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7 髪を弄る
8 たよりない笑顔だったから
11 密接空間
14 月を待たずに
15 長い睫毛
18 寂しいんだよ
22 ゲームのルールのような
24 待って
25 吹きやまない優しい風
26 空を見上げる二人
28 綺麗の秘密
29 鍵を探そう
3 デートしようか?  *おまけ*
 それは何てことはない食堂での会話から始まった。
 レーナもいないし剣の手入れも終わったしということで、アースはカウンターに腰掛けていた。だが何をするわけでもない。隣で愚痴を言う青葉に冷めた視線を向けるだけだ。厨房には誰もいなく、ただ窓際にサツバと北斗が座っている。
「だよなあ、デートもできないし」
 青葉はそう言いながらカウンターに突っ伏した。その言い方からすれば『デート』というのは何やらよいものらしい。
「デートって何だ?」
 特に深い感情もなくアースはそう尋ねた。だが青葉は驚いた顔をして勢いよく体を起こし、それから冗談っぽく口を開いた。どうやらこれは予想外の台詞らしい。
「え、アース、デートを知らないのか?」
 信じがたいといった調子だが、彼の記憶にはそれらしい単語は存在していなかった。素直にうなずき、彼は眉根を寄せる。
「知らん。どう記憶を探ってみてもそれらしい言葉は出てこない」
「まあ生まれて二十二日だしな。いや、むしろ日常生活営めてる方がおかしいのか……」
 最初は冗談交じりだったが、しかしその声のトーンが次第に落ちていった。何か考えているようだが、それがさっぱり予想できずアースはさらに顔をしかめる。
「一回ぐらいしてみてもいいよなあ」
「そのデートという奴は面白いものなのか?」
 どうにも感慨深げな青葉に、彼は不思議に思って聞いてみた。その響きからでは何が何だかわからない。すると青葉はレーナを真似て、人差し指を立てて得意そうに説明を始めた。
「好意を持った男女が二人で出かける、それがデートだ」
 それだけ?
 そこにどんな面白さがあるというのだ?
 彼の胸の内を疑問だけが埋め尽くしていく。
「ん? それに何の意味があるんだ? 二人でいることが重要なのか?」
「それもそうだけど……でも出かけることに意味があるんだ。一緒にご飯食べたり遊んだり……うわあ、しそうにない、あいつ」
 思い切って尋ねてみれば、意気揚々と説明し始めた青葉が途端に頭を抱え始める。あいつとは……レーナのことだろうか? 確かに食べる必要もないし、遊ぶという概念とは縁遠そうだ。
「ん、レーナだ」
 扉の方に、よく見知った気が現れるのを彼はすぐに察知した。振り返れば何故だか機嫌良さそうにして、笑顔の彼女が入ってくるのが見える。
 結ばれていない髪は背中を跳ね、優雅な軌跡を作る。相変わらずかわいらしくて、視線がはずせなくなる。
「レーナ」
 やや大きめの声で青葉が彼女を呼んだ。彼女は振り返り、小首を傾げながらこちらへと近づいてくる。
「どうかしたのか? 青葉。それにアースも」
「お願いがあるんだけど」
「何だ?」
 青葉が何を頼むつもりなのか、彼にはわからなかった。ここで呼び止めた理由も全くもって不明だ。いつも見る情けない表情とは違い、真剣その物の顔。彼女も不思議そうにその黒い瞳を瞬かせている。
「アースとデートしてやってくれないか?」
 その頼みは、唐突だった。彼女が固まったのがわかった。
「お、おい、それはまた急な話だな。何かあったのか?」
「いや、まあ、それはな」
 青葉はちらりと彼を見て立ち上がった。それから彼女の肩を押して遠ざかっていく。
「な、何なんだあいつは……」
 彼にはただそうつぶやくことしかできなかった。二人が何を話しているのか、何故こんなことになっているのか理解できない。
 二人の姿が食堂の外へと消えていった。何となく気分が悪くて、重いため息が出る。視線をやれどもうその後ろ姿を捉えることもできないし、声を聞くこともできなかった。ようやく会えたところだというのに。
「おい、アース」
 そこへふと背後から声がかかった。肩越しに見やれば、にやついた顔のサツバがすぐ傍まで来ている。
「何だ?」
「レーナとデートするのか?」
「デートというのがよくわからんが、そういうことになるらしい」
 ぶっきらぼうにそう答えると、さらにサツバの笑みが深くなった。
 何故そんなに嬉しそうなのかわからない。今日は本当、わからないことだらけだ。彼の表情はさらに険しくなっていく。
「じゃあデートの基本を教えてやるよ。せっかくだから成功させたいだろう?」
「失敗するものなのか? それは」
「失敗したら嫌われるってことだぜ?」
 放たれた言葉に、彼の体は一瞬硬直した。
 嫌われる、それだけは絶対避けなければならない。それは胸の奥深くに刻まれた、まるで魂の叫びのようなものだった。彼の瞳に鋭い光が宿る。
「わかった、教えてくれ」
 彼は真正面からサツバを見据えた。
「まずな、デートってのは相手を楽しませなきゃならない」
「ふむ……楽しむものじゃなく楽しませるものなのか」
「そりゃな、落とす方だから」
 サツバが意地悪く笑うのを、アースは見つめる。言っている意味がよく飲み込めなかった。
「落とす?」
「気分よーく楽しませて最後はがばちょといただいちゃうってことさ」
「いただく?」
「押し倒して食べちゃうってこと」
 一瞬、間が生じた。アースは硬直しながら瞬きをし、その言わんとすることをようやく理解する。体温が一度程上昇したように感じられた。
「で、デートとは押し倒すものなのかっ?」
「最後はな。とてつもなくかわいいのが見られるぜ。やってみ、絶対かわいいから」
 だがそれでは嫌われるのでは?
 そう思うが、満面の笑顔を浮かべたサツバは勢いよく人差し指を突きつけてくる。その顔には自信が満ちあふれていた。
「大丈夫、お前ならはねのけられないと思うから。かわいーの堪能してこい。そしてぜひ、報告をっ」
 どうやらサツバも日々に退屈しているようだ。そう彼は感じ取って内心で嘆息した。いや、まだ陰から覗くと言われないだけましなのかもしれない。
「あ、そろそろ二人が戻ってくるな」
 入り口の方を見やり、サツバは慌てて遠ざかっていった。振り返り際に意味深に手を振りつつ、呆れた顔をする北斗の方へと小走りで駆けていく。
「ひょっとしてわれはとてつもないものに巻き込まれたのか?」
 憂鬱な気分になり、今度こそため息がもれた。青葉の交渉が失敗すればいいのにと、こっそり願ってみた。




 期待も虚しく交渉は見事成立してしまった。一応見回りという名目を立てて、彼は彼女とともにナイダの谷へと向かう。青葉の晴れやかな笑顔をにらみつけたくなりながらも、彼はそれを必死に堪えた。悪気はないはずだと、二人きりになれるのだからいいだろうと、自らに言い聞かせる。
 森の中には音らしきものがほとんどなかった。ただ風だけが時折強く吹き、木々を揺らしていくだけ。森独特の匂いが風に混じり、鼻腔を刺激する。
「しかしまたやっかいなことになったなあ」
 彼女がそうつぶやくのを彼の耳は捉えた。どうやら同じことを思っているらしい。数歩後ろを歩きながら、彼は何だかおかしな気分になった。当事者二人が嫌がるデートというのは、あまりないような気がする。
 だが二人きりというのはいいな。
 彼は内心でそう思った。いつもは誰か彼か彼女の傍にいて、なかなかそううまいことはいかない。二人きりかそうでないかで彼女の反応は明らかに違った。誰かがいる時は絶対何を言っても何をしても、動揺せず曖昧な微笑みでかわされる。だが二人きりの時は面白いくらいに動揺してくれた。だからこそこういったチャンスは逃したくはない。
 頬を染める彼女を思い描くだけで、気持ちが落ち着かなくなった。華奢な背中を見つめれば、抱きしめたい衝動に駆られる。
 たぶん相当かわいい反応をしてくれるに違いない。
 それは自分だけが見られる、誰も知らない彼女の一面だ。
「ん?」
 そこで彼女は突然足を止めた。視線を辺りにさまよわせ、何かを探しているらしい。
 何かあったのか?
 そう思って辺りに気配を集中させながら彼女へと近づいてみるが、これといったものは見あたらなかった。ただ傍に寄ったせいで彼女の華奢な肩がすぐ目に入ってくる。
 あと一日。
 そう自分に言い聞かせても、抱きしめたいという衝動は抑えがたかった。気づけば伸びていた腕が、その小さな体をからめ取ってしまう。
「レーナ」
「え?」
 一瞬彼女は何が起こったかわかっていないようだった。
 感じるぬくもりと柔らかさが脳を揺さぶり、理性が揺らいでいく。
 まずい。
 そう思いながらも彼は腕をゆるめる気にはなれなかった。離してはいけないという自分であって自分でない声が、どこからともなく聞こえてくる。
「駄目だ、やはり四日は待てない」
「四日?」
「三日前に言われた、四日待てと」
 口に出せば、彼女は困ったように小首を傾げて困惑していた。さらりと揺れた黒い髪がその肩を滑り落ちていく。
「あ、アース?」
 おずおずと名前が呼ばれ、彼は無意識に抱く腕に力を込めた。嫌がっているようではないが受けいてているようでもない。胸の中でもやもやとしたものがわいてくるのを彼は感じた。
「お前はわれのことが嫌いか?」
「え、ええっ?」
「嫌いか? 好きか?」
「き、嫌いなわけないだろう?」
 首もとに顔を埋めるようにしてささやけば、彼女が小さく震えるのがわかる。予想通りに動揺してくれるから、欲望がむくむくと頭をもたげてきてしまった。白い肌が目について気になって仕方がない。
「じゃあいいのか? キスしても」
「え?」
 答える前に、彼はそれを実行した。軽く首筋へ口づけを落とせば、彼女の体が一瞬にして固まる。
「……いい匂いがする、それに甘い」
 素直に感想を述べると、その頬が見る見る間に紅く染まっていった。この可愛らしさはある意味犯罪だと彼は思うが、今口にするとまずい気がしたのでそこは堪えておく。
「いやいやいやちょっと待てっ! いきなりそっちへ行くか普通!?」
 涙ぐんでいるのではないかと思える声で、彼女はそう抗議した。このままだと顔がよく見えないなとぼんやり考えながら、彼はその抗議を無視して耳元でささやく。
「顔が赤いな」
「アースのせいだ……」
「予想していたよりずっとかわいいな」
「よ、予想ってどんなだ!」
 動揺するとは思っていたが、これほどかわいく照れたりなどされるとサツバの言葉も信じられるような気がする。お前ならはねのけられない、という言葉が。
 理性と衝動がぶつかり合い、頭の中がぐるぐるとしてくる。
「え?」
 彼は少し抱く腕の力を緩めた。すると不意に拘束がなくなったせいか、彼女の体が頼りなく揺れる。傾いだ方向へとそのままゆっくり押し倒せば、彼女の黒い瞳がすぐ目の前にあった。
「あ、あ、アース……?」
 何が起こったかわかっていない顔で名前が呼ばれた。肩の下に腕を入れているせいか、やたらと距離が近い。ほんの少し動けば唇が触れ合うという状態は、これまた理性によろしくなかった。
「サツバが――」
「うん?」
「デートの最後は押し倒すものだと」
「いや、それはちょっと間違ってる! いや間違ってないかもしれないがとにかく間違ってる!」
 何か勘づいたのか、彼女は逃れようと抵抗を始めた。だが離すつもりは毛頭なかった。頬を紅潮させ困ったように眉をひそめるその様を、間近で見られるのだから。
 とにかく愛しくて仕方がなくなる。
「違うのか? とてつもなくかわいいものが見られるという話だが」
「あ、あいついつの間にそんなことを……油断も隙もない」
 できるだけ視線を逸らしながら、彼女は強く唇を噛んだ。彼はもうその可愛らしさを堪能しているわけだが、それはあえて黙っておく。
「あ、アース、あのな」
「何だ?」
「も、物事には順序ってのがあるんだ。それにデートだろう、デート。これは絶対違うから」
「そうなのか……」
 もはやデートなどどうでもいいという気分だったが、彼女が不安げに、懇願するように見上げてくるので、彼は続ける言葉を失う。
 失敗したら嫌われる。
 ふとそんな話が頭をかすめた。加えてさすがにこのままではまずいという理性の警告があったので、彼は名残惜しくも上体を起こす。ようやく解放された彼女はほっと息を吐き、胸に手を当てながら彼の瞳を見上げてきた。
「まあこんなところじゃデートという感じでもないかもしれないが、とりあえず川にでも行こう? 確かあったはずだ」
「……押し倒すのはその後ということか」
「い、いやそこにこだわらなくていいから! ただでさえ戦力少ないのに、われを戦闘不能にする気かお前は」
 もう一度いじめてみれば、彼女は頬をさらに赤らめて真顔のままのにらみつけてきた。再び欲望がもたげそうになるが、それを堪えて苦笑しながら彼は長い髪に指を絡める。
「わかった。まあわれは二人きりでいられれば今は十分なわけだしな」
 そうささやくと、彼女はすっと瞳を伏せて、ありがとうとだけつぶやいた。
 まあこれだけ堪能したからしばらくは大丈夫だろう。
 彼は内心そうつぶやきながら、愛しげに髪をなで続ける。
 柔らかな風が、二人の間を擦り抜けていった。




 それから小川で休んだ後、そろそろ夕刻だからと二人は基地へと帰った。食堂へ顔を出してみればサツバの姿はどこにもなく、落ち着かない様子の青葉が窓辺の席にいるだけだ。
「ただいま」
 レーナは彼に近づくと春のような微笑みを浮かべてそう言った。驚いた青葉の瞳が、彼女とアースとを行き来している。
 まあこういう顔もかわいいな。
 そう頭の隅で思いながら彼は二人の傍へと寄った。青葉は何か釈然としないのか、渋い顔をしたままで席をすすめてくる。
「で、どうだったんだ? デート」
 カップを手にした青葉は、ゆっくりとそう切り出した。だがレーナはちらりと視線を上げて微笑むだけで、何も言わない。できるだけことを穏便に済ませる方向らしい。
「結局デートとやらの定義はよくわからなかったが――」
「お?」
 このままだと何だか面白くないので、アースはおもむろに口を開いた。珍しそうに目を見開いて、青葉はカップをテーブルに置く。彼女の視線を横目に感じて、アースは内心にやりとした。
「満足はした」
「そ、そうか。それはよかったな」
「うむ。押し倒せたしな」
『――!?』
 さらりと告げれば、青葉は思い切り咳き込み目を白黒とさせた。同じように咳き込みそうになった彼女が、何故だか服をぎゅっと掴んでくる。珍しい反応だが、かわいいのでアースはあえて黙っておいた。たまにはこういうのも悪くない。
「ちょちょちょちょっと待て、アース。お前なんで初デートでんな暴挙に出てるんだ!」
「暴挙? サツバはデートの基本だと教えてくれたが」
「いつ!?」
「お前がレーナと交渉している時だ」
 もう駄目だとでも言いそうな表情で、青葉は手のひらを額に当てた。瞳もどこかうつろだ。服の裾を掴んでいる彼女の手のひらに、ぎゅっと力がこもる。
「……悪かった、レーナ」
「いや、謝らなくていいから! 何もなかったのだし」
「そうか、何もなかったんだな」
「青葉ちょっと待て、何だその憐れみの眼差しは」
 青葉の言葉に、ほんの少し頬を赤らめて彼女は顔をしかめた。どうやらまだ完全に普段のレーナには戻り切れていないようだ。それが何だかおかしくて、彼の右手は自然と彼女の髪をなでていく。
「と、とにかく、アースには正しい知識を教えておく」
「そうしてもらえると助かる」
「じゃないと今度はオレが梅花に怒られるからな。レーナ困らせてるだろうって」
 青葉が再びゆっくりとカップを手に取った。その複雑な顔から想像するに、どうやらあてられてるらしい。
 真面目な梅花のことだから、なかなか甘い空気にももっていけないのだろう。同じ悩みを抱えていると思うと、アースの口の端に微苦笑が浮かぶ。
 戦いが終わるまでは幸せな日々はやってこないらしい。
「いつまで続くのだろうな」
 二人に聞こえないよう小さくつぶやきながら、彼は右手の動きを止めた。
 外では風が、柔らかに世界を包んでいた。