、青葉は別のことを考えていた。メニューも重要なことではあるが、それよりもまず自分たちの服の方をどうにかしなければならない。
 神魔世界での服は、こちらの世界の者とは少し雰囲気が違っていた。だから彼らが派遣された際、まずは必要最低限の衣類を調達しなければならなかった。その後も夏が近づいた時は、やはり服を買いに出かけた。そろそろ秋物も買わないとまずいだろう。
 青葉は椅子を並べながら梅花を一瞥した。華奢な彼女は、彼らよりも寒そうに見える。もっともそんな顔をすることは滅多にないが。
「じゃあそろそろ服買いに行く?」
 するとどうやら同じことを考えていたらしく、サイゾウがそう言いながら車から出てきた。今日は午後雨だというし、客の入りも悪いだろう。つまり彼らにとっては買い物日和なのだ。
「でも全員では行けませぇーんよ? まだ雨は降ってませんし」
「順番に行けばいいじゃん、二、三人くらいでさ。どうせこんな天気じゃあ客もそんなに来ないだろうし、数人いれば大丈夫だって」
 アサキをそう説き伏せながら、サイゾウは腕をさすっていた。以外と寒がりなのか、それとも新しい服が欲しいから主張しているだけなのか。とにかく積極的だった。青葉はちらりと、また梅花を見る。こういう場合は彼女が了承するか否かが決定打となるのだ。
「そうね。明日は天気も回復するみたいだし、今日の方がいいんじゃない?」
 テーブルを拭く手を止めて、梅花は首を縦に振った。これで決まりだ。あとは食料の買い出しに出かけたようが戻ってくるのを待つだけだ。青葉は空を仰いで瞳を細めた。重たげな雲に覆われたそこからは、今にも雨が降り出しそうな気配がする。
「じゃあ最初は梅花と青葉が行ってくださぁーい」
「え? 私?」
「あーそうだな。梅花一人だとまた味も何もない服買ってくるからな。せめて青葉に選んでもらえよ、男好きしそうな奴」
 だが話は、そこで妙な方向へと流れ出した。アサキの発言にサイゾウが同調することで、逃れられない空気が辺りを満たしていった。横目で梅花の様子を確認すれば、困惑気味な視線が青葉へと向けられている。青葉は仕方なく苦笑いを浮かべた。彼女と二人きりというのは妙に緊張するのだ。
「サイゾウじゃ駄目なのか?」
「オレ? オレ女物の店なんて行きたくないし。よくわからないし」
「ミーはセンスに自信ありませぇーん。青葉は得意だったでぇーすよねー?」
 二人にそう言われると、青葉に反論の言葉はなかった。確かに夏物を皆で買いに行った時、結果的に梅花の服を選んだのは彼だった。それも可愛い服の方が売れ行きが良くなるに違いないと、サイゾウが言い出したからなのだが。
「お願いしまぁーす、青葉」
「店のためだから、な? 少しでも愛想良く見える奴を」
 売り上げのため、店のためと言われると、青葉は断れなかった。それは梅花も同じはずだった。これでは逃れる術はない。仕方なく渋々とうなずいて、彼は再度空を見上げた。早く雨が降ってくれればいいのにと、そんなことが頭をよぎった。



 いざ店に来てみると、先ほどまで感じていた緊張はどこかへ行ってしまっていた。会話もなく並んで歩く時間は長かったが、店の中は音に満ち溢れていた。明るいライトに照らされた店内には、軽やかな音楽が流れている。
 青葉はそのことに感謝しながら、梅花の無表情な横顔を一瞥した。店でこそ営業スマイルを浮かべる彼女だが、普段は何を考えてるのかわからない表情をしている。
 もちろん、それは今日も同じだった。服を買うのが嫌なのかと、何も知らない者ならそう思う程だ。そうではないことは、値段を確認する視線からわかるのだが。
 だが何故だか笑顔で近づいてきた店員がやたら話しかけてくると、彼女の表情は硬くなった。馴れ馴れしくされるのは苦手なのだ。会って半年になる仲間たちにでさえ、距離を置きたがるのだから。
「これなんかどうですか? よく似合うと思いますけど」
 もうこれで何度目だろうか。親しげな店員に勧められたワンピースは、彼らの予算を少しオーバーしていた。だがこのまま彼女を店員の攻撃にさらしておくのもまずいだろう。そう思い、彼は彼女を試着室に放り込むことを決意した。それならば少しの時間は静かになる。青葉も気をもまずにすむ。
「じゃあ梅花、着てみろよ」
「え? でもこれ……」
「いいから。とりあえず着るだけでも、ほら」
 困り顔の彼女を無理矢理、彼は試着室の方へと押し出した。値段のことを言いたいのだろうが、それは無視だ。今はとりあえずこの店員を遠ざけることの方が先決だった。彼が笑顔で軽く手を振ると、渋々と彼女は中へ入っていく。これで一安心だ。
「可愛い彼女さんですね」
 しかし梅花の姿が見えなくなると、今度は店員の問題発言が青葉を襲った。一瞬、息が止まりそうになった。
 こういう場合は肯定した方が話は楽なのだが、中にいる梅花が憮然とした顔で出てくる結果になる。文句は言わないが、後々の反応がさらに冷え込んでいくだろう。どう答えようかと考えて、彼は苦笑を浮かべた。
「いや、親戚なんですよ」
「え、そうなんですか? ごめんなさい、私てっきり。お似合いなものですから」
「あははは、そうですか?」
 知らない人にそう言われて、嬉しくないわけではない。が、下降線をたどる一方の梅花の気分も、気にはかかった。青葉は頭を掻くと、様子をうかがうように試着室をちらりと見た。特に反応はない。また幸いなことに、気からも何も感じ取れなかった。会話が聞こえてないわけではないだろうが。
 彼女が可愛いということは、彼も認めてはいた。はっきり言えば好みのタイプだったし、愛想が良ければ一目惚れしていた可能性もあった。もっとも営業スマイルを見続けるようになってからは、無愛想でなければという思いは少し変化していた。
 彼女の微笑みは、ある種凶器だった。真正面から見た時は心臓が止まるかと思った。普段が無愛想なだけに余計、それは絶大な力を持っている。とにかく視線を奪われるのだ。
 そのせいで、客の中には勘違いしている者もいるくらいだった。彼女のことが何となく気になってる自分を意識してからは、その効果はなおさら如実に感じられる。
「あの、着られるには着られたんですけど」
 すると試着室の中から、梅花が顔だけ出してきた。先ほどよりも困り具合がわかりやすくて、青葉は首を捻る。何か問題があったのだろうか? するとぱっと顔を輝かせた店員が、彼女の元へと走り寄った。動作が素早い。
「どうかしましたか?」
「あの、ちょっとスカートが短い気がするんですけど。これから寒くなるのにこれでは……」
「でしたらブーツと合わせればいいんですよ! よくお似合いですよー。ほらほら彼氏さん、じゃありませんでしたね。見てくださいよ」
 店員の手招きを、青葉は断れなかった。仕方なく近づくと、試着室のカーテンを手にしたまま梅花が彼を見上げてくる。その眼差しは困惑気味というよりは、まるで助けを求めているかのようで。それだけでも十分心が揺らぐのに、また店員の勧めたワンピースはよく似合っていた。
 飾りは少なくシンプルだが、葡萄色の生地は彼女の肌に映えている。ふんわりとしたスカートも可愛らしく、長い袖の縁にはさりげなく刺繍が施されていた。ただし丈が短いことは確かだった。慌てて視線をずらして、彼は無理矢理唇を結ぶ。
 彼女が可愛い恰好をしてくれるのは嬉しい。エプロンなんかも着けられたら、きっと日々は幸せだろう。どんなに普段は素っ気なくても、だ。しかもこの姿で営業スマイルを振りまくわけだから、きっと想像以上の可愛らしさだろう。ただしそのためには値段が問題となるのだが。
「……じゃあこれで」
「え? あ、青葉?」
「どうもありがとうございます!」
 だが青葉は、すぐに決意した。と同時にそう口にしていた。急いでレジへと向かう店員を横目に、彼はほっと胸を撫で下ろす。その傍では、カーテンを掴んだまま梅花がおろおろとしていた。こんな姿を見るのは初めてかもしれない。それだけで何だか頬が緩みそうになり、彼は慌てて腕を組んだ。
「青葉、これの値段見た?」
「ちゃんと見たって。いいだろう? その分オレの服を安いのにすればいいんだから」
「でも――」
「お前が可愛い恰好してる方が、売り上げいいんだから。結果的にその方が儲かるんだから、気にするなよ。あのな、普通こっちの服ってもっと高いんだからな?」
 出来るだけ彼女の顔を見ないようにしながら、彼は周りにある服へと目を向けた。本当ならもっと色々買うべきなのだが、とりあえずこの店ではない方がいいだろう。あの店員がいると彼も彼女も調子が狂う。
 それに、せっかく服を買うならもっとじっくり見たかった。ただし決して色々着せたいわけではないと、聞こえもしないのに彼は心の中で言い訳をする。
「う、うん、わかった。その、ありがとうね」
 しかし視界の端に映った彼女の微笑が、彼の動きを全て止めた。それはぎこちないものだったが、いやだからこそ、彼の教えた営業スマイルではないと断言できた。彼女の姿がカーテンの向こうへと消えると、彼は飛び跳ねた鼓動を押さえるよう胸に手を当てる。
「や、やっぱり、愛想ない方がいいかもな」
 誰にも聞こえないよう口の中だけでつぶやき、彼は軽く目を閉じた。何よりも笑顔が一番力を持っているのだと、瞼の裏に焼き付いたものが強く訴えかけていた。