7 髪を弄る
8 たよりない笑顔だったから
9 捨てられた猫のような ★5/25
11 密接空間
14 月を待たずに
15 長い睫毛
18 寂しいんだよ
22 ゲームのルールのような
24 待って
25 吹きやまない優しい風
26 空を見上げる二人
28 綺麗の秘密
29 鍵を探そう
|
21 息が詰まりそうだ (第三十章読了推奨)
風に騒ぐ木々の声が、一瞬だけ止んだ。立ちこめた煙の臭いに顔を歪めながら、レイスはゆっくりとその場に立ち上がる。森の中一人たたずむ彼女の周囲には、生き物の気配すらなかった。無論神の気配はない。ただ戦の名残だけが、辺りを満たしていた。
先ほど倒れた少女の気は、既にこの星にはなかった。そのことを確かめて彼女は少しだけ頬を緩める。あの男性たちが少女の命も助けてくれていればいいと、そう切に願わずにはいられなかった。もっともその可能性が低いことを理解はしているが。 「あれだけの出血だものね」 つぶやいて、不意に走った痛みに彼女は顔をしかめた。少女を助けた時に、彼女自身も傷を負っていた。千切れそうだった左足首を何とか技で治療はしてあるが、出血はまだ止まっていない。少しずつ命の水が流れ出すような感覚を覚えて、彼女はため息をついた。魔族の気配はまだあるというのに、このままではまともに戦えるかどうか怪しい。 「ま、動かなければいいか」 だがすぐに彼女はそう結論づけた。これが仲間たちから無茶の塊と言われる所以だろう。しかし彼女にとっては当たり前のことだったのだ。無茶が通らなければ死ぬだけだ。命のやりとりをしているのだから、当たり前のこと。 悲しいけれどそれが真実。 彼女はほんの少し目を伏せると、死んでいった仲間たちのことを思い出した。共にこの戦いを終わらせようと誓い合った者たちが、もう何人も亡くなっている。それは辛いことだが、しかし受け入れなければならない現状でもあった。彼らの分まで彼女が頑張るだけだ。いつかこの戦いが終わる日を夢見て。 「――魔族!?」 しかしそんなことを考えたせいだろう。近づく気配に気づくのが遅れ、レイスははっとして頭をもたげた。こちらへと真っ直ぐ迫っているのは魔族の気だ。ただ数は一つ。その点だけが幸いだった。これなら動かなくとも対処できるかもしれないと、彼女はその場で体勢を整える。 刹那、右手から真っ直ぐに白い光が進んできた。彼女はそれを一瞥すると、右手を掲げてそこに結界を生み出す。間一髪。途端光は弾かれて、あっさりと霧散した。だが予想していたよりも手応えがない。 やけに弱い。そう思って彼女が左手を掲げるのと、それはほぼ同時だった。突然視界の端に男が現れて、その手の刃が彼女へと勢いよく振り下ろされる。 耳障りな音がした。彼女の張ったもう一つの結界が、黒い刃を受け止めていた。勘が働いていなければ斬られていただろう。そう思うと額を冷たい汗が落ちていく。しかし受け止めたことも事実だった。彼女は彼を見据えると口角を上げる。最初の一撃さえ受け止めてしまえばこっちのものなのだから。 「やはり女か!」 刃の持ち主は、赤い髪を逆立てた小柄な男だった。その瞳に喜々として光が宿っているのを認め、レイスは笑みを薄くする。その言葉から察するに、女神狩りを企んでいる者だろう。最近噂に上がるその奇行を実際行っている者の一人だ。 だがもちろん、そんな男に負けるつもりもない。 彼女は左足で軽く地を蹴ると、右を軸にして半回転した。と同時に結界を解き、今度は右手に黒い刃を生み出す。彼女はただの女とは違うのだ。戦の神と呼ばれる者たちのその一員。だからそう簡単にやられるわけにはいかないし、やられるつもりもない。 「なっ……!?」 「滅びなさいっ!」 その刃は、男の刃もろともその体を薙ぎ払った。くぐもった悲鳴が漏れ、手の中から刃が消える。彼は苦悶の表情を浮かべる暇すらなく、粒子となって消えていった。その体が存在していた場所には、小さな光だけがかすかに残されている。それが風に流されるのを見送って、彼女は安堵の息を漏らした。黒く長い髪が揺れながら背中を撫で、目障りな金の布が腰元で揺れる。 だが左足を地面につけた瞬間に、鋭い痛みが走った。思わずしゃがみ込んだ彼女は、声を押し殺すよう唇を強く噛む。傷口が開いたらしい。地面を見下ろせば、そこには新たな赤い水たまりができていた。それがじわじわと広がっている。この勢いはあまりよろしくない状況だと、そう判断すれば自然と眉根が寄った。 どうするべきか。彼女は考えながら瞼を閉じた。幸いにもここへ駆け寄って来られる位置に、魔族らしい気はない。だが彼らには転移がある。それを考えれば今すぐにでも帰るべきところだった。が、正直彼女は帰りたくなかった。知り合い一人いない神界に帰っても、もう心は安まらないのだから。 「え?」 しかし次の瞬間、近寄ってくる気を察知して彼女は顔を上げた。それは魔族ではなく、神の気だった。もしも魔族のものだったら、痛みなど無視して立ち上がっていたところだ。だが違う。それ故に彼女は困惑して、何が起ころうとしているのかうまく判断できなかった。魔族が傍にいないのに、神が近づいてくる理由がわからない。 がさりと、茂みが揺れた。彼女が戸惑っている間に、その気の主は現れた。振り返った彼女は瞳を瞬かせる。 「大丈夫か?」 その主は、割と背の高い青年だった。長い茶髪を一本にまとめた、どちらかといえば穏やかな顔つきの男だ。その彼が心配そうに顔をしかめて、彼女を見下ろしている。何がどうなってるのかわからないままに、彼女は首を縦に振った。 「ええ、大丈夫よ」 「ってその足……どこが大丈夫なんだよ!? 立てるか?」 彼が数歩近づいてきて、右手を差し出してきた。彼女はその手を取るべきか迷ったが、結局は素直に甘えることにする。どうも足に力が入らないのだ。これは思っていた以上にまずいかもしれない。血が足りなければまともに技も使えなくなるというのに。 「え?」 けれどもそこで予想外なことが起きた。彼の力は思った以上に強かったらしい。いや、それとも彼女が彼の想定以上に軽かったのか。とにかく勢いよく引き上げられた彼女は、そのままの勢いで彼の胸元に引き寄せられた。 彼女は慌てて離れようとするが、左足を動かした瞬間激痛が走る。そうなだけに結局は彼が肩を支えてくれるに任せ、彼女は視線を逸らした。自分で自分さえ支えられないことが、ひどくもどかしい。不愉快だった。 「ほら、ふらふらじゃないか」 「別にこれくらいは平気よ。それよりあなた、どうしてここに来たの?」 できるだけ目線をあわせないようにしながら、彼女は率直に尋ねた。魔族との戦いに終わりはないのだ。こうしている暇があったら、より戦闘の厳しい方へと行くべきだ。その方が仲間たちのためにもなるし、戦局も有利になる。 「は?」 しかし彼は間の抜けた声を上げた。どうやらそれは、彼にとっては不思議な質問だったらしい。肩を掴む力が強くなって、彼女は小さく息を吸い込んだ。そしておそるおそる彼を横目で見上げる。 「お前が助けた……その、名前は知らないけど女の子が、助けに行ってくれって頼んできたんだよ。足怪我してたっていうから」 「え、あの子が?」 「ああ――死ぬ間際にな。だから来たんだ」 「そう……」 やはり助からなかったのか。そう思うと何故だか体の力が抜けそうで、それを堪えるのに彼女は必死になった。また助けられなかった。戦の神などと言われていても、彼女は無力なのだ。傷ついた仲間たちさえ守ることができない。そう思うと胸の奥がずしりと重くなって、得体の知れない衝動に駆られた。それはよくわからないが不快な衝動。 「とにかく戻ろう」 けれども彼の声は依然として穏やかだった。それに導かれるように、彼女はおもむろに顔を上げる。すると予想していたよりも彼の瞳が近くにあって。彼女は思わず息を呑むと、瞳を瞬かせた。息などしなくてもいいはずなのに息苦しさを覚える。それは不思議な感覚だった。彼の双眸は、妙に心を落ち着かなくさせる。 「治癒の技使える奴に早く診せないと」 「そ、それくらい自分で使えるから平気よ」 「なら何で治さないんだ?」 「その、治す時間がなかったからよ」 離れたいのに離れられず、声が自然とうわずった。いくら神同士だからといって、見ず知らずの男にここまで接近されたことはない。それどころか助けられた経験もなかった。助けたことなら山程あるが。 「なるほど」 そこで彼は少し頭を傾けると、おもむろに彼女の体を横抱きにしてきた。突然地面から引きはがされた彼女は、何が起こったかわからずに目を丸くする。すると本当に触れそうな距離に彼の顔があって、思わず彼女は息を止めた。優しげな瞳が真っ直ぐ彼女を捉えている。信じがたい程穏やかな緑の瞳だ。 「じゃあ神界に戻ろうか。ほら、それなら時間あるだろう?」 まるで当たり前だと言うように、彼はそう宣言してきた。それがあまりにも自然だったから、彼女は何も言えずに困ったように小首を傾げる。正直ここまでされるとお手上げだった。 すると癖のある髪が揺れて、彼の腕から一部こぼれ落ちた。彼の視線が不意にそれに吸い寄せられる。そのおかげで真っ直ぐな眼差しから逃れ、彼女は少し安堵して肩の力を抜いた。 「あなたって変わってるのね」 「……そうか?」 「だってこうしてる間も他の仲間が殺されかかってるかもしれないのよ? それなのにこっち来ちゃうなんて」 「そこにはまた別の奴が行くだろう? でもここに来られるのはオレしかいない」 はっきりとそう言いきられると、さすがに彼女も反論はできなかった。おそらく彼は他の仲間も信頼しているのだ。それが彼女との違い。彼女が今信じているのは自分の力のみだった。皆彼女を置いて死んでしまったから、残されているのは彼女の力のみだ。 「まあいいわ。それがあの子の願いなら、大人しくつれていってもらうわ」 そんな風に考えていくと何だか投げやりな気分になって、彼女はそう告げて瞼を閉じた。こうしていれば彼の瞳を見なくてもすむ。息苦しさを覚えなくてすむ。だから彼の視線を感じても、彼女は決して目を開かなかった。 「まあ、そうしてもらえると助かるかな。オレは」 彼がくすりと笑う気配がした。けれども不思議と馬鹿にされた気はしなくて。むしろ気恥ずかしささえ覚えて、彼女は強く唇を結んだ。本当に不思議な男だ。今まで近くにいた誰とも違う、何とも言えない空気を纏っている。 「オレはツルギ。お前の名前は?」 「――私はレイスよ」 目を瞑ったまま、彼女は素直に答えた。 この出会いが長い付き合いに繋がるとは、この時彼女は思いもしなかった。ましてやいつしか対なる存在として崇められるとは、全く考えもしなかった。 |